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短編小説『枯れたサボテン』

 肺炎をこじらせて入退院を繰り返していた五十代の女性、坂井みやび
 寝室の窓辺に置いていたサボテンもついに枯れ果てた。かつては娘の詩織が「かあさんみたいに強いね」と言いながら世話をしていたあの植物も、今はただの乾いた塊になってしまった。

 肺炎と診断されて、しばらくベッドから動けない日が続いていた。私に抗生剤が効きにくいことから長引き、体力も徐々に落ちてきていた。今では昼に少し食べるくらいで、朝夕は抜くことが多くなった。

 今日も娘の詩織が作ってくれたお粥を昼に食べた後に、お水と薬を渡されて、ゆっくりと飲む。ふうーっと息をついた。

 この頃はすぐ疲れてしまう。死期を感じるとはこういうことか。

 よく枕元に死神が立つとか言うけれど、そういった類の話ではなかった。体重、肌のツヤ、視覚、味覚、聴覚、記憶……ほんの少しずつ、いろいろなものを失っていく日々。
 そして、失うものがほとんど残っていないなと思い始めた頃、これが「死期を悟る」ということかと、ようやく気づいた。

 このまま娘に看取られて死ぬのも、悪くないかもしれない。
 けれど今になって、どうしても胸に引っかかる、しこりのようなものが残っていることが気にかかってきた。

 「墓まで持っていく秘密」などとよく言うが、私はそれを誰かに話しておきたくなっていた。生きていた証、そんな高尚なものではないことはわかっている。
 でも死んでなお、誰かに想って欲しいと考えるのはただのエゴだろうか。それとも、人としての醜い承認欲求なのだろうか。

 私は一晩中考えた末、娘を枕元へ呼んだ。
「詩織……ちょっと、聞いてくれる?」
 私はかすれた声で口を開いた。

 その独白は昔話を語るように、ゆっくりと始まった。

 話の内容はこうだ。
「まだ私が二十代の頃、付き合っていた彼がいたの。でも彼と妹の佳奈子が浮気をしていたことが発覚した。しかもあろうことか、そのまま二人は結婚して子供まで授かった。それが詩織、あなた。
 私は愛する彼を妹に奪われた挙句、結婚して子供まで……。血のつながった家族として、人間として妹を許すことはできなかった。

 そんなわだかまりを抱えていたある日、妹を訪ねた時に、ふとしたことから言い合いになり、玄関前で思わず佳奈子を突き飛ばしてしまった。
 妹は玄関の段差に頭を打ち付け、動かなくなった。仰向けの佳奈子は目と口を開いたまま、呼吸もしていない。

 そこでようやく、偶然にも私の復讐が果たされたのだと気づいた。

 ちょうど雨の日だったので、彼女が玄関で滑って転んだようにも見えた。しばらくして警察が動いたけど、目撃者はいなかったことと、その状況から事故として処理された。意図せずに完全犯罪が成立した瞬間だった。

 少し興奮していた私は、落ち着け……と何度も自分に言い聞かせて一息つくと、この秘密を墓まで持っていこうと腹に決めた。

 ただ、詩織。あなたには罪は無い。葛藤はあったものの、血のつながったものの責任。そう自分に言い聞かせて、まだ高校生だったあなたを引き取ったの。それからあなたは私にとてもよくしてくれたわ。だから最後に言っておきたかった、かあさんって呼んでくれてありがとう……」

 詩織は黙って、私の顔を見つめていた。その瞳に、驚きとも、悲しみとも、理解ともつかないものが揺れていた。

 私は話し終えると、憑き物が落ちたように身が軽く感じた。そこでようやく、抱えていたものの重さを実感したのだ。すると、見計らったかのように咳が出始めた。

——ああ、体は正直だ。ついに、私には何も無くなったと判断されたのだ。もうすぐ生涯が終わる——

 咳をしはじめた私に、詩織は小さく「義母さん大丈夫?」と声をかけた。彼女も、その時が訪れるのはそう遠くなかったことをわかっていたのだ。

 あの枯れ果てたサボテンのように、雅の命ももうすぐ終わる。おそらく肺炎をこじらせたうえでの死亡となるだろう。

——これで、私の復讐は果たされる。

 母さん……あれから十年。長かったけど私、やり遂げたよ。あの日、私が見ていたことを雅は知らない。
 あのあと私は看護師となり、肺炎を引き起こした雅に親身に付き添った。病院にも一緒に通って、周りの信用も得てきた。

 ただ、最後にありがとうはいらなかった。

 謝ってほしかったのに。きっとそういうところだよね、母さん。

 安心する前に、少しだけ残ったヒ素を処分しておかなくては。実行するための投与量調整の犠牲となったあのサボテンは可哀そうだったけど、おかげで雅をゆっくりと時間をかけて死に至らしめることができたよ。

 私は最後まで義母さんを心配するふりを続け、ついにその夜、雅は静かにその一生を終えた。

 これでようやく、普通に笑うことができる——

……そう思っていたあの日と同じ空を、今は格子越しの窓から眺めている。もはや枯れることも許されないサボテンのように。


了(本文1990字)


 こちらは、花澤薫様の文学賞「第二回すべて失われる者たち文芸賞」への応募作品です。

#第二回すべて失われる者たち文芸賞