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褒められるを受け入れる

大なり小なり、日常の中で誰かがあなたを褒めてくれることがあると思う。


褒めるという行為は、人の良い所を見つけて、それを言語化する行いだけれども、それを日常で実践している人って、本当にすごいなと思う。

めちゃめちゃ忖度していたり、お世辞であることが見え透いてるケースを除いて、褒めるという行為はきっと誰かを救ってる。

そう、褒める、褒められるというのはポジティブなものだと、頭ではしっかり理解できている。


なのに、私は褒められることが得意じゃない。
以前よりは受け入れることができているけれども、それでも褒められた瞬間に、ちょっぴり褒められた内容を否定してしまう。
脊髄反射的に。


この前卓球の練習をしているとき、めっちゃ強い人から「君、上手くなったし強くなったよね」と言われた。
もちろん嬉しかったけれど、その時のパフォーマンスに満足いってなかったこともあって、「いや〜、まだまだですよ」と第一声を発してしまった。
それを聞いた褒めてくれた人は、ちょっぴり微妙な顔をしてたかな。

あちゃ〜、またやっちゃったよ。と思った。なぜ自分はこんなに褒められることが苦手なんだろう…。


なので内省をして、深掘りしてみた。
そうすると、少し面白いことがみえてきた。

きっと自分はプライドが高くて、完璧主義なんだろう。まさにダブルパンチ。そう思った。

自分で満足行く地点は設定してあって、そこに至ることができないと、自分で自分を認めることができない。
その状態で誰かが褒めてくれても、そもそも自分に満足していない状態なので、すぐに受け入れることができない。

自分ならこれくらいやれるはず、というある一種のプライドと、それを隙無く達成したいという完璧主義。これがハイブリットされると、褒められることが苦手な人間が出来上がる。これだけ聞くと、ちょっぴりイヤなやつになりかねないよね。


でもこんなことが見えてきたから、逆に対処する方法も思い付いた。

それは、


細かいステップごとに、自分を褒めたり認めてあげること。


結局どんな人だって、それこそ大谷翔平だって、途中を飛ばして成長してるように見えて、地道に階段を登っているんだと思う。登る速さは違うかもしれないけどね。

つまり、何か理想の状態を設定したとき、急にそこに至れるわけじゃない。数えきれないほどの細かいステップを登った先に、その理想をつかむことができるんだろう。

こうやって考えると、
「今日はこれができた」、「1ヶ月でこれができた」、「1年でこれができた」
この度に自分を褒めることができる。着実に登っている実感も得ることができる。


そうやって自分を褒めることができれば、きっと人から褒めてもらえたときに、真っ先に

「ありがとう!」

と言えるんじゃないかな。


次に誰かが褒めてくれたら、つべこべ言わずに「ありがとう」と言ってみて。
きっとイヤな気分にはならないし、心に何かが灯るだろうから。



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