【短編小説】情詩または情死
どうして泣いているの?何か今日悲しい事でもあった?
いや違うの、貴方がいけないの。貴方のせいよ。貴方のためなら私なんだってできちゃうんだから。毎日のことだって貴方のためなら耐えられるの。
まあ、今日はもうおやすみ。朝になれば涙も止まるよ。寝ても寝なくても明日は来るんだから。寝たほうが得だ。あんまり思い詰めちゃいけないよ。おやすみ。
一緒に寝てはくれないの?
枕を握りしめ、しとしとと私は言った。
君の夜泣きが余計に酷くなりそうだから寝ないよ。それに朝まで寝られなくなりそうだし、僕も明日は仲間と集まらなきゃならない。
その仲間って私より大事なの?私は明日も明後日も全部貴方のためと思って、貴方が喜ぶと思って、仲間はずれにされないように、寂しくないようにって、私。私、くるしいのよ毎日、いつまでこんな日々が続くんだろうって今日が終わるたびに思うの。
君のことも大事だけど同じくらいに仲間のことも大事だ。あいつらは小学校時代からの友達なんだ、もう家族同然なんだよ。だから100%のコンディションで会いたいんだ。君だって同じさ、こんなモヤモヤを抱えたまま君と一緒に眠りたくないんだ、なんだかそうしないとお互いに失礼な気さえして仕方がないんだよ。自己嫌悪で自分が嫌になるから許しておくれ。君のことが大好きだからこそなんだよ。
わかったわ。それじゃあ、おやすみなさい。
言葉の裏にしたたかさの愛の矢を隠し言った。
ベッド横のきのこみたいなランプが彼の手で切られる様子を見、上気した昼間のあれこれが眠りの肥料となりまぶたを落とした。
まぶたの裏に映る暗闇をかき分けながら眠りを手繰り寄せると糸は案外短く直ぐに真っ暗に微睡んだ。
色がついている、と思った。それは夢で夢の中で私は空を飛んでいた。いつ落ちてもおかしくない、足をバタバタと動かしてもがいていないと今にも死んでしまう。そんな夢、なのに酷く疲れる。気疲れも身体的な疲れも一緒にサンドイッチにされているみたい。いつまでこんなことすれば良いんだろう。夢の中までそんなことを考えさせられる。どこにも自由なんてないんだ、と悲しく虚しく、自分の心が小さく萎んで黒く濁っていく。タバコの煙のせいもあるだろうけど。
足が疲れて動かせなくなったころ私は穴に落ちる感覚で目を覚ました。
ああ、疲れた。口に出したらもう動けなくなりそうだったので言葉は飲み込んで。はあはあと荒い息をしたまま起き上がった。外はまだ暗く、月が窓の外によく見える。もう少しすれば山に隠れてしまいそう。
えらく急な階段を降りてこじんまりとした壁がタイル張りの台所に降り立つと、冷蔵庫から紙パック入りの牛乳を取り出して勢いよく飲み干した。勢いのせいかむせてしまって何度か咳き込んだ後に胃液が逆流する感覚にむかむかし、シンクに吐き出そうとした。だけど彼との食事した記憶まで全てまっさら吐き出してしまいそうなのでヤギみたいに登ってきたもの全てを飲み込み彼が眠る部屋まで走った。勢いの割にそろりと扉を開き、静かな部屋の中で彼の寝息を聞いた。寝ている彼の布団に潜り込み頬にキスをした。直ぐに酸っぱい自分の口の匂いに気がつき恥ずかしくなる。真っ暗でよかったと、眠っていてくれて良かったと思う。育ち盛りの眠気が私を襲って私はそのまま彼の寝顔を見つめ続ける事になった。酷く安心する、私にとっての子守唄のように寝息は作用した。よし、明日も頑張ろう、と言う気持ちを頭に残したまま眠りに入ることができて良かった。
いつも朝目を覚ますのは私の方が早い、ただ今日だけは彼が思い出を作りにいくらしく先に起きていた。思い出なんて何の役にも立たない、ただ思い出して自分を寂しく惨めにするものでしかない、と私は思い溜息を吐き出した。ただ彼にはこの意味が伝わっていなかったのか笑顔で、おはよう、今日水族館に行くんだ。友達が海洋?の専門学校に行っててさ、クラゲが好きなんだって、とまるで子供のように目を輝かせて彼は言う。
キャンプ場で働いてる友達よね。男だけでいくの?と私はいっぱしの彼女らしく聞いてみる。
えっと、女の子2人男3人だね。と彼は答えた。
女の子、という区分をしたことに引っ掛かりを感じつつ、嫉妬しつつも私は笑顔を作って良いなぁ、行ってらっしゃい。楽しんで。と言った。
玄関ドアの閉まる音が孤独を告げる。まだ眠りの靄の晴れない頭でまたクヨクヨと考えていた。
浮気をされても私は何も言えない、私だって毎日浮気してるようなものだ。いくら彼のことを思い続けても自分以外それを証明してくれる人はいないのだから何のアリバイにもならない。そんな私を彼は嫌わないで、それどころか好きとすら言ってくれる。だから私も安心して毎日呼吸ができる。家に帰れば彼がいるその事実だけあれば他に何もいらない。
彼が出て行って耐えられなくなった頃、2軍の中では可愛らしい服に着替えて最低限の荷物をカバンに入れて逃げ出すように玄関を目指す。
誰もいない、抜け殻になった家に行ってらっしゃい、と言い赤いスニーカーを履いて外に出る。それから二つついた鍵を閉めて家を出た。
私の仕事が始まる。ウーバーイーツのような不定期な仕事だ。ただそれよりも良く稼げる。年齢制限もまあ、ない。
駅前に着くとスーツ、スーツ、スーツの中からとびきり浮いている風貌の男を探す。そいつが私の金ずるだ。あらかじめネットで会う場所と格好は伝えてある。それに私の値段も。14歳の私を買うのは大抵が娘も息子も妻もいない後ろ盾の何もない汚い男。ただ趣味もないのか金だけは一丁前に持っている。私の年齢でお金を稼ぐとなると貧相な頭と経験ではこれしか思いつかなかった。
時計のポールにもたれ掛かる今にも溶けそうなほど汗をかいた鏡餅によく似た体型をしている男を見ると嫌になる。ああ、またこいつだ。リピーターはありがたいけれど3日連続同じ人だと気が滅入る。時計の針は9時を指している。私のことを知っているあいつはもちろん私のほうを見て呆然と顔を赤くして、頭を痒いてフケを飛ばし私を待っている。唾を吐き捨てたくなる。汚くて重くておまけに洗っても臭い、息も臭い。私の好きな彼と重なるところが人間しかない。全く別の生き物な感じさえある。私は泣き出しそうな心が逃げ出さないように必死に笑顔を作って時計のポールに近づいていった。
近づいていく私に嬉しくなったのか臭いデブは周りのことなんて気にもせずに闘牛のようにこちらに向かって来た。
おはよう、待ってたんだよぉ。さえちゃんに会えるの楽しみにして眠ったんだぁ。いい眠りでごめんね。夢精しちゃったんだぁ。もったいないよねぇ、そうだよねぇ。
一言も言葉を交わしたくなかったので曖昧な相槌だけして早歩きでデブの前を歩いた。手がぬるりとして異常に不潔でまるで酸が出ているみたいに気持ちが悪いのは知っているので掴まずにさっさと駅前で一番派手で一番安価なホテルに入った。さっさと事務的にデブ男に快楽を与えて、ベッドに移り。避妊具無しでしようと言うデブを無視して、無視されても言い返すこともできないほどに男は私に性欲を委ねていた。慣れた手つきでゴムをつけると今にも爆発しそうな陰茎を嫌悪感も隠さずに私の中に入れた。私も多少の快楽を感じてしまう。すると猛烈な吐き気と死にたさが頭の中を掻き回す。このデブ男は入れた瞬間に快楽の海に航海を始めてくれるので早く終わって楽ではある。褒めるとしたらそこだけだ。あとお金はあるのか毎回5万くれる。でも大嫌いで仕方がない。
次の待ち合わせ場所は商店街の裏路地だった。行為をする場所は公衆トイレを指定されている。どこだろう、とあまり来ないこの辺りに迷って遅刻して裏路地に入った途端、溜めていた唾液をぶち撒けるための接吻をされ、口の中が男の唾液でいっぱいになる。タバコと生ゴミとを混ぜ合わせた味がして吐きそうになる。吐いたら殺す、飲め、と男に言われ飲むと男は嬉しくなったのか顔の輪郭が歪むくらいの笑顔を浮かべた。私も無理矢理笑うと、馬鹿にしてんのか、と男が叫び、何をするでもなくまたニタニタと私の胸を見て堪えきれなくなったのか触った。ふぉあおぉ、と声を上げるのでまるでアフリカのケチャって民族音楽を演奏する人に見えた。
やっと公衆トイレに着くと男は直ぐに下着を脱ぎ、私の顔に陰茎をぶつけて来た。酷く臭い、便所の匂いも相まって排水溝そのものの中にいるようだ。私はどうしていいのかを考える間でもなく男に服をめちゃめちゃにされて犯された。死んじゃってもいいや、と諦めているはずなのに嫌で嫌でたまらない、殺してやりたい。助けてほしい、涙も止まらない。動物的に男は精液を垂れ流したまま私を置き去りにして二万円だけ放り捨ててトイレから出ていった。二万円は私から溢れる水たまりの中に落ちて汚れて、カルキの匂いがした。どうしたらいいんだろう、これからと。
これからってどこまでがこれからなんだろう。まずは赤ちゃんができないように薬を飲まなきゃと震える足で立ち上がり、トイレットペーパーで拭き取った後、手を洗ってシャッターばっかりの商店街を歩いた。シャッターの中から誰かが覗いて来ていないかだけが心配だった。切れかけの天井の電灯と錆錆の商店街名の書いた看板が汚くなっていく私への当て付けに見えて、シャッターを蹴っ飛ばして歩いた。
駅まで戻って来たころ時計は3時を差していた。もう1人いけるかな、とスマートホンを見ると彼から電話が来ていた。直ぐに折り返すと今日泊まってくるからご飯作らなくていいからね、と優しく言ってくれた。嬉しくなって追加で3件受けた。
最初2件が地雷だったおかげか3件とも普通のお客さんだった。14歳を買って性行為する奴らが普通とは世間は言わないけどまあ、私の中では普通だった。
家についたのは午前2時だった。へとへとで帰ると疲れのせいか星と月がやたらに綺麗に見えて彼のいないうちが寂しい。彼がいないと私は一人称以上の女の子らしさを忘れてしまいそうになる。男たちを喜ばせている私と家で彼に甘える私、どちらが本当の私なのだろう。確かめる術も自分の中にはない、何も知らないし教えてくれるのは彼だけなのだから。
彼が帰ってくるのを猫のようないじらしさで玄関直ぐのリビング、テレビの前のソファの上で待っていた。このテレビではビデオ屋いつも借りて来た古い映画を字幕つきで見る。お互い映画に集中しないといけないその見方が好きだったし、熱中した後、感想を投げつけ合うのも心地が良かった。
ソファにタオルケットをひいていつも使う枕で眠った。
朝、まな板の上で漬物になったきゅうりが刻まれる音で目を覚ました。私は彼を見つめて何か言葉を待っていた。眠っている間につけられていたテレビからは誰々が宇宙にいったというニュースが流れていた。
彼の口からは何も出なかった。私は直感で彼が他の娘と寝たことを察知した。ただそんな彼がたまらなく愛おしくて目を見つめ続けた。
僕、浮気したんだ。ごめん。こんなに君に尽くしてもらってるのに、こんなに君が好きなのに、僕、彼女に小学生の頃からずっとずっと好きだったって言われた途端抱きしめてたんだ。僕も初恋だったから、君に悪いと思いながらも夜を共にしたんだ。
ねぇ。どうして泣いているの?何が悲しいの?いいことばかりじゃない。続きを聞かせてよ。
君に悪いと思って、耐えられなくなったんだ。快楽の後の暗い靄が僕を唆したんだ。彼女の笑顔を見た途端に恐ろしくなって、胸が苦しくて。ああ、これは素敵な思い出の箱の中に腐るまで閉じ込めないといけないと思った。初恋は初恋のままが一番綺麗だったんだ。もう僕の初恋は汚れてしまった。ただ安心して欲しい、これ以上汚れてしまうことはないんだよ。
どうして?理由を聞かせて。
本のページをめくってと急かす子供のように私は言った。
永遠の暗闇に彼女を閉じ込めてしまったんだ。首を力一杯絞めてね、だんだんとあのころ憧れた西陽の眩しい窓辺にいた彼女が色褪せていくんだよ。悲しくて悲しくて、僕は首を絞めるのはやめにして気絶した彼女を湯がいっぱいに溜まったバスタブに仰向けに寝かしつけてきた。こうすれば顔を見ずに済むからね。それから怖くなって逃げ帰ってきたのが今君の目の前にいる僕だよ。
ありがとう。
どうして、お礼をいうの?
真偽はともかく、私の心にあるしこりをなくすためにしてくれたのでしょう。だからありがとう、よ。
浮かれてるのに悪いんだけど。嘘じゃないんだ。
本当に?
本当に嘘じゃない。僕はきっと死刑になる。これからの人生君と毎日を騙し騙し嘘の幸せとビクビクしながら生きるくらいなら君と一緒に今直ぐに死んでしまった方がマシだ。付き合ってくれるかい?
もちろんよ。そのために私は生きているのよ。貴方のためだけにね。
ただ、死ぬ前にしたいことがあるんだ。未練を残さないために。
何がしたいの?今更したいことなんてあるの?
ただ君と2人でヨットで月を見たい。そうして満足したままヨットを爆発させて死のう。
どうやって爆発させるのよ。
ガソリンをポリタンクに入れて、
静電気で爆発して死んだら馬鹿みたいだからやめましょう。もっと静かに睡眠薬を口移しで飲んで微睡んだまま入水しましょう。ロマンティックでしょ。
なんだかまどろっこしいな。
死ぬのって思っているよりも大変なの。遊園地行かない、それよりも。
行く。
遊園地にいった次の日、チャイムを押され出てみると立っていたのが警察で肝を冷やした。冷え切った肝に夏の風が容赦なく熱い、体感スチームサウナ。警察は近くで人が刺されたので気をつけてください、とだけ言って帰った。どう気を付ければいいのか、ただ恐怖だけを置いていった警察に腹を立てながらテレビをつけるとどこぞの社長が宇宙ステーションで遊んでいるニュースがやっていた。遊園地であれだけ楽しいんだから宇宙なんていったらもう地球に戻れないんだろうなと思う。
彼はまだ眠っているのか心地のいい寝息が聞こえる。今日も夜中になったら家を出て浮気をしてはまたいつもみたいな残酷な嘘をついてきっと私を楽しませてくれる。私の稼いだお金が彼の言葉を紡ぐ糸になる。見返りはそれだけで十分。他の女が彼の中で何度も死ねばそれだけで私は生きていける。
彼に私がいらなくなってしまったら、私は死にながら生きているのだから彼を刺して私も死ぬ。なんて単純なそれらしい依存の方程式の上で私たちは暮らしている。
あ、そう言えば今朝警察が来たのよ。なんか人が刺されたって。
僕だ、僕が刺したかもしれない。どうしよう。何人目かわからない、警察に見つかったら確実に死刑だ。ああ、ああ、死にたくない。でも人の命を奪ってまで生きていたくない。ねぇ、どうしたらいいと思う?どうしたらいい?
落ち着いて、貴方じゃない。貴方にはアリバイがあります。私はずっと眠ってる貴方を見ていました、人が刺されたのは今朝の8時貴方はその時間寝てたし、大丈夫よ。安心して。
寝ながら刺したかも。僕って酷い二面性を持ってるから、無意識で刺したのかも。
大丈夫だから、私がまず刺されてないとおかしいでしょ。
それもそうだね。
落ち着いたなら一緒に寝ていい?いいわね。
いいよ。今日は一日抱き合って眠ろう、誰にも邪魔はさせないんだ。例え通り魔でも僕らの前では怖くなんてないんだから。
頼もしいわ。私の下腹部には他人の毒ばっかりが嫌な匂いをして溜まっているのだけどそれでも愛してくれるの?
もちろん。どんな姿になっても君は君だよ。
貴方がミュージカル的な浸りに入ってなくても愛してくれるの?二面性が出ていない時でも私のことを愛してくれる?
もちろん。証拠はいらないね。
いらない、共犯者じみた微笑みだけが2人の秘密の暗号よ。私ははたして貴方の何番目なのかしらね。
もちろん。一番目だよ。
嬉しい、でも私の一番目とは限らないかもしれないわよ。
そういう探りが一番の証に僕の目には映るみたいだけどね。
私は彼とこんな掛け合いをするのが楽しかった。仲の良さの誇示という感じがして、いつもそのあとにする行為に意味が与えられる気がして。
ただ今回ばかりは意味が与えられる前に中断されてしまった。
ドアチャイムが鳴らされる。けたたましく何度も響く、異常者の行動リストがあれば最初の方にリストアップされていそうな行動だ。そのあとに何度もドンドンと勢い任せのノックが響く。
お互い心当たりがありすぎて冷や汗が止まらない。そうじゃなくても状況は最悪だ。
私は怖くて震えることしかできない。彼は私以上に怯え、無言で涙を流している。
私は情け無くなって、なんだかスッと熱も冷め、台所へ向かった。
シンクの中で水に浸かる包丁を手に取り、彼の胸へと差し込む。致命傷のはずなのに呻いて私を殴りつけてくる。その拍子に抜けた包丁が私の足元に落ち、スリッパを貫通して血がトロトロと流れている。
痛みは無く彼の血か自分の血かわからなかった。包丁をまた手に取ると脇腹にぬっと差し込みまた引き抜き、差し込み、引き抜き。繰り返していくたび私が幾度となくしてきた売春が走馬灯のように思い出していた。しばらくして彼が動かなくなった。私は彼が大好きだった事を思い出していた。やっぱり思い出は私を寂しくて虚しい気持ちにしかしない。
天井を見つめて、血のシミなんて数えてもキリがない事に気がついたころ。ガチャリ、鍵の開く音がした。
さっきから、何度もピンポン押してノックドンドンドンしとるんですけどね?居留守使ってもおるのはわかってますからね、ってどうしたんだいこりゃ、か、彼氏かい?
はい、大家さん、これ今月の分です。来月からは私居ませんので来月の分も払っておきますね。彼はまだ帰っていないので帰ってきたら要件伝えておきますけど何かありますか?
大丈夫かい?あんた。おかしいよ、おい、しっかり。
私は大丈夫ですよ。どんな姿になっても私は私、どんなに辛くても彼がいれば平気なんです。大好きな彼がいれば。私なんだって出来ますから。
あたし警察呼んでくるからね。動くんじゃないよ。
私はどうして彼を殺してしまったのでしょうか?彼が大好きだったから、だから殺した、彼がカッコ悪く見えたからカッコよく見えているうちに殺したのです。どうして、と死体の彼に話しかけても死人に口無し何も言いません。ただ彼は僕と一緒に死んでくれるかい?とよく言いました。彼の見開かれた目は私を死に誘う目でした。見られると石になるメドゥーサの目と似た効能を持ちます。幸い私はまだ大事そうに包丁を握りしめていました。大家さんが喚く声が夏の日に歪む蜃気楼のように聞こえます。夏なんて始まったばかりなのに陰鬱と夕焼けのせいでもう何もかも終わりな気さえします。私は躊躇いなく首に刃を入れると血液が窓にビシャビシャビシャと当たります。その音は洗車する時、車に水をかける音とよく似ていてまた私は思い出に襲われました。ただ、だんだんと視界が眠りの中に狭まっていく様子をみて、ああ、私もう女の子らしく、誰の目も気にしなくてもいいんだと思うと気が楽になりました。
次に目を覚ますと、次があった事に驚きましたが私は病院のベッドの上でした。首を切ったのに生きていたのは彼のおかげと医者は言っていました。輸血することで彼は亡くなったけど君は運良く生き残ったと言われました、だけどみんな嘘ばっかり。彼は隣にパイプ椅子に座って生きています、月明かりを肌に映して微笑んでいます。それからゾロゾロと警察の人が入ってきて混濁した頭であまり覚えていませんが彼に、無理矢理、されたんだねと舐めるような声が耳を這うナメクジのようでした。彼に無理矢理何かをされた事なんて一つもありません全部私の心が彼のためを思ってしたことです。と答えたかったのですがすっかり口は喋り方を忘れたのか唸り声しか出ず、私のそれをYesと取ったのか警察は頷きながら病室を出て行きました。
ご飯の時間になっても彼はずっと外を見ていました。彼に話しかけたいのですが声も体も全く動きません。ただ、力を入れるたび別のところが動いて私は笑いが止まらなくなります。お見舞いには大好きな彼の他に私が相手をしたお客さんが来てくれます。私は嬉しくなってはにかみます。白痴だこりゃとみんな口々に私に憐れみを向けますが、私は幸せなのです。もううまくものを考えることもできず体も動きませんが彼とずっと一緒にいることができて幸せです。毎日同じ空を見ていることがただ。
