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短編小説『祈りの残響』

 今日も私は、デジタルカメラを片手に田舎町をぶらついていた。
 閉店、もしくは移転してしまった古い地方銀行跡、喫茶店跡、華やかだった頃もあっただろうスナック街の抜け殻——その盛衰を静かに語る建物を、ファインダー越しに切り取り、ブログに上げるのが定年後のささやかな愉しみなのだ。

 そして今回やってきたのは、寂れた小さな港町。漁港もあるが漁に出ている船は見当たらず、日を浴びて乾ききった船たちが陸に点々と並ぶ姿は、二度と来ることのない出航の時を待っているように見えた。

 海沿いの細い国道には木造の古い家々が並ぶが、ほとんどが空き家か廃屋で、あちこち傷んで破損していた。庭には海辺特有の針葉樹が生い茂り、使われていない網や機材が無造作に積まれたまま。そしてどの家も色褪せた丸いブイの山に埋もれるように静かに佇んでいた。

 すぐそこに海が見えるのに、磯の香りというのがしないのが不思議だった。プランクトンが少ないのだろうか。プランクトンが少ないということはそれを食べる魚も少ない、漁も不振になり、その結果がこの廃港を物語っているように感じた。

 家々の立ち並ぶ道を歩くと、造船所という看板を掲げた大きな倉庫のような建物もあったが、すっかり風化して中身はがらんどうだった。その近くにあった集会所は比較的新しい建物だったが、それが逆に周囲から妙に浮いてるように見えて、痛々しく感じられた。
 こんな新しい建物が出来た当時は地元民に喜ばれただろう。ガラス越しに見えるロビーには色褪せたポスターがまだ貼られていた。

「佐伯港まつり」
 7月26日開催、とあった。漁師たちの海上安全と大漁を祈願するお祭り、といったところだろうか。この廃漁港がそんな祭りで賑わったこともあったのだろう。私はそこで日々暮らしていた人々を想い、次々とシャッターを切った。

 天気も良く、暑かったが風が吹いていたのがありがたかった。

 しかし、その風には潮の匂いがしない。ただ乾いた砂と、日を浴びた古い木材の匂いだけを運んでくる。家々の割れた窓ガラスから、色褪せて破れたカーテンが風に靡いていた。

 歩いていてふと、気づいたことがあった。

 この街には、祠が多いのだ。正確にはここに来るまでの海岸沿いの集落にも小さな祠があちこちにあった。

 海難事故——そんな言葉が頭をよぎった。

 台風や津波の自然災害。それらが土地や海の神様の怒りに触れた、まだそう信じられていた頃はその度に、祠を建てたのだろうか。たくさんの人が豊漁や無事を祈り、願ったぶんだけ祠の数があるのかもしれない。

 傍にあった小さな祠は砂埃にまみれ、供え物だったのだろうか、ワンカップの空き瓶に枯れた花の残骸だけが残っていた。手入れもされておらず、住んでいる人がいたのなら、神様を粗末にして罰当たりだなんだと騒ぎそうだ。もちろん、今やそんな声も聞こえない。

 この地域に思い入れも信仰もないが、せめてここを訪れた縁だと思ってワンカップの瓶をすすいで水を入れ、道端の花……これはハマゴウと言ったか。涼しげな淡い青紫色の花を摘んで、瓶に突っ込むと、やはりそれなりに見栄えも良くなった。

 ……やはり人の手入れは必要なのだ。

 振り返ると、集落の陸側には大きな岩山が連なっていた。これも風雨や波で削られてこんな地形になったのだろうか。見上げると、その岩山へと続く小さな階段が見えた。

 そしてその先の山頂……岩山の頂付近にも、やはり祠があった。

 祠というより、それは集落にあったものとは違い、鳥居があったり、こじんまりとしながら社のような佇まいで、小さな神社のようだった。

 麓の鳥居をくぐり、人一人がやっと通れるような岩を削った急な階段を慎重に昇ると、そこで景色が一変した。高台だけあって、海辺の景色が一望できる、まさに絶景であった。
 暑いが、晴れの日で良かった。少し汗ばんだシャツを海風が通り抜け、それが心地よかった。

 海岸線も良く見え、何ならここに来るまでに通ってきた前の集落も見えた。その集落の岩山にもやはり、鳥居と社が見える。

 ふと気配を感じて振り返ると、白いひげを蓄えた老人が階段を昇ってきていた。肌は綺麗に日焼けしており、白と黒のコントラストが印象的だった。

「……土地の神をあがめて建てた社が、あがめた人の消えた町を見下ろしている。滑稽だろう?」
 老人は私の隣に立ち、目を細めて廃れた町を眺めながらそう呟いた。

「まあ、それも結果論ではあると思いますが……あなたは?」

「ほほ、面白いことを言う。ここの住人は散り散りになって、誰も居らん。彼らが奉った土地の神がいたとして、この光景に何を思うのか……」
 老人は白いひげをさすりながら、寂しげにそう続けた。

「……それでも彼らが、幸せな道を望んでここを出ていったのなら、それでいい。そう思いませんか?」

「ほほ、お前さんは本当に面白い……」

「いや、答えになってませんが……」
 隣にそう言いかけて、誰も居ないことに気づいた。……あの白い髭の老人はどこに? 

 振り返ると、小さな社しかなかった。その閉じていた扉はシンプルな金具のフックしかかかっていなかった。そのフックを外して扉を開くと、中には色褪せた木彫りの土地神があり、掠れた文字で恵比寿神と書かれていた。

 そして、それは先程の老人に瓜二つだった。

 恵比寿神とは、確か大漁や商売の繁盛をもたらす神様だと記憶している。

「まさか……」
 そう思いつつも、私はしばらくそこで手を合わせると、静かに扉を閉じた。その間も海は静かで、凪のように波さえほとんど立っていない。

 目を凝らすと遠くに小さな島影が見えるが、船の姿は一つもない。桟橋には古いロープが絡まり、色あせた浮きがいくつか転がっているだけだった。

「この光景に何を思う、か……」
 私はカメラを構え、静かにシャッターを切り続けた。いつかこの廃港や祠すら、人々の記憶から跡形もなく消えてしまうかもしれないから。

——ハマゴウの花を……ありがとう

 どこからかあの老人の声が聞こえた気がした。


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