「クリーンな社会」が生んだ新たな闇と、私たちが払う代償 : 廣末登著『ヤクザが消えた裏社会』
連日のようにニュースで報じられる「闇バイト」による強盗事件や、高齢者を狙った特殊詐欺。
かつて映画やドラマで見たような、黒いスーツにサングラス、入れ墨を見せて街を闊歩する「ヤクザ」の姿は、今の日本社会においてほとんど見かけることはなくなりました。
暴力団排除条例が全国で施行され、表面上、私たちの街は浄化され、クリーンになったように見えます。
しかし、不思議なことに「体感治安」は良くなるどころか、むしろ「姿の見えない恐怖」が増しているとは感じないでしょうか。
今回ご紹介する新書、廣末登著『ヤクザが消えた裏社会』は、そうした現代社会が抱える矛盾に対し、徹底したフィールドワークに基づき鋭いメスを入れた一冊です。
著者は、犯罪社会学を専門とする社会学者であり、実際に裏社会の住人たちと対話を重ねてきた「現場を知る」研究者です。
本書が突きつけるのは、「暴力団を排除すれば、社会は本当に安全になるのか?」という、私たちが直視してこなかった不都合な真実です。
1. 「ヤクザ」がいなくなった後にやってきたもの
本書の冒頭で語られるのは、かつての裏社会と現在の裏社会の決定的な構造変化です。
かつて、ヤクザ(指定暴力団)は、ある種の「顔の見える悪」でした。
彼らには代紋があり、事務所があり、親分と子分という厳格なヒエラルキーが存在しました。
それは決して肯定されるべき存在ではありませんが、警察当局にとっても、地域社会にとっても、所在と責任の所在が明確な存在でもあったのです。
しかし、警察による取り締まりの強化と、社会全体による排除の動きにより、伝統的な暴力団は弱体化しました。
では、その空白地帯に平和が訪れたかというと、そうではありませんでした。
本書で指摘されているのは、その空白を埋めるように現れた「半グレ」や「匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)」といった、実態の掴めない新たな犯罪集団の台頭です。
著者は、これを「悪なき時代に生まれる悪」と表現しています。
彼らには仁義もなければ、組織としての統制もありません。
SNSを通じて離合集散を繰り返し、一般の若者を「闇バイト」として使い捨ての駒にし、凶悪な犯罪を繰り返す。
プロの犯罪者が素人を操るこのシステムは、従来のヤクザ社会の論理すら通用しない、制御不能なモンスターと化しています。
「ヤクザが消えた」ことで、裏社会の秩序が崩壊し、むしろ一般市民にとってのリスクが高まってしまったという皮肉な現実を、本書はデータと実例を用いて淡々と、しかし力強く描写しています。
2. 暴力団排除条例の功罪と「5年ルール」の壁
本書の中核をなすテーマの一つが、「暴力団排除条例(暴排条例)」がもたらした副作用です。
この条例は、「暴力団を利用しない」「資金を提供しない」「交際しない」ことを掲げ、反社会的勢力を兵糧攻めにする上で絶大な効果を上げました。
しかし、著者はその「行き過ぎた排除」がもたらす弊害について警鐘を鳴らしています。
特に問題視されているのが、元組員に対する社会復帰の壁です。
組織を脱退しても、多くの自治体や金融機関では「おおむね5年間」は暴力団関係者とみなされる条項が存在します。
更生を決意して組織を抜けたとしても、彼らは銀行口座を作れず、アパートを借りることもできず、携帯電話の契約すらままなりません。
本書には、更生を望みながらも、社会の仕組みによって拒絶され、生きる術を失っていく元組員たちの悲痛な声が記録されています。
「人間らしく生きたい」と願っても、社会権(生存権)すら保障されない。その結果、彼らはどうするか。
生きるためには、再び犯罪に手を染めるか、あるいは半グレ集団に知識やノウハウを提供して食いつなぐしか道が残されていないのです。
「更生を望んでも、許さない」。
この社会の厳格な態度が、皮肉にも新たな犯罪者を再生産し、裏社会に人材を還流させてしまっているメカニズムを、著者は論理的に解き明かしています。
3. 「自己責任論」が招く社会の分断と治安悪化
本書を読み進めると、問題の根底にあるのは単なる法律や制度の不備だけではなく、私たち日本人の心に根付いた「不寛容さ」や「過度な自己責任論」であることに気づかされます。
「ヤクザになったのは自業自得だ」「犯罪者に人権など必要ない」 そう考える人は多いかもしれません。
確かに、彼らが過去に犯した罪は償われるべきです。
しかし、著者は問いかけます。
「彼らを社会から完全に排除し続け、追い詰めることが、本当に私たちの安全につながるのか?」と。

追い詰められた人間は、社会に対して牙をむきます。
彼らを「社会の敵」として設定し、排除すればするほど、彼らは地下に潜り、より見えにくく、より凶悪な存在へと変貌していきます。
本書で語られる「自己責任社会の代償」とは、まさにこのことです。
私たちが「あいつらは悪だ」と切り捨て、見ないふりをしてきたツケが、今、強盗や詐欺という形で、私たち自身の生活を脅かし始めているのです。
著者の視点は、犯罪者を擁護するものではありません。
むしろ、感情論を排し、「どうすれば犯罪を減らせるか」という極めて実利的な観点から、現在の排除一辺倒の社会システムに疑問を投げかけているのです。
4. 排除ではなく「社会的包摂」こそが最強の防犯
終章「排除ではなく、社会的包摂を」において、著者はこれからの日本社会が進むべき道筋を提示しています。
それが「ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)」です。
一度道を踏み外した人間であっても、刑期を終え、更生を誓ったのであれば、社会の一員として受け入れる場所を作る。
彼らに「居場所」と「出番(役割)」を与えることこそが、再犯を防ぎ、新たな犯罪組織の拡大を食い止める唯一の解決策であると説きます。
具体的には、就労支援の拡充や、元暴アウトローたちを雇用する企業へのバックアップ、そして何より、社会全体の意識改革が必要です。
著者の廣末氏は、福岡県で更生保護就労支援事業所の所長を務めた経験もあり、実際に多くの元受刑者の就労支援に携わってきました。
机上の空論ではなく、汗と泥にまみれた現場での経験があるからこそ、「人は変われる」という言葉には重みがあり、同時に「社会が変わらなければ、人は変われない」という指摘には説得力があります。
「許さない社会」から「やり直せる社会」へ。
その転換こそが、巡り巡って私たち自身の安全と安心を守ることに繋がるのだというメッセージは、読者の胸に深く突き刺さります。
5. 著者・廣末登氏の視点と、本書を読むべき人
著者の廣末登氏は、黒いスーツの男たちと対峙し、時には膝を突き合わせて話を聞き出してきた、異色の社会学者です。
博士(学術)の学位を持ちながら、永田町の政策担当秘書や更生保護の現場など、多彩な経歴を持つ氏の文章は、アカデミックでありながら非常に平易で、臨場感にあふれています。
本書『ヤクザが消えた裏社会』は、単なる裏社会の暴露本ではありません。
「なぜ、最近治安が悪くなったのか?」と不安を感じている一般の方はもちろん、企業のコンプライアンス担当者、教育関係者、そして「自己責任」という言葉に息苦しさを感じているすべての人に読んでいただきたい一冊です。
「正義」の名の下に行われる「排除」が、いかに脆く危険な社会を作り出してしまうのか。
読み終えた後、ニュースで見る「犯罪者」への眼差しが、そして「安心安全な社会」という言葉の定義が、これまでとは少し違ったものに見えてくるはずです。
本当の正義とは何か、本当の安全とは何か。
混迷を極める令和の時代に、私たち一人ひとりが向き合うべき問いが、この新書には詰まっています。
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