短編小説『道端の測量』
スーパーで娘と買い物をした帰り道。国道の歩道を歩いていたら、娘の弥生が作業員たちを眺めながら呟いた。
「ねえ母さん、いつも思うんだけどさ。あの人たちって何やってるの?」
黄色いベストを着た作業員が三脚のような機械を地面にセットして、何やら真剣に覗き込んでいる。母は買い物袋を提げ直しながら、気軽に答えた。
「ああ、あれは測量って言ってね。道路の位置とか高さをキッチリ測ってる仕事」
「へー、測量……そんな仕事あるんだね」
弥生が感心したように見つめていると、母がふっと笑った。
「お父さんも昔、あんな仕事してたんだよ」
「え、父さんが?ウソでしょ?ぜんぜん想像つかないんだけど」
「あはは。いっつも家でゴロゴロしてるのしか見たこと無いだろうからね。国道とか毎日外に出て、ああやって測ってたの」
弥生が手を口に当てて驚いた表情で呟く。
「へええ、それは知らなかった……」
母は肩を軽くすくめて、からかうような目をした。
「まあ、弥生が父さんの仕事に興味なんてなかったもんね」
弥生は照れ笑いしながら返した。
「うん、1ミリもなかったけど……ちょっと見直しちゃったかも。いっつも同じスウェットだし」
母がくすくすと笑う。
「だよね? 今じゃ腰痛いってソファの定位置を陣取ってYouTubeばっかり見てるけどね」二人は顔を見合わせて笑いながら、作業員たちの横を通り過ぎていった。
「よーし、今日の作業はここまでにしようか、山岡くんお疲れ様」
「ですね、お疲れ様です、陣内さん」
ヘルメットをかぶった作業着姿の男性二人が、汗を拭きつつ撤収を始めた。
「しかし陣内さん、なかなかバレないもんですね」
「な?測量なんてさ、やっぱり誰も見てないようなもんなんだよ」
「これで日給でも出れば万々歳なんですけどね」
「まあ、それ出たら本当の仕事になっちゃうじゃない」
「そりゃそうなんですけどね、あはは」
二人はどこにも所属していない、定年後の元作業員だった。
——定年後、特にすることも無かった陣内は、なんとなく以前の仕事を思い出しながら朝、作業着に着替えると、退職金で揃えた三脚、レーザー測量機、自動レベルなどの測量機器を運び、道端で測量の真似事を始めた。
すると、真似事とはいえ、やることが急にできた気がして、なんだか居心地がよかった。
会社を辞めて、誰にも自分を求められることがなくなってしまった欲求が、何もない彼を突き動かしていたのだ。
しかしある日、似たような境遇で定年を迎えた山岡が、道端で測量をしている陣内の作業に気づいた。
「それ、面白いですね。僕もまえに測量士をやってたものですから」
「なんだキミもか……どうだ? 暇なら一緒にやってみるか?」
「ははは、いいですね。どうせなら作業着も揃えましょうよ」
「おお、そうだな。刺繡とか入れちゃうか?」
「いいですねえ、会社の名前とかもつけて入れます?僕は山岡と言います」
「ああ、俺は陣内ってんだ、山岡くんよろしく!」
そう話す二人は、とても生き生きとしていた。そしてそこから二人の測量が始まった——
朝、軽く作業着に着替えて、ヘルメットをかぶり、古いトータルステーションやレベルを三脚に載せて国道の端っこに立つ。
本当はもう誰も頼んでいないのに、まるでまだ現役のように丁寧に機械をセットして、基準点をキッチリと「測る」。
汗をかき、数字を記帳し、通りすがりの人から「何やってるんですか?」と聞かれると、少し誇らしげに答える。
「昔、この道を作った頃のことを思い出してるんですよ」
実際の業務ではないから、時間もプレッシャーもない。ただ、「測る」という行為そのものが、昔の自分と存在意義を思い出させてくれる。
体は衰えても、目で、指で、頭で「正確さ」を追い求める感覚だけは、まだ色褪せていない。これが心地いい。そしてそれを一緒にやる仲間ができた途端に、さらに楽しくなっていく。
「おい山岡、そこのベンチマーク、ちょっと狂ってるぞ」
「陣内さんこそ、機械の脚が緩んでますよ」
笑いながら小言を言い合う時間がとても楽しくて、定年後の孤独を優しく溶かしていった。
測量は元々「目立たない仕事」だった。
道路が完成すれば、その地味な数字の積み重ねは可視化されることなどない。だからこそ、定年後に自分でこうして再現する行為は、誰にも評価されなくてもいい、自分のための儀式なのだ。
「よし、じゃあ次、行こうか」
「ですね、昼飯までに終わらせましょう」
汗を拭きながらそう話す二人の横を、微笑みながら母娘が通り過ぎた。


