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普遍論争 実在論と唯名論

世界史 気になる人・こと
オヤジブログ怪気炎 vol.373

中世ヨーロッパの学校は、スコラ哲学を学んでいた。そこで長い間論争となっていたのが実在論と唯名論で、普遍論争と呼ばれている。
すごくざっくり言ってしまうと、存在以前にそれらの基となる概念(プラトンで言えばイデアのような)があって、現実に目にしている実在する事物は、本質・形相が具体として形を表したものである。これが実在論。
唯名論は、事物に共通した本質・形相を想定せずに、ただ目の前に具体物があるとする考え方。代表的な論者にオッカムがいます。オッカムの剃刀と言われる思考節約の原理が有名です。

個物を超越した普遍、本質、形相といったものではなく個物のみが存在するものであり、普遍は人間の心が個物を抽象して生み出したものであって心に外在する存在ではないという立場を強く主張したために、唯名論の開拓者であるオッカムを近代的認識論の父とみなす者もいる。彼は形而上学的な普遍が実在することを否定して、存在論の縮小化を唱道した。オッカムは唯名論よりもむしろ概念論の唱道者とみなされることもある。というのは普遍は名前に過ぎない、つまり存在する実在物ではなくむしろ言葉に過ぎないと唯名論者が考えるのに対して概念論者は、普遍は心的な概念である、つまり名前は概念の名前であると考えるからである。ここで概念は心の中にのみであるが存在するものとみなされている。それゆえに、普遍概念は、人間の外部に存在する実在物ではなく、それ自体を理解することによって生まれ心の内で心がそれを帰するものを「前提」する内的表象としての対象を持つ。つまり、それはさしあたって自身が表す物の場所を持つのである。それは心を反映する行為を表す術語である。このゆえに普遍は単なる言葉でもない。実在物に対応する心的な代替物であり、反映の過程を表す術語である。このため、オッカムは唯名論者とも概念論者とも区別されて「記号論者」と呼ばれてきました。

21世紀の生活感覚からすると、一体何を論じ合っているのかと感じてしまう。しかしこのようなスコラ哲学の踏み台があってこそ、自然科学が発達し始めたので、重要な通過点だったとも思います。

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