子どもの成長を感じるとき
一期一会としての成長
「また明日もわが子の同じ顔が見られる」と、
私たちはどこかで思い込んでいます。
けれど本当は、
“”昨日のあの子“”と“”今日のこの子“”は、
もう同じではありません。
「一期一会」という言葉は、
茶会の一座を二度と繰り返せないものとして
大切にする心から生まれました。
子育ての一瞬一瞬も、
実はまったく同じ構造をしています。
あるときまで、
我が子は歩くたびに両手を伸ばして
「抱っこちて!」とせがんできました。
舌足らずなその言い方が可愛くて、
忙しいときでも、つい抱き上げてしまう。
重みのある体を腕に受けながら、
いつまでもこの重さが続くわけではないと、
頭のどこかではわかっていたのだと思います。
そしてある日、ふと気づきました。
「抱っこちて」と言わなくなっていることに。
振り返れば、
いつの間にか自分の足でしっかりと、
迷いなく歩いていく後ろ姿がそこにありました。
できるようになった、
という喜びは確かにあります。
けれど同時に、
“”あの舌足らずな一言“”と、
“”腕に感じていたあの重み“”は、
もう二度と戻ってこないのだとも
気づかされました。
「侘び寂び」とは、
失われゆくものの中に美を見出す心です。
子どもの「できないこと」が
ひとつずつ消えていくたびに、
私たちは何かを見送っている。
「抱っこちて!」が消えたその静けさの中に、
私は“”成長への安堵“”と、
“”名づけようのない小さな寂しさ“”を、
同時に味わっていました。
その両方をそのまま抱えられることこそ、
親としての一つの成熟なのかもしれません。
その安堵と寂しさを急いで手放さず、
ただ味わう"間"が、今の私にはあります。
——立ち止まって、その両方を静かに味わう"間"。
それもまた、親としての成長なのだと思います。
——ふと感慨に浸れている、その"間"が、
私へのギフトなのだと思っています。
Y(Yumiko)
発信 イングリッシュガーデン
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