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46歳 実家暮らし。恋をして自分の人生を突きつけられた夜

壊れかけた心の中で、それでも生きていくために

インスタで声をかけてくれた人と、今日デートをした。

彼は30歳。だいぶ歳下の、若くて穏やかで、知的で、優しいユーモアのある人だった。

画面の中の彼はいつもキラキラして見えた。
インスタは誰もが“いい部分だけ”を切り取るものだと分かってはいても、
それを差し引いても、彼の生活は眩しかった。

実際に会ってもその印象は変わらなかった。
落ち着いていて、聡明で、言葉の端々に余裕がある。

きっといい家に育ったのだろう。
聞けば、小学校から私立。
毒親なんて無縁だったろう。

彼の生い立ちを聞いていくにつれて胸の奥で何かが静かに痛んだ。

46歳になっても生活は不安定で、毒親から離れられずいまだに実家暮らし。

「よく頑張ってきたね」と誰かに言われても、
それを素直に受け取る心の余裕すらない。

あの人のような生き方は、きっと最初から与えられた環境が違ったのだろう。

結局、人はどんな家庭に生まれるかで、
人生の設計図の半分が決まってしまうのかもしれない。

そんなことを考えながら、
私は自分の劣等感を必死に理屈で弁護していた。
「環境が違うから仕方ない」と。
でもそれは、言い訳にすぎなかった。


デートの帰り、彼の新しく買ったマンションに誘われた。

エントランスはホテルのように美しく
廊下には静かな照明が落ちていた。
部屋もセンスが良く、整った空間に“豊かさ”が溶け込んでいた。

あまりにも完璧なその世界に、私は完全に萎縮した。

彼と過ごす時間の中で、
私の心はずっと“自分の貧しさ”に飲み込まれていた。

好きな人と触れ合っているはずなのに、
心の奥では「私なんかが」と呟く声が止まらなかった。

私は極端に人付き合いを避けて生きてきた。

友達も少なく、子どもの頃は休み時間にひとりでいるのが怖かった。

ずっと「孤独と隣り合わせ」でここまで来た。

ずっと自営業で、社会というものを遠くから見てきた。

だから今になって、普通の人の「安定した生活」を見せつけられるたびに
自分が生きてきた世界の狭さを思い知らされる。

「何をしていたんだろう」
そう思いながら、帰りの電車の窓に映る自分の顔を見つめた。

少しやつれた表情の中に
昔は確かにあった“夢を信じる目”が見当たらなかった。

人と会うたびに感じる。

経済感覚も、価値観も、立っている場所が違う。

それでも私を好きになってくれる人はいる。

けれど私は、その人たちにさえ心を開けない。

「私といたら不幸になるんじゃないか」
「生活力のない私を知ったら、きっと離れていく」
そんな考えが、いつも私の幸せの手前でブレーキをかける。

頑張りたいと思える相手が現れないのか
それとも、もう私自身が壊れてしまっているのか。
分からない。

ただ、何もやる気が起きない。


この虚しさには、きっと毒親の影もある。
「ちゃんとしなさい」「恥をかかないように」
ダメだダメだと言われ続け
自分を認める感覚を奪われてきた。

いまでも、何をしても“足りない気がしてしまう”のはそのせいだと思う。

少しずつでも、自分を紐解いて、
せめて生きるのが少し楽になりたい。

他人の家がどんなに広くても、
誰かの人生がどんなに整っていても
「私の人生、これでよかった」
と思い誇れる日がくるのが理想だ。

けれど、今の私はそこまでの強さを持てない。

もしかしたら自分を救ってくれる“誰か”を探すように人と会っているのかもしれない。

でも私を救えるのは、結局“誰か”ではなく“私自身”なのだと分かっている。

それができるにはまだ時間がかかるのかもしれない。

終わり

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