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大体これ一本で分かる!発達障害の歴史( 一一)👍【ASD編】

どうも、タヌタローです。
此れが本格的な記事としては初めてになります。

今回はASDの歴史とちょっとした小話を資料を交えて書かせて頂きました。
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コラムについて

・『精神的な異常な子供』の講演による自閉症の定義
・此処が問題だった『カーナー自閉症』の問題点
・アスペルガー医師の意見とカナー医師の相違点
・自閉症を有名にした一生に一度は見るべき伝説の映画
・何故カーナー医師とアスペルガー医師の思考が酷似したのか



ASDの歴史的背景

1:ハンス・アスペルガーの登場

 そもそも自閉症は1938年10月3日にハンス・アスペルガー医師(Hans Asperger[1906.2.18~1980.10.21])が『情動的交流の自閉的障害』について『精神的に異常な子供』というタイトルで講演し、自閉症を提起したのが始まりです。
 彼もまた自閉症の症状を持っており、2人の少年のケーススタディを使用して講演しました。しかし、この当時の自閉症の認識は”統合失調症”の根本的特徴との認識が世間では強く1938年時点では彼が提起した自閉症の認識が注目されることはありませんでした。少なからず彼の定義は限りなく現代認知されているASDの基準にかなり近いものです。

『精神的に異常な子供』の講演による自閉症の定義
・これ等の子供は実用的な知的(抽象的思考)では平均を下回る
・一方で実用的な有用性(恐らく論理思考)とキャラクターの価値を含む本能(恐らくアイデンティティの確立や拘り等の独自の性格の獲得面)では相対的に優れている。
・これ等のケースに於いては遺伝性疾患と同様の対応を取るべきである。
・またこの診断が下される場合、弱点である抽象的思考のカバーに加えて個人の長所、興味本位等の教育の配慮が必要であると述べている。
 またこの時点では年齢に比べ知的だが精神的・肉体的な過敏症の症例を持つ側面についての言及はされませんでした。

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自閉症|80年の歴史まとめ|自閉スペクトラム症にまとめられるまで | ASDの森


2:ようやく自閉症が定義される

 時は変わり1943年アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学の医学児童部門の創設者レオ・カナー医師(Leo Kanner[1894.6.13~1981.4.3])により自閉症の臨床報告が行われ初めて『自閉症』が定義されました。現在では『古典的自閉症』『カナー自閉症』と呼ばれています。またアスペルガー医師とほぼ同時期に同じ単語を使用し、同様の思考に至ったと言われています(面識はない)
 離れていても全く同じ思想、単語の使用をする二人、不思議です…。何か裏がありそうで怪しいですよね?( 一一)✨

此処が問題だった『カナー自閉症』の問題点
 彼(カナー医師)の論文『情緒的接触の自閉障害』にて自閉症は「先天的」であると表記したものの原因は”冷静で冷酷な親による愛情不足による育て方”が原因であるとしたこと。此れはケーススタディとして使用した11人の子供の両親の態度から『かなり冷たい態度』が見えると彼が述べたことが原因である。また彼の論文に於ける定義は”極端に限定的な症例”であった。
 個人的な憶測でありますがカナー医師の父は不愛想で交際下手、引きこもりがちであり無意味な知識の獲得に没頭するような人物であると評価されており親と言う存在に対して彼は不信感を抱いていたのではないかというのも此の様な極端思考の原因になったのでは?自分は考えています。
 しかしこれ等の問題により『身内に自閉症がいる』という事は一族の苦悶の種になってしまいました。

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3:努力虚しいアスペルガー医師

 1944年にアスペルガー医師が『小児期の?自閉的な精神病者』をウィーン大学に提出しましたが此方もこの当時は注目されることは在りませんでした。因みにこの論文は1926年に発表されたソ連のグルーニャ・スハレヴァ医師(Grunya Sukhareva[1891.11.11~1981.4.26])が出した論文に非常に酷似していました。
 余談ですが精神医学界に於いて自閉症と言う言葉を初めて用いた医師こそスハレヴァ医師でした。勿論この時点では統合失調症との明確な区分は無くその中の一つと言う認識になっています。

アスペルガー医師の意見とカナー医師の相違点
・自閉症の知的格差は様々でまた症例に関しても多種多様な幅広い連続体(スペクトラムな症例)である。
・原因は遺伝による物(特にそれらの症例を持つ親族又は家族に要因が有るとされた)
 明らかにアスペルガー医師の論文の方が正しいのに、では何故カナー医師の論文が注目されたのか…。其れはカナー医師が関わった大学であるジョンズ・ホプキンズ大学が当時世界屈指の医学部の最難関大学であったことに加えてアメリカ初の児童精神科医であった為に知名度が明白だったわけです。
 因みにカナー医師が論文を出す8年前の時点で『児童精神医学』という学会向けの教科書の作成も行い研究者に大きな影響を与えていました。
 勿論、アスペルガー医師の論文が発表されたのが第二次世界大戦中の真っ只中という事とこの当時ナチスにより行われていたT4計画に参加していたこともありアスペルガー医師の論文は注目される余裕など当時は無かったわけです。悲しいですね( 一一)😢

【アスペルガー医師】とは?|生い立ち|アスペルガー症候群命名の経緯 | ASDの森


4:ローナー・ウィング博士の登場

 長年報われなかったアスペルガー医師の論文も等々報われる時が来ました。時代は変わり論文が発表されてから37年後の1981年、ローナー・ウィング医師(Lorna Wing[1928.10.7~2014.6.6])の目にアスペルガー医師の論文『小児期の?自閉的な精神病者』が止まり、此れ等の症例を彼の偉業になぞらえてアスペルガー症候群と名付けられました。また、ウィング医師の娘が重度自閉症で在り、自閉症の親と共に英国自閉症協会(NAS)を設立したことも有名な話です。

自閉症を有名にした一生に一度は見るべき伝説の映画
 世間一般に自閉症が知られる切っ掛けになった有名な映画があります。
 1989年2月25日にアメリカで公開された映画『レインマン』です。自由奔放な性格な青年と重度自閉症(サヴァン症候群)の兄が出会い、兄弟愛と心情変化を描いたヒューマンドラマです。ネタバレを避ける為詳しい部分の言及は避けさせて頂きますが自分も未視聴なので機会があれば見てみようかなと考えています。( 一一)👍

レインマン - Wikipedia

5:自閉症の基準が変わる。

 等々、現代まで近くなりましたね。
 時代は1998年、アスペルガー医師が提示した自閉症の定義にはまだ完璧ではない側面がありましたね
(☞”『精神的に異常な子供』の講演による自閉症の定義”を参照ください)。
思い出してください
 『年齢に比べ知的だが精神的・肉体的な過敏症の症例を持つ側面についての言及の側面』
この部分です。所謂『高機能自閉症』と言われるアスペルガータイプでもカナータイプでも無い人たちの事です。因みに僕もその高機能自閉症のタイプにあたります( 一一)👍。

此処までの歴史解説もそろそろ終わりに成ります。長かった…。
 時代は流れとうとう2013年。ようやくこれ等の自閉症系統がまとめられ『自閉スペクトラム症』と呼ばれるようになりました。様々な医者が協力し最終的にこの結論が導かれました。長かった自閉症の80年の歴史でした。( 一一)万歳👏

何故カーナー医師とアスペルガー医師の思考が酷似したのか
 先程、僕はカーナー医師の言動がアスペルガー医師と非常に酷似してお怪しいと述べました。アスペルガー医師の論文の件は一切知らないという立場のカーナー医師でしたが実際はアスペルガー医師の同僚であるゲオルグ・フランクル医師(Georg Frankl[1921.12.12~2004.12.25])が1937年にオーストラリアからアメリカにユダヤ人扇動の件もあり逃亡した際にフランクル医師からカーナー医師にアスペルガー博士の自閉症の研究知識が渡ったという経緯に成ります。意図して起きた事では無いですが結果的にアスペルガー医師の功績を奪う形になってしまった訳です。( 一一)😢



最後に其々の余談と感想

1:ちょっとした余談( 一一)👍

アスペルガー医師がウィーン大学にこだわる理由

 アスペルガーの幼少期は取り分け孤独な子供だったらしい。彼の子供時代は特に語学に秀でた才能が有り、特にドイツの詩人のフランツ・グリルパルツァー(Franz Grillparzer[1791.11.5~1871.1.12])に興味を持ちその言葉を引用する様子が多々あったという。

 では何故、ウィーン大学に拘ったのか。其れはフランツ・グリルパルツァーがウィーン大学で法律を勉強していた所謂ゆかりの人物だったからである。
 なので、卒業した大学はウィーン大学で勤め先も、ウィーン大学総合病院(1784年創業)。その上更に、その中で創業20年を迎えていたウィーン大学小児クリックに所属していました。

 加えて現代の基準でアスペルガー医師を診断するならば、恐らく孤立型ASDで高機能自閉症、合併として過読症(ハイパークレシア)であった可能性が高いです。( 一一)👌

アスペルガー医師は案外冷酷にもなれたという話

 アスペルガー医師は自分がASDを持っている人間であり研究論文もあり発達障害が社会に順応して生きる事が出来る社会を目指して研究していた博士の一人ですが…。その状況はいったん1935年に塗り替わる事に成ります。

 そうです。ユダヤ人扇動です。此れがオーストリアの病院等では特に顕著になり1938年3月18日、ナチス・ドイツによるオーストラリア併合が行われたことでユダヤ人の医者の3分の2は逃亡又は追放という形でいなくなりました。最終的に行われる事に成ったT4計画(障害者安楽死計画)が行われた際NSAPD(国家社会主義ドイツ労働者党)には入らなかったものの順応し時にはその職員よりも冷酷な対応もとる事が有ったとされています。現在では資料が少なく実際如何だったのかは定かでは在りません。( 一一)?

ゲオルグ・フランクル医師の悲痛な過去

 フランクル医師の父親は、個人心理学の創始者であるアルフレッド・アドラー(Alfred Adler[1870.2.7~1937.5.28])(余談だがアドラー医師もウィーン大学に通っていた。)と友人であった為、フランクルは幼い頃から心理学に触れる機会が多かったそうです。

 1938年に起きたオーストラリア併合を受けユダヤ系である彼も例外なくダッハウ強制収容所で収容される事に成りましたが、脱出し無事イギリスに逃亡しましたが両親をアウシュビッツ強制収容所で亡くしています。
 因みに彼が心理学者として最終的に活躍するきかっけになったのが父の遺言で『ジョージ(フランクル医師の愛称)に如何してそんな恐ろしい事(ユダヤ人扇動)が起こるのかを説明しなければならない義務があると伝えてくれ』と残した為である。こんな事があったんですね( 一一)😢

スハレヴァ医師の中々面白い実験

 あまり此処では言及していませんでしたが、折角なのでスハレヴァ医師の実験の話をしようと思います。( 一一)👏
 その内容は学校内にて自閉症が見られる生徒に独自の教育を行い社会性行動の改善を目的とした実験でした。ここの生徒は所謂、戦争孤児だったりする子供たちで約2年間かけて実験が行われました。子供たちはスハレヴァ医師を慕い非常に実験に対して協力的だったと言います( 一一)!。

 ここで得られた知見は後の精神医学に於いて大きな進歩になったと言われています。因みに彼女は自閉症に対して初めて言及し改善を対症療法で模索した人物に成ります。覚えて損は在りません( 一一)✨。


2:最後に感想

 この記事を読んで下さりありがとうございました( 一一)👍
 初めての本格的な記事であった事もあり読みにくい所は多々あったと思いますが少しでも為になったと思って頂ければ幸いです。

 僕自身もASD発達障碍者の当事者として何か発達障害に対してアプローチ又は見解を広めたい想いで記事を作成させて頂きました。

 また、今回参考にした文献も載せてありますもし余裕があれば其方も見ていただけると幸いです。( 一一)✨

本当に有難う御座います( 一一)👋
またご縁があればの機会にお会いしましょう。
次回はADHDの歴史を予定しております。お楽しみに。

タヌタローより



参考文献MEMO

【歴史的背景の参考データベース】
アスペルガー症候群 - Wikipedia
自閉スペクトラム症 - Wikipedia
精神疾患 - Wikipedia
【アスペルガー医師】に影響を与えた先鋭的な医師たちとは? | ASDの森
自閉症|80年の歴史まとめ|自閉スペクトラム症にまとめられるまで | ASDの森
【アスペルガー医師】とは?|生い立ち|アスペルガー症候群命名の経緯 | ASDの森
レオ・カナー - Wikipedia (英語版)
レオ・カナー - Wikipedia (日本語版)
ローナ・ウィング - Wikipedia
Grunya Sukhareva - Wikipedia
レインマン - Wikipedia
ハンス・アスペルガー - Wikipedia
Alfred Adler – Wikipedia
George Frankl – Wikipedia


☟今回の見出し画像を提供してくれた人( 一一)👏
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