クリスマスというイベントが、いつのまにか弱くなっていた話
クリスマスの話を、さっきなんとなく嫁さんとしていた。
ポッドキャスト『奇奇怪怪』でタイタンさん(ドスモノスのラッパー)が言っていた、
「クリスマスって、もうイベントとしての強さがなくなってきてるよな」
という言葉が、ずっと頭に残っていたからだ。
子どもの頃、クリスマスは本当に特別だった。
一年の中で一番わくわくしていた日だったし、
サンタさんから何かが届くというだけで、世界がキラキラしていたように思う。
あの頃の“特別さ”は、今も子どもたちにはちゃんと残っているらしい。
うちには子どもはいないけれど、周りの話を聞くと、
欲しい物を手にするイベントとしてまだ生きているようだった。
でも思春期に入ると、クリスマスの意味が変わっていった。
“聖なる夜”なんて言い方をしながら、実際はもっと別の意味を帯びていって、
すこし背伸びした世界に憧れていたりした。
中高生の頃のクリスマスは、イベントというより、
どこか性への期待が混ざった、不思議な夜になっていた気がする。
それから大人になり、家庭を持つと、また意味が変わった。
イルミネーションを見に行ったり、家族で過ごしたり──
形としてのイベントは残っているのに、
どこか子どもの頃ほどの高揚感はなくなっていた。
その理由のひとつが、イルミネーションの価値が下がったことにあるのかもしれない。
昔は、ただ光っているだけで特別に見えていた。
けれど実際には、設置するのも片付けるのも大変で、
倉庫の場所も取るし、コストもかかっていた。
そこへ登場したのが、プロジェクションマッピングだった。
クリスマス柄にするのも一瞬で、
イベントごとに映像を入れ替えるのも簡単で、
必要なら別の場所に持っていくことだってできてしまう。
「そっちのほうが合理的だよね」と思われるのは自然なことで、
実際にいろんな自治体や企業がそちらへ移行していった。
そして極めつけが、東京オリンピックのドローン演出だったと思う。
空に巨大な模様が浮かび上がって、動いていくあの光景を見てしまうと、
どうしても、建物にケーブルを這わせただけのイルミネーションが
“昔のもの”に見えてしまっていた。
ドローンは動くし、自由度も高いし、再利用もできる。
この流れの中で、静止したイルミネーションは、
魅力よりも手間やコストのほうが目立ってしまった。
そんな積み重ねがあって、いつのまにか
クリスマスというイベントの「強さ」そのものが弱まっていたんだろうな
と感じていた。
都会ではまだ派手な演出を見ることができるけれど、
地方のイルミネーションはただ光っているだけで、動きもない。
それを見て感動できた時代が、もう過ぎてしまったのかもしれない。
そんなことを、ゆるく話していただけなのに、
気づけば僕だけが少し熱くなって語っていた。
でも、なんとなく思うのだ。
──クリスマスが静かに役割を変えていく過程を、
自分は目の当たりにしていたのかもしれない、と。
