「老トラックと『小乖乖』:職人・瘋明が見せた重機操作の美学」
その日の午後、重機オペレーターの「瘋明(フォンミン)」が現場に現れた。いつも顔をほころばせ、冗談を好む陽気な男だった。
彼の話には、いつもどこか毒っ気のある皮肉や、真偽不明な戯言が混ざっている。最初は戸惑ったが、すぐに合点がいった。退屈な田舎の日常において、互いに軽口を叩き、笑い飛ばすことは、人間関係を円滑にするための大切な潤滑剤なのだ。人生、笑って過ごすに越したことはない。
彼は車を降りるなり、閩南語でこう名乗った。「俺は『ショウ(肖)』だ。皆からは『ショウ・ミン(肖明)』と呼ばれてる」
後で知ったのだが、彼の本名は「蕭」という。だが、その常軌を逸した軽快な冗談と破天荒な振る舞いから、いつしか地元の人々は彼を台湾語の「肖(イカれた)」になぞらえて、「肖明」と呼ぶようになった。それは嘲りではなく、むしろ都蘭の風土に根差した、親愛を込めたニックネームだったのだろう。
翌日、瘋明はボロいトラックを駆って現れた。タイヤは溝も消え失せ、車体は悲鳴のような異音を立て、今にも瓦解しそうな代物だ。その荷台には、これまた年季の入ったユンボが鎮座している。
彼は軽やかにユンボへと飛び乗った。エンジンを始動させると、早朝の老人が咳き込むような重苦しい音が響き、全身を震わせて喘いでいる。彼が手慣れた手つきでボンネットを叩き、調整を加えてようやく荒い息吹を整えた。運転席にはスパナやドライバーが無造作に散乱し、まるで彼は常に車と対話し、その機嫌を直しながら生きているようだった。どこからこんな骨董品を見つけてくるのか、溜息が出る。
だが、ユンボを操るその手際は圧巻だった。アームを地面に突き刺して体を浮かせるや、キャタピラを滑らせるようにしてトラックから降り立つ。ブレーキの利かない老トラックが前後になだらかに滑る中、ユンボは滑り台を滑る子供のように、軽々と地面へと着地した。撤収の際も、アームを荷台に引っ掛けて一気に引き寄せ、這い上がる。その間、わずか二分。彼の身体の一部と化した機械の操縦術に、私は感服するしかなかった。
サンダル履きに煙草、檳榔を噛み、保力達(ボォリダ)を煽る。これが瘋明の流儀だ。数日も経てば、私も彼らに倣って檳榔を口にし、労働者の飲料を啜るようになっていた。もっとも、保力達に練乳や沙士(サーシー)を混ぜる独特の流儀にだけは馴染めなかったが。
私が保力達を手にすると、瘋明は疑わしげに目を細めた。 「インテリのあんたがこれを飲むのか? 面白い。乾杯だ!」 仕事の前、煙草を一服差し出し、檳榔を分け合い、保力達を一口酌み交わす。それがこの地における挨拶であり、礼儀だった。通りすがりの隣人さえも、当たり前のようにそうして互いの無事を労っていた。
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▼ 本作は「創作大賞2026(ノンフィクション部門)」応募作品です。 台湾・都蘭の荒野で、泥と格闘し、漂流木を拾い集め、時に地元職人の「瘋明(フォンミン)」と共に重機を操る——。そんな名もなき労働と日常の細部から手に入れたのは、「世界を自分自身の手で建て直す術」でした。 一台の菜刀と弱火の哲学とともに、都蘭の山林から発信する、生命と素材をめぐる「引き算の暮らし」の記録を連載でお届けしています。
▼ はじめての方へ(著者プロフィール・書籍全貌はこちら) 連結:「都蘭山居手帖:泥と風、そして漂泊の記憶」
