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えらい人の話

 昔から、えらい人の話はたいがい退屈だと相場が決まっている。校長の訓話などはその代表で、おそらくどの学校でも、体育館に集まって聞いている生徒の実質の「視聴率」は30%以下だろう。聞いているような風を装ってはいるが、頭の中は部活のことや放課後の遊びのこと、斜め前にいるちょっと気になる女子生徒のこと、給食のことぐらいだ。私が生徒だった頃はそうだったから、きっとみんな似たようなものだ。

 自分が教員になってからは、生徒たちの横か後ろの教員の席で校長の話を聞いていたが、それでも私の実質視聴率は50%程度だったように思う。困った教員だ。
 まれに話の面白い校長もいたが、そういう話の中味は、校長の立場とはほとんど関係のない、その人自身の個人的な体験や思いの詰まった話だった。だから、えらい人の話が下手なわけではない。「えらい人の立場」が話をつまらなくしている。歴代首相の演説が面白くないのも道理である。

 数年前から、地元のコミセンが発行している広報紙の編集のお手伝いをしている。人が書いた原稿を、チェックして誤字や読みにくい箇所を修正するような仕事が主で、自分で文章を書かずに人の「アラ探し」ばかりしているようでいささか気が引ける。

 コミセンの広報紙という性質上、どうしても始めの方のページには何々会長とか、えらい人の「新任のあいさつ」や「今年度の活動方針」などが並ぶ。どう考えても愉快な文章にはなりそうにない。こういう文章を書かなければならない立場の人は大変だな、と同情してしまう。そんな文章を苦労して書いた上に、私のような者に「アラ探し」をされるのだから、ますます気の毒である。

 この広報紙の最終ページには、「〇〇〇再発見」というシリーズが連載されている。〇〇〇には地区名が入る。地元の歴史研究グループが、この地域の歴史にまつわる話題を取り上げて執筆しておられる。すでに80回を超えて連載されているのだが、これがめっぽう面白い。この地域の寺社や旧跡、役場や駅などの建造物、祭礼や風習、そういったあらゆるものを素材にして、その由来や歴史の流れが描かれる。古文書の引用があったり、やたら旧字体の漢字が出てきて、決して読みやすいわけではないし、特にユーモアが盛り込まれているわけでもないのに、なぜか読み応えがあり、面白い。わが広報紙の目玉である。

 やがて、わかった。このシリーズは読んだ者に、なるほどそうだったかと発見する喜びを与えてくれる。読んだ者の「気づき」を促してくれるのだ。

 えらい人の話や文章が面白くないのは、結局それを聞く人、読む人が何かに気づくチャンスを与えられず、一方的に話をうけたまわるだけの立場に置かれるからだ。

 友達との会話でもそうで、一方的な自慢話なんかはちっとも心を動かされない。相手の話に発見や賛同や反論の余地があってはじめて、会話が楽しいものになる。「突っ込みどころ満載」な方が会話が盛り上がる、ということだ。

 安心した。おそらく私のこのエッセイは、突っ込みどころはふんだんにある。これでいいのだ。いいですよね、編集長。

2022年8月10日

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