見出し画像

【創作大賞2026】DIYの戦場:塗装と配管から学んだ「二人の呼吸」、そして職人の矜持

農舎を塗るにあたり、塗装に詳しい友人に概算を頼んだところ、手間賃を含めて六万元は下らないという。決して小さな出費ではない。友人は肩をすくめてこう言った。
「家は借り物だ。壁が剥がれていないなら、下地処理など無用だ。箒で埃や蜘蛛の巣を払い、雑巾で拭き清める。あとは水性塗料を二度、三度と重ねれば見違える。塗装なんて簡単なものさ。ローラーさえあれば自分でもできる。売り物にするわけじゃないんだから、完璧など求めるな」
ペンキ屋に足繁く通い、六千元で塗料と道具を揃えた。店主から「屋内の壁か、それとも外壁か?」と問われ、屋外には耐候性と防水性が不可欠だと教わる。店主と交わしたそんな何気ない会話が、後に友情へと繋がった。塗装当日は友人と二人、上と下で分担して刷毛を動かした。三日間で二度塗りまで完遂し、六万元の工程を十分の一の費用に抑え込めたことは、私に大きな自信を与えてくれた。
この経験で学んだことがある。DIYによる修繕には、節約のための「工法」があり、自ら学び、手を動かそうとする意志さえあれば、どんな困難も克服できるのだと。
農舎の修繕には、身体を張る根気と時間、そして何より「知恵」が求められる。単に肉体を酷使するだけではなく、作業の全体像を俯瞰する頭脳の働きが不可欠なのだ。当初は経験の乏しさゆえに、進捗を読み違えては、終わりなき細部の連鎖に立ち尽くすことも多かった。一つの作業を終えれば、また別の未踏の課題が立ちはだかる。その繰り返しである。
連日の激務にふと息をつき、周囲を見渡す。環境は確かに整いつつある。だが、未完の仕事は山積していた。ふと、かつて水電の親方が指揮した、あの迅速かつ敏捷な作業風景が脳裏をよぎる。
親方の下で、二人の助手が阿吽の呼吸で動き回る様子。職人たちが口にする「合の手(あいづい)」という言葉の真意が、今ようやく腑に落ちた気がした。左官であれ塗装であれ、彼らが二人一組で現場に立つのは、単なる人手不足の補完ではない。経験の蓄積と、二人の間で重なる「呼吸」。それこそが、仕事を完遂へと導く唯一無二の鍵なのだ。

私といえば、新兵も同然の身だ。友人の力を借りただけの寄せ集めの軍勢で、経験などあるはずもない。手探りで挑み、現場で汗を流して学ぶしかなかった。屋内に積もった厚い泥の層を剥がすところから、私たちの戦いは始まった。スコップを振るい、土を削り、箒で埃を掃き出す。そして水で床や壁を洗い清め、汚水を除去しては再び磨き上げる。たったそれだけの清掃に丸一日を費やし、送風機を回して三、四日、壁が完全に乾くのを待った。
工程の連鎖には、精密な段取りが求められる。塗装が乾かなければ、水電の職人たちは手出しができない。一つの遅れが全体の停滞を招くその様は、まさに戦場だ。偵察、砲撃、歩兵の進軍——。部隊を布陣させ、指揮系統を整えるように、私は限られた時間と労力を配置していった。
壁の乾燥を待つ合間に、大型重機を招き入れての整地と溝掘りを進める。水電の親方から託された図面に従い、重機のレバーを操るオペレーターへ指示を飛ばす。暗渠の出口を塞いでいた泥を掘り起こしながら、私は脳内で次なる布陣を練っていた。庭の整理、法面の草刈り、窓ガラスの補修、貯水タンクの設置。さらには水管や塗料、工具の調達計画まで。私の手元のノートは、処理すべき課題で埋め尽くされていた。優先順位をつけ、終わらぬものは切り捨てる。入居後の生活へ先送りできるものは、容赦なく後回しにした。

本文は、江冠明の新作『途中で飛び降りたタンゴとチャチャ — 私の台湾農舎生活』からの抜粋です。

※ 本書は既に完稿しております。出版・映像化に関するお問い合わせは、下記メールアドレスまでご連絡ください。

Email: pasakitchen55@gmail.com

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集