「当たり前」の感覚を疑う知的冒険への招待状 : 久野愛著『感覚史入門 なぜプラスチックを「清潔」に感じるのか』
1. はじめに:なぜ、コンビニのおにぎりは「おいしそう」なのか?
私たちの身の回りには、透明なプラスチックやフィルムで包装された商品があふれています。
コンビニエンスストアのおにぎり、スーパーに並ぶカットフルーツ、あるいは新品のスマートフォンを覆う保護フィルム。
私たちは、それらを見て「清潔だ」「安心だ」「新品だ」と感じます。
しかし、一度立ち止まって考えてみてください。
なぜ、私たちは石油化学製品であるプラスチックの手触りや、無機質な透明さを「清潔」だと感じるのでしょうか?
数百年、数千年の人類史において、木や土、布といった自然素材に囲まれて暮らしてきた私たちが、ここわずか100年ほどの間に登場した新素材に対して、これほどまでにポジティブな身体感覚を抱くようになったのはなぜなのでしょうか。
本書は単なるモノの歴史ではありません。
におい、音、手ざわり、視覚といった「感覚」そのものを歴史的な分析対象とする「感覚史(Sensory History)」という、日本ではまだ耳新しい学問分野への格好の入門書となっています。
2. 「感覚史」とは何か?——歴史の空白を埋める新しい視点
歴史と聞くと、多くの人は戦争や政治、あるいは偉人たちの伝記を思い浮かべるかもしれません。
それらは文書として記録されやすい「大きな物語」です。
しかし、過去を生きた人々が実際に街中でどのようなにおいを嗅ぎ、どのような騒音に包まれ、何に触れて心地よいと感じていたのかという「感覚の記録」は、これまで歴史学の主流からは見過ごされがちでした。
著者は、人間の感覚が決して普遍的なものでも、単なる生理的な反応だけでもないと説きます。
「甘い」「臭い」「うるさい」「心地よい」といった感覚の評価は、その時代の文化や社会構造、そしてテクノロジーによって大きく左右されます。
つまり、感覚には「歴史」があるのです。
本書の第1章および第3章では、この「感覚史」という学問がどのように生まれ、何を明らかにしようとしているのかが丁寧に解説されています。
感覚を生物学的な器官の働きとしてだけでなく、社会的に構築されるものとして捉え直す視点は、読者に「自分の感じ方は、本当に自分だけのものなのだろうか?」という根源的な問いを突きつけます。
3. 「清潔」という感覚の発明——ガラスとプラスチックの革命
本書のサブタイトルにもなっている「なぜプラスチックを『清潔』に感じるのか」という問いは、第4章「素材が変える感覚」で鮮やかに分析されます。
かつて、人々の生活は木材や陶器、布といった、表面に凹凸があり、においや水分を吸収しやすい素材に囲まれていました。
しかし、19世紀後半からの細菌学の発展(細菌が病気の原因であるという発見)とともに、人々の衛生観念は劇的に変化します。
「見えない菌」への恐怖は、汚れが染み込まず、拭き取りやすく、そして中身が透けて見える素材への渇望を生み出しました。
そこで主役となったのが、ガラス、セロハン、そしてプラスチックです。
つるつるとして滑らかな手触り(スムーズネス)と、向こう側が見通せる透明性。
これらは単なる物理的な特徴を超え、「菌が隠れる場所がない=清潔」という新しい感覚的記号として社会に定着していきました。
著者は、こうした素材の普及が、私たちの「清潔」の定義そのものを書き換えてしまった過程を鮮やかに描き出します。
私たちがラップに包まれた食品を見て安心するのは、本能ではなく、近代社会によって「教育」された感覚なのです。
4. 欲望をデザインする——都市空間とデパートの仕掛け
感覚を作り変えたのは、素材だけではありません。
資本主義の発展とともに巨大化した都市や商業施設もまた、私たちの五感を強力にコントロールしてきました。
第2章や第5章では、デパートや都市空間がいかにして人々の購買意欲を掻き立てるために「感覚」を利用してきたかが論じられます。
例えば、ショーウィンドウの巨大なガラス。それは商品を魅力的に見せると同時に、物理的には遮断することで「触りたいけれど触れない」という渇望感を生み出します。
あるいは、空調の効いた快適な温度、計算されたBGM、ふわりと漂う香水の香り。
これらはすべて、消費者を心地よくさせ、財布の紐を緩めるためにデザインされた「感覚の演出」です。
著者は、私たちが自由意志で選んでいると思っている買い物や行動が、実はいかに精緻に設計された感覚的刺激によって誘導されているかを指摘します。
近代都市とは、まさに巨大な「感覚の実験場」だったのです。

5. 体験そのものを商品化する——テーマパークからVRまで
20世紀後半から現代にかけて、感覚の利用はさらに高度化します。「モノ」を売る時代から、「コト(体験)」を売る時代へのシフトです。
第6章、第7章で取り上げられるのは、パック旅行やテーマパーク、そして現代のVR(仮想現実)技術です。
例えば、ディズニーランドのようなテーマパークでは、視覚的な世界観の統一はもちろん、エリアごとに異なる香りや音楽を流すことで、来場者の没入感をコントロールしています。
そこでは、五感で感じる体験そのものが商品としてパッケージ化されています。
さらに現代では、デジタルデバイスを通じて視覚や聴覚が拡張され、メタバース空間のように「身体を伴わない感覚」すらも日常化しつつあります。
かつて19世紀の人々が「パノラマ」という巨大な絵画装置で異国への旅を疑似体験したように、現代の私たちはスマートフォンの画面を通じて世界を感じています。
著者はこの長い系譜を辿りながら、テクノロジーがいかに私たちの身体感覚を拡張し、同時に規格化してきたかを論じます。
6. 「感覚」は誰のものか?——その政治性と危うさ
本書の終盤、第8章「感覚の政治性」では、議論はよりシリアスな深みへと達します。
もし感覚が社会的に作られるものであるならば、そこには必ず「権力」が介在します。
「良いにおい」と「悪臭」、「美しい音」と「騒音」、「洗練された味」と「粗野な味」。
こうした区分けは、往々にして人種、階級、ジェンダーによる差別と結びついてきました。
特定の集団の生活臭を「不快」と断じたり、西洋近代的な無臭・静寂を「文明的」とみなして他国に押し付けたりする歴史。
感覚は、人々を統合するツールにもなれば、他者を排除するための武器にもなり得るのです。
著者は、「生理的に無理」という言葉で片付けられがちな拒絶反応の裏側に、どのような社会的な刷り込みや偏見が潜んでいるのかを自覚することの重要性を説きます。
感覚史を学ぶことは、無意識のうちに私たちが身につけてしまった差別の構造に気づくことでもあるのです。
7. おわりに:世界の見え方をアップデートする一冊
『感覚史入門』は、プラスチックの手触りからVR空間まで、過去100年以上の「感じ方」の変遷を辿る壮大な旅です。
本書を読み終えた後、読者の世界の見え方は少なからず変化しているはずです。
スーパーで手に取るプラスチック容器の冷たさ、カフェで流れるBGM、スマートフォンの画面の明るさ。
これら日常のありふれた風景が、資本主義とテクノロジー、そして歴史的な経緯によって精緻に織り上げられたタペストリーのように見えてくるでしょう。
「なぜ、私はこれを心地よいと感じるのか?」 自分の五感に自覚的になることは、情報と刺激に溢れた現代社会を、より主体的に生きるための第一歩となります。
歴史学の入門書としてだけでなく、現代社会論としても、そしてマーケティングやデザインに関心のある方への教養書としても、広くおすすめしたい一冊です。
私たちの「当たり前」を解きほぐす、知的興奮に満ちたこの新書を、ぜひ手に取ってみてください。
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