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短編小説『二十年目の告白』

——その日は父も私も休日で、遅めの朝食を取っていた。トーストと、少し焦げたハムエッグにプチトマト。父と娘の私という、二人家族のいつもの朝食だった。
 父とテーブルを挟み、会社であったことやニュースの話などしながら、休日の朝をゆっくりと過ごしていた。

 そんななか、数人の捜査員が家にやってきた。

 応対に出た私の後ろにいた父を見つけると、そのまま外へ連れて行ってしまった。わけがわからなかった私は必死に「やめて!お父さんを連れて行かないで」と何度も叫んでいた。

 パトカーに連れていかれた父は振り向き、「ごめんな」と言った。声は聞こえなかったが、私にはそう言っていたのがわかった。父が謝る時の、いつもの顔だったからだ。

——いったい我が家に何が起こったのか。私の父は何をしてしまったというのか。

 私はその時、二十四歳だった。
 母の顔は覚えていない。物心ついた頃から、引っ越しをしながら父と二人きりで暮らしてきた。

 ある時から父はこの街の工場で働き、私は学校を出てから、地元の会社の事務員として働きながら、ごく普通の毎日を送っていた。

 父は少し無口なほうで、友達は少なかった。なので休みの日は私と二人で釣りに行ったり、新しいラーメン屋が出来たと聞くと、足を運んで食べに行ったりするのが我が家の習慣となっていた。

 父が連れていかれてから六日目の夜、検察庁から連絡が来た。その翌日、私は一人で電車に乗り、面会室で父に会った。
一週間ぶりに会う父は手錠をかけられ、少し青白い顔をしていた。

「歩美……怖かったろう。ごめんな」
そう謝る父に、私は涙をこぼしながら聞いた。
「お父さん、何したの? 捕まるようなこと……してないよね?」

 父はゆっくり息を吐き、静かに言った。
「……その前に、落ち着いて聞いて欲しい。いいか、歩美。俺は……お前の本当のお父さんじゃないんだ」

「……え? 何言ってるの?」
 父は留置所にいる間にどうかしてしまったのかと思った。でも父の目は真剣なそれだった。
「もう一度言うが、俺はお前のお父さんじゃないんだ」
「……どういうこと?」

「そうだな、少し長い話になるが……」
父はそう前置きをすると、静かに語り出した。

——二十年前。田舎にある小さな町で誘拐事件が起きた。

 四歳になる少女が、何者かに連れ去られるというものだった。すぐに大規模な捜索が始まったが、犯人どころか少女の姿も見つからなかった。
 当時はGPSや防犯カメラも無かったため、めぼしい情報はとても乏しく、年月だけがいたずらに過ぎていった。

 住処を変えながらの逃亡生活を繰り返す中で、男と少女はいつしか「父娘」の関係になっていった。
 ほとぼりも醒めた頃、男は遠い町に移ると、少女に名前をつけ、新しい戸籍を作って一緒に住み始めた。

 当の少女はそんな過去をすっかり忘れ、普通の学校に通い、普通の暮らしを送るようになった。男は学費などを稼ぐために一日中、必死に働いた。
 少女はすくすくと成長し、二十四歳の今に至るまで、何の疑問も抱かずに普通の父娘として暮らしてきた。

「……つまり、お父さんが、私を誘拐してたってこと?」
父は険しい表情のまま、ゆっくり頷いた。
「最初は、ただ……金が欲しかった。親が遺した借金があってな。それで引き受けた。でもお前を抱き上げた瞬間、泣きじゃくる顔を見て、逃げたくなった。警察の目を逃れるうちに、俺はお前を本当の娘のように思うようになっていた」

「そんな……」
 私はその場で崩れ落ちそうになった。頭の中が真っ白だった。幼い頃の記憶は、ほとんどない。
 父と一緒に遊園地に行ったこと、悪戯をして怒られたこと、嫌がっていた卒業式にこっそり来てくれていたこと——全部、偽りだったのか。

「じゃあ、私の本当の親は……?」
「生きている。ずっとお前を探しているはずだ」

 面会時間が終わり、父はパイプ椅子から立ち上がった。そして、ガラス越しに一度だけ、私を見て言った。
「お前の人生を奪ってしまって……ごめんな、歩美」
「そんな……」
 父は奥へと連れていかれ、静かに面会室の扉が閉じた。

 その夜、家に帰った私は父の部屋で一晩中座り込んでいた。机の引き出しから、古い写真の束が出てきた。
 四歳くらいの私を抱き上げ、笑う父の姿。写真の裏には「歩美 5歳 新しい歯が生えてきた」と父の字で書かれていた。束をほどくと、どの写真にも同じようにコメントが記されていた。

「歩美 6歳 描いた絵が褒められた」
「歩美 7歳 誕生日だが、機嫌が悪い」
「歩美 9歳 膝のケガで入院」
そういえば、父はデジカメで良く私を撮っていた。全部とまではいかないが、どれも覚えている父との、家族の思い出だ。私は目を腫らしたまま、明け方まで写真を眺めていた。

 翌朝、腫れた目のままで私は警察に連絡した。すると、ずっと私を探してくれていた本当の家族から連絡が入ったという。私の本当の家族……。

 どういう父と母なのか。きょうだいはいるのだろうか。どこに住んでいるのだろうか。そして、どんな家族なのだろうか——

 私は心のどこかでまた、父のあの温かい手の感触を思い出していた。今、私は本当の名前を知り、本当の家族に会う準備をしている。

 それでも、時々思う。

 ならば、あの家で過ごした、私たちの父娘の日々は嘘だったというのか。


——否。


 嘘なんかじゃない。誰よりも私が一番父を知っている。

 雨の日も作業着で学校に迎えに来てくれた父。熱を出してうなされる私の傍でずっと看護してくれた父。
 思春期で冷たくして口を利かなかった時も、文句ひとつ言わずにお弁当を作り続けてくれた父……

 それは、一人の男が、私にくれた二十四年間の、たった一つの真実。

 そんな父は今も、留置所で「ごめんな」と言っているに違いない。私の知る父は、そんな人だった。そんな家族だ。

——では、本当の家族とは、何なのか。

 血が繋がっているだけの人のことなのか?
 ずっと一緒に暮らしている人のことなのか?

 私はまだその言葉に、ちゃんと答えを出せていないまま、トーストと、少し焦げたハムエッグにプチトマトの朝食を、一人でとっていた。