普通に生きたいだけなのに
遠くで暮らす親との電話。最近のことを話しているなかで、そんな言葉が溢れた。
裕福な暮らしがしたいわけではないし、多くの繋がりが欲しいわけでもない。何者かになりたい、そんな大きな願望はない。
ただ毎日働いて、少しずつできることが増えて、今日も頑張ったと思いながら安心して眠る。いずれは家族もできて、一緒に食卓を囲みながら毎日を過ごし、休日は家族と何気ない時間を過ごす……
もしかしたらこれは贅沢なことなのかもしれない。だけど学生の頃の自分はそんな毎日を期待し社会人になった。
気づけば社会人5年目になった今、普通に生きることがどれほど難しいことか、現実を目の当たりにしている。
段々と任される仕事が増えてきて、裁量も責任も大きくなっていく。案件を掛け持つことが当たり前になってきた。さらにはAIを活用して、短い時間で多くの成果を期待されるようになった。確かにその便利さに何度も助けられてはいるが、実質一人分の作業量は増えているように感じる。
もちろん期待には応えたい、と思う反面、
パソコンを閉じてもタスクが終わらない、未完了がずっとある感覚。寝る前にあれやってない、あれ大丈夫だったかな、と思い返してなかなか寝付けない日々。
週5日心を殺して働いて、週2日心を取り戻すために体を休める毎日。生きるために仕事をしているのか、仕事をするために生きているのか、わからなくなる日もある。
辛いなら辞めればいい。
きっとそう思う人もいる。だけど生きるためにはお金が必要で、働かなければならない。お金の問題はずっと消えない。
エンジニアとして働いてきたけど、この先も続けたいという熱意はもうない。転職したとしても同じ結果になる気がして、自分に合う働き方がまだ形になってない。
こんな状況で今の仕事を辞めたら、この先、生きていけるのだろうか。そんな不安が頭から離れない。
このままじゃ「普通に生きる」ができない。
働きたくない、わけではない。
ただ、心を殺して働きたくない。
もう少し、心に余裕が欲しい。
ご飯を食べたりお風呂に入らないといけないのに、気づいたらだらだらとリールを流して数時間が経っている。
仕事が終わった後、心と体はくたくたで、やりたいことをやる気力は湧いてこない。
だから、今の自分には、“心に余白を持つ”ことが大切だと思った。あえて時間を気にせず過ごすことで、忘れていた感覚が少しずつ戻ってくるように感じる。
少し早く起きて、お湯を注ぎながらコーヒーの匂いで落ち着く朝。外を歩いて、道は変わらないけど、木や花から季節の変化を感じる時間。ショッピングや古着屋さんに出掛けて、時間を気にせずただただ巡って、好きなものを見つけても見つけなくても、来て良かったと思う休日。そんな余白。
何をしている時が、自分の心に余白を作れるか。
これからもっと見つけていこうと思う。
“心に余白を持つ”ことが「普通に生きる」に繋がると信じて、この感覚を大切にしていきたい。
