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育てる人になるということ

~育てるという心は、誰の中にも芽生える可能性がある~

だから私は思う。
「誰かを守りたい」と心が動いたとき、
その人の中に、静かで力強い変化が芽生える。
それは、性別や立場に関係なく、誰にでも訪れるもの。
名前のない優しさ、役割を超えた責任感、
それらが重なったとき、人は“育てる人”になるのだと思う。

「母になったのは、いつですか?」
そう聞かれたとき、少しだけ黙ってしまう。
あの日のことを思い出すと、胸の奥がざわめく。
それは喜びだけではない。痛みも、
迷いも、孤独も、確かにそこにあった。

出産の日。
命を産み落とした瞬間、周囲は拍手と歓声に包まれた。
けれど、心は静かだった。
「母になった」と言われても、実感はなかった。
むしろ、何かを失ったような気がした。
自分の体はもう自分だけのものではない。
眠る時間も、食べる時間も、すべてが誰かのために変わっていく。
その変化に、戸惑っていた。

夜中の3時。
何をしても泣き止まない赤ん坊を前に、ただ一緒に泣いた。
「どうして泣いてるの?」
「私じゃ、だめなの?」
そんな言葉が喉元まで来て、飲み込んだ。
その夜、初めて“育てる人”になるということの重さを知った。
完璧じゃなくても、逃げずに向き合ったから。

ある父親は、妻を亡くして幼い娘と二人きりになった。
「ママはどこ?」と聞かれた日、彼は答えられなかった。
でも、髪を結び、服を選び、絵本を読んで、
彼は少しずつ“育てる人”になっていった。
誰かの痛みを受け止める覚悟が、彼を変えた。

ある人は、誰かの大切な存在を共に育てることになった。
最初は距離があった。
でも、毎晩の食卓、送り迎え、誕生日のケーキ。
その積み重ねが、彼や彼女を“育てる人”にした。
血のつながりはなくても、愛は確かにそこにあった。

ある人は、性別の枠を越えて、自分の中の優しさを育てた。
「私は育てたい」と願ったその日から、
彼女は、彼は、彼らは、“育てる人”になった。
社会が定めた枠を越えて、心が選んだ道だった。

そしてある人は、誰の親でもなかった。
けれど、ある日、鏡の中の自分に言った。
「もう、傷つけない。私を守る」
その瞬間、彼や彼女は“育てる人”になった。
過去の痛みを抱えながら、自分を育て直すことを選んだ。
誰かに愛される前に、自分を愛することを覚えた。

育てる人になるということ。
それは、命を産むことだけではない。
誰かを支えたいと願うこと。
愛することを選ぶこと。
そして、時に自分自身を抱きしめること。

その日は、一度きりではない。
何度も、何度も、私たちは“育てる人”になっていく。
迷いながら、泣きながら、笑いながら、
そして、愛しながら。

この世界に、もっと自由で、もっと広く、
もっと優しい“育てる人”が増えていくことを願って。
それぞれの「育てる人になるということ」が、
讃えられる社会でありますように。

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