『Deep Impact 』第2話
「スラップ……クイーン? ビンタ女王ってこと?」
「うん」
愛之助はあたしにスラップ・トライアスロンの説明を始めた。
海外で始まったニッチなビンタ大会は、交互に頬を張り合うだけのシンプルな競技だった。
でも、ここ数年で派生して様々な競技が生まれた。
種目はスラップ・サーキット、スラップ・ボルダリング、スラップ・アート、スラップ・バトルと多岐に渡り、これらの競技を総称して『スラップ・トライアスロン』と言うらしい。
「で? 愛之助はここの選手なの?」
「違う、選手じゃないよ。俺はこのジム専属の受け手……キャッチャーさ」
「キャッチャー? それってビンタを張られる専門ってこと?」
「うん、俺はね波瑠、世界一のBM……ビンタ・マイスターを目指してるんだ」
愛之助は語った──
小学一年の頃、動画配信サイトで『道行く女性にビンタされてみた』という動画を視聴した瞬間、ビンタに興味を抱いたと。
わざと忘れ物をして、担任の女教師から生活指導を受けた際、「もう忘れ物をしないように戒めたい」と、自らビンタを懇願し、内密にするという約束を交わして、全力のビンタを張ってもらったと。
このビンタから得た刺激により、愛之助は究極のBMになる決意をしたと──
「あのビンタ以降、毎日、色んな女の子からビンタを張られ続けてきたんだ。一日も欠かさずにね」
毎日……確かに、今日もあたしにビンタ張られたもんね。
ビンタに魅了された経緯を、淡々とした口調で語った愛之助。でも、その眼差しは真剣そのものだった。
「まぁ、愛之助のことは何となくわかったよ。つまり、究極のドMってことでしょ?」
「違うよ、俺はドMじゃない、ドBだよ。SMとか興味ないし」
ドB……ビンタのBってこと?
「ふーん、で? 愛之助はあたしに何をさせたい訳?」
「とりあえずさ、アレ、やってみない?」
愛之助が指差した方向を見ると、何やら黒い上半身だけのマネキンが置いてある。
「何よアレ?」
「ビンタのスペックを計測するマシンさ」
☆
愛之助から「パンチングマシンみたいな計測機だよ」と説明を受けたあたしは、マネキンの頬っぺたを触ってみた。
グニグニ……ペチ、ペチン。
「うわ……本物の頬っぺたみたい」
「特殊配合されたシリコン製だからね。限りなく人の皮膚に近いんだ。じゃあ、思いきり張ってみて」
「うん……」
マネキンの頬っぺたに右手を添えて、バレーのボールをスパイクするイメージをしながら右腕を後方へ引いた。
「せぇ、のっ!」
──バチイィィン!
わ……凄い手応え。コレ、けっこう快感かも。
マネキンにビンタを張ると、胸部に埋め込まれている液晶モニターに、【330SP】と表示された。
「1発目で300越えの数値を叩き出すなんて、流石は女子バレー選手だね」
『元バレー選手』って言わないんだ。優しいじゃん。
「ねぇ、この数値はいい方なの?」
「一般的な女性で、平均50SPから80SPぐらいかな。ちなみにSPはスラップパワーの略称だよ」
「ふーん、そうなんだ」
すご! あたし、すごっ!
塩反応でサラッと流してみたものの、本音はめちゃくちゃ嬉しかった。
手のひら、真っ赤だ。それにジンジンする。
そう言えば、こんなにも思いきりスパイクしたのって、久しぶりだな……まぁ、正確にはビンタだけど。
ボールじゃなくても、何かを叩くのって、こんなにも気持ちいいんだ。
「波瑠、今の感覚が残ってる内に、俺にも張って」
「はぁ!? また!? さっき張ってあげたじゃん」
「足りないよ、圧倒的にね。俺が普段ジムで受けるビンタの数は、最低でも千発だから」
「せ……千発ぅ!?」
「うん。波瑠のMAXSPも判明したし、ウォームアップ代わりにとりあえず3分間ビンタ張り続けて。強さは大体200前後でお願い」
「3分って……いや、あたしは――」
ピッ!
「始め」
あたしの意見に聞く耳を持たない愛之助は、ストップウォッチで時間を計り始めた。
「あー! もぉ!」
パァン! パァン! パァンパァンパァンパァンパァンパァン──
「段々速くね、馴れてきたら左右交互に」
「注文多っ!」
パン! パン! パン、パン、パンパンパンパンパンパンパン──
「……3分経過。波瑠、止めていいよ」
「ハァ、ハァ……」
何コレ? あたしは一体何やらされてるの?
肩で息をするあたしに対して、愛之助は涼しげな表情で頬っぺたに手の甲を当てた。
「……うん、いい感じに暖まってきた」
「いやいやいやいや! ウォームアップって、あたしじゃなくて愛之助のウォームアップだったの!?」
っていうか、80%ぐらいの力とは言え、3分間ビンタをバッチバチに張られ続けて、なんで平気なのぉ!?
「次、アレやってみよっか」
愛之助は壁面を指差した。
「アレって、ボルダリング?」
「うん、簡単にルールを説明するね。通常のボルダリングみたいに登っていくと……」
「ちょい、ちょいちょおーい! 待って待って! あたしやるなんて一言も言ってないし、そもそもさっきから一体何なの!? まるであたしがこのジムに入会したみたいな……」
「5つの通過ポイントがあるから、そのポイントで……」
「聞いちゃいねぇ! 全……然っ、聞いちゃいねぇ!」
ハァ……マジでなんなのよ。
「……これがスラップ・ボルダリングのルール。じゃあ、やってみようか」
「あい……」
☆
ジャージに着替えて転落防止用のリードを装着させられたあたしは、壁沿いに立って真上を見据えた。
ボルタリングかぁ、久しぶりだなぁ。
バレー部に居た頃、基礎体力向上の目的でやっていたから要領は得ているけど……。
色分けされたホールドを掴み、クライミングを始めた。
「しょっ……と」
わ……やっぱ結構キツイな。握力も落ちてるし。
身体の割りに手のひらが大きいあたし。掴む動作は得意分野だけど、バレー部を辞めてからの運動不足が足を引っ張ってくる。
「んん……」
えっと、最初のポイントは……。
この競技は5つの通過ポイントがあるらしく、そこを通過しなければクリアにはならないみたい。
てゆーかコレ、ビンタ関係なくない?
第1通過ポイントの目印が見えた。よし、このまま一気に上へ……アレ?
目印の箇所にホールドがない。ポッカリと穴が開いているだけだ。
え? コレはどうするの?
穴の付近に近づいたその時──
ズボッ!
穴の中から愛之助の顔が飛び出してきた。
「おわぁ!」
驚いてホールドから手を離し落下しかけたけど、咄嗟にリードを引き寄せてホールドを掴んだ。
「ちょ、ちょっと何よいきなり!」
「なんで驚いてるの?」
「いきなり顔が出てきたら誰でも驚くよ!」
「ポイントから顔を出したキャッチャーにビンタを張って通過するって……さっき説明したよね?」
……聞いてなかった。
なるほど、だからスラップ・ボルダリングなのか。
「波瑠」
「なによ?」
「ビンタ……はやく張って」
「……んもぉ!」
パァン!
左手でビンタを張ると、愛之助は穴の中に引っ込んでいった。
モグラ叩きか!
その後、第2、第3、第4ポイントを通過。
ポイント毎に愛之助が顔を出してくるのがウザイ!
最終第5ポイントで思いきりビンタを張って、何とか頂上へ到着した。
「う~、コレ絶対明日の朝、筋肉痛になるヤツじゃん」
「お疲れ様、第3ポイントの時に張ったビンタ、指だったよ。減点対象になるから気をつけてね」
「……減点って、あんなにキツイ体勢でビンタなんて張れないよ」
「難関でミートさせると加点対象だから、間接の可動域を広げるためにスイングの練習しないとね。はい張って」
「え!? まだビンタ張るの!?」
「勿論。何かおかしなこと言ってる?」
この人……完全にビンタ中毒じゃん。
「いや、ちょっと休憩させてよ~。また後で張ってあげるからぁ~」
「わかった。5分休憩ね。俺はその間に他の選手にビンタ張ってもらってくるから」
ビンタ中毒というか、ストイックというか。
まぁ、スラップ・トライアスロンが競技である以上は、練習熱心な努力家として見るべきなのかも。
少しの間、ベンチで項垂れていると、「お疲れー」と声を掛けられた。
さっきリングで練習していた金髪ポニーテールの美人だ。
「お……お疲れ様です」
「はいコレ、良かったら飲んで」
彼女はスポドリを手渡してきた。
「ありがとう……ございます」
「私、芹沢結月、よろしくね!」
「平手……波瑠です」
芹沢さんは右手を差し出してきた。あたしはその手を握った。
「へぇ~、手のひらおっきいね。波瑠ちゃん背はいくつ?」
「155センチです」
結構コンプレックスなんだけど、手が大きいの。しかもこんな美人に言われると……恥ずかしいや。
「ふーん、愛之助が気に入る訳だ」
「え?」
「アイツさ、背が低くて、手が大きい女の子がタイプみたい。ギャップ萌えってヤツ? ところで波瑠ちゃん、私と勝負してみない?」
第3話に続く
