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おばあちゃん、私はそういう生き方がすきよ。

「給食は、おいしい?」
また教師として教壇に立っていると話した私に、
祖母が聞いたのは、それだけだった。

私は、少し驚いて
「うん。美味しい。」
と答えた。


私の祖母は、年齢の割に雅な名前である。本名は避けるが花の名前だ。

祖母は茶道の先生をしている。
今も現役だとか言っている。

祖父は昨年倒れて死を覚悟したが、奇跡的に回復した。趣味はトランペットだ。祖父のことは、実はあまり知らない。

ただ、祖母のことはよく知っている。
岡山に生まれ、祖父と恋をして、結婚し、会社に勤めることはせず、茶道という伝統の文化の道を歩んだ。

祖母の時代の恋愛結婚は、きっと今よりずっとめずらしかっただろう。

どのようにして出会ったのかは聞いていないが、ウェディングドレスはかなり明るいピンクで、当時の日本文化から少し逸脱したような一枚の写真がある。

その写真を家の中の一番見えるところに飾っているので、純愛だったことにはちがいない。

私が小さい頃、祖母は私を茶道の道へ歩ませようとした。許状というものを勝手に取り、「これで、あなたも茶道の道を歩みなさい」そう言って、茶道の道具を私に渡してきた。

まったく興味がなかった私は、祖母が点てた抹茶を飲み、お茶菓子を食べて、何も返事をしなかった。

教師になったと伝えた時、祖母が私に
『あなたへ時計を買ってあげたい。』
と言った。

車の免許を頑なに取らない祖母と2人で、電車に乗って神戸の繁華街の時計屋さんに行った。時計ってこんな値段がするんだと初めて知った。

私が選んだ時計を、祖母は自分で稼いだお金で買ってくれた。

『あなたにはいつもおばあちゃんがいるからね。』
そう言って、手首につけてくれた。

電波時計だった。

自分が時刻を合わせなくても、勝手に合わせてくれる。銀色のメタリックな部分が手首に当たると冷たくて心地よい。

私はこの時計をつけて、教師という道を歩んだ。
学校生活はゆっくり進んでいるようで、実は分刻みで忙しない。正確に刻む、この祖母からもらった時計の秒針に、何度も助けられた。

節目のたびに、そろそろ時計を替えようかと思うこともあった。やっぱりApple Watchを買おうかなと思う日もあった。

それでも正確に時を刻む、この時計を私は手放すことはできないのだ。

教師になったことを1番に喜んでくれたのは、祖母だった。

京都で教師になったことも、
『お抹茶の先生がいらっしゃるから嬉しいわ』
と地元に帰らない理由について何も言われなかった。

教師を辞めた時も、何も言わなかった。

息子が生まれた時には、『ころんにしか見えない』とスマホを取り出し、何枚も私と息子のツーショットを撮っていた。そして大事に待ち受けにしてくれた。

先日、墓参りの後、ロイヤルホストで食事をした。

息子のとなりで食べる祖母
『この子は本当にいい子だね。』
頭をなでる優しい手。

そんな祖母に
再び教壇に立って仕事をしていると話すと
『給食は、おいしい?』
と、それだけを聞かれた。

『うん。美味しい。』
私はそう答えた。

祖母は、カシミール・ビーフカレーを食べていた。

『食べたことあるの?』
『ない。わからないから選んだの』
ふふふ、と笑いながら答えた。

私はハンバーグ。
こんな普通を選ぶ自分に笑ってしまった。

おばあちゃん。
私はそういう生き方が好きよ。

私が茶道の道に進まなくても。
教師になっても。
教師を辞めても。
また教壇に立っても。

いつも私の進む道を応援してくれる。

『これ、辛くて食べられないわ。あなた食べて』
そう言って、銀色のスプーンを置いた祖母の手が
あまりにも白く細くて驚いた。

ねえ、おばあちゃん。

その手で点てる抹茶を
あと何回、私は飲むことができるかな。


いつもありがとうございます🌷

先日、お墓参りに行きました。
父方の祖父母、私たち家族で。

なかなか会うことができないけど
会うたびに。もらったものの大きさを感じます。

お盆の季節

みなさんにも、
大切な人のことを思い出す時間が少しでもあればいいなと思っています。

いつもあたたかいコメント、スキ本当にありがとうございます。

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ころん いただいたお気持ちを活かして、これからもあたたかい気持ちになるように心を込めて書いていきます🌿