反転術式とピザの夜~呪術廻戦ifストーリー~
日曜日の午後。
きっかり約束の時間ちょうどに、医務室の扉がノックされた。
「どうぞー」と家入硝子は言った。
「失礼する」と言って、裏梅が入ってきた。腕に風呂敷包みを抱えている。
―ここは東京都立呪術専門高等学校。
そこに勤務する校医である、家入硝子は他者に反転術式を施せる、稀有な人材だった。
反転術式というのは簡単に言えば、怪我や傷を(ある程度)治癒出来る力だ。
対自分にならば使える人材はそれなりに、いる。
だが、他者に使えるのは現在のところ、家入硝子以外には、呪術高専二年の乙骨憂太と宿儺のみだ。
そうして、今日、硝子にアポイントメントをとって、やって来た裏梅―宿儺の忠実なる従者―は、何と「私に他者への反転術式の施し方を指南してくれ」と言ってきたのだ。
最初、裏梅が自分に習いたがっていると聞いた時、硝子は「何でまた、私?」と思った。
正直、裏梅とは数度、高専内ですれ違った際に頭を下げたくらいの間柄だ。まともに会話するのは今回が初めてだ。
硝子は言った。
「殺風景な場所ですまないね」折り畳み椅子を出す。
「座り心地がいまいちだろうが、勘弁してくれ」
「ありがとう」裏梅は礼を言い、椅子に座る。
「これはつまらぬ物だが、土産だ」と風呂敷包みを渡してくれる。
「傷まぬように、冷蔵庫に入れるといい」
言われた通り、風呂敷包みごと、冷蔵庫に入れる。
さて―。
硝子は自分の椅子に腰掛けると言った。
「他者に反転術式を使えるようになりたい、そうだね」
硝子の言葉に
「そうだ」と頷く。
「そなたはとても腕の良い反転術式使いだと、耳にした。是非、教えを乞いたい」
うーん、と硝子は思った。さて、どうしたものか?
教える、と言っても教科書に載っているものではない。硝子自身だって、どうして自分が他者に反転術式を使えるのか、実はわかっていないのだ(!)。
しかし、目の前の裏梅は―少年とも少女ともとれる端正な顔立ちの―は、まっすぐな瞳でこちらを見てくる。
「まず、確認なんだけど。裏梅は自分に反転術式は使えるのよね?」
指先にくるくると髪を巻き付けながら、聞く。
「使える」
明確な回答。ならば。
「だったら、負のエネルギーを掛け合わせて、正のエネルギーを生み出す感覚はわかるわね?」
硝子の問いに
「おそらく」と答える。
「私がいつも使っているものの感覚で良いのであれば、わかる」
その言葉に硝子は少々悩んだが―
「ちょっと、やってみようか」
硝子が別の部屋から持ってきたケージには、果たしてラットが二匹入っていた。
それをまじまじと見つめ、
「これは…」と裏梅が呟く。
硝子は頷く。
「そう。このラットは特別製。高専で特殊な環境下で育ててる〈呪力〉持ちのラット」
言いながら、硝子は準備する。
メスと消毒用アルコール。
金属音が鳴る。
手袋をはめ、「ごめんね」と言いながら、消毒したメスでラットの背を傷付ける。
ラットが小さく悲鳴をあげる。
血がこぼれる傷口。硝子は手を翳す。
数秒の後、ラットの傷は消失した。
「わかった?」と尋ねる。
裏梅は目を細めた。
「呪力の流れが違ったな」
その言葉に見所あるじゃん、と思った。大抵はわからない、と返ってくるからだ。
「…じゃあ、やってみる?」
硝子の問いに裏梅は静かに頷いた。
何度か、ラットを変え、挑戦した。
だが、どうにも上手くいかない。
裏梅は「どうして出来ぬのだ…」と唇を噛んでいる。
硝子は言った。
「あんまり、根詰めてもなんだし、ラットも休ませたいし、今日はここまでにする?」
その言葉に裏梅は
「あぁ、そうだな。お前達、何度も怪我をさせて済まない」とラットに声をかける。その声音は暖かく、悪名高い呪詛師のものとは思えなかった。
「さて、私は失礼する」
立ち上がろうとした裏梅を硝子は呼び止めた。
「待って」
ひらりと広告を見せる。
「急がないんだったら、一緒にピザ食べていかない?」
二十分ほど待ったか。熱々の宅配ピザが運ばれてきた。
クワトロフォルマッジとマルゲリータのMサイズを一枚づつ。
硝子が代金を払っているのを見ると「私も…」と財布を出そうとする。
硝子は笑った。
「大丈夫、大丈夫、これは経費で落とせるから」
領収書をヒラヒラさせてみせる。
「けいひ…?」どうやら初めて耳にする言葉らしい。
意味を説明すると「成程…」と頷いた。
「では、遠慮なくいただこう」
硝子は冷蔵庫からノンアルコールビールを二本と蜂蜜のボトルを取り出した。
はい、と一本渡すと、まじまじと缶を見つめ、
「これは酒ではないか?飲んで大丈夫なのか?ここで」
と、とても心配そうに言うではないか。その反応に硝子は声を立てて笑った。
「んー、何て言ったらいいかなぁ。これはね、ビールの味がするけど、酔っ払わないものなの」
だからここで飲んでも大丈夫。とプルタブを開け、一口飲む。
裏梅も開けて、一口飲む。
「…ビールの味がするな」
「でしょ?でも酔わないの」
言いながら、ピザの箱を開ける。
熱々の湯気が立つクワトロフォルマッジとマルゲリータ。
「裏梅、どっちが良い?」
裏梅はじっとピザを見つめている。
「裏梅?」繰り返し呼びかけると、はっとなり、「すまない」と言った。
「実は宅配ピザは初めてなのだ…」
硝子が驚く。
「そうなんだ…。んー、じゃああまじょっぱいのとトマトソースなら、どっちが良い?」
その問いに
「あまじょっぱいのが気になる」と言った。
硝子が皿にピザを一切れ取り分ける。添付されている蜂蜜を―
「どれくらいかける?」
裏梅は首を横に振った。
「わからぬ。そなたの良いようにしてくれ」
パスされてしまったので、適当にかける。
渡す。
恐る恐る、と口に運んでいる。
硝子はマルゲリータを一切れ取った。
「これは…」口を押さえている。
「あれ?駄目だった?」
裏梅は首をぶんぶんと横に振る。
ピザを飲み込んだのが、喉の動きでわかった。
「とても…あまじょっぱくて、美味しい」
「それは良かった」
硝子は頷いた。
「蜂蜜かけたかったら、ボトルあるからね」と言う。
「ありがとう」と裏梅は言った。
「ねぇ」
硝子は思い切って、聞いてみる事にした。
「あなた、反転術式使えるんでしょ? どうして人にしてあげたいって思ったの?」
その言葉に、裏梅はピザを皿に置いた。
目が泳ぐ。何か逡巡しているようだ。
「無理に話せ、とは言わないけど」言いながら、ノンアルコールビールを一口飲む。
「…この前」
ポツリ。
「この前、買い物に行った時、怪我人に行き会った」
裏梅の告白のような言葉に、硝子は瞬きした。
「ジャングルジム?というのか?あそこのてっぺんから子供が落ちた」
硝子は頷く。
裏梅は続ける。
「私は買い物帰りで、たまたま通りかかった。子供が火がついたように泣いていた」
周りには、と言って、ノンアルコールビールを一口飲む。
「それなりに人がいた。だが…」また一口。
「みな、スマホのカメラを向けるばかりで、誰一人、子供を助けようとしていなかった」
その言葉に硝子には容易に現場が想像出来た。
泣く子供。それを中心に輪になっている無数の目。カメラという無慈悲な瞳。いいねの数と再生回数…。
「私は人をかき分けて、子供に近付いた。足の骨が折れているのがわかった」
だが、と裏梅は続ける。
「私には何もしてやれなかった。ただ手を取って、救急車が来るまでそばにいてやる事しか出来なかった」
ぽとり、と皿の上のピザに雫が落ちた。「悔しかった。私には他者を傷付ける事しか出来ないのか、と」
硝子は立ち上がると、裏梅の頭を抱いた。
「違うよ、あなたは立派。その場にいた、誰も出来なかった事が出来たんだから」
優しく、囁く。
「頑張ったね…」
しばらく、そのままでいた。
ピザを食べ終え、缶を片付ける。
「送っていくよ」と硝子は裏門まで裏梅を見送った。
「また来週の同じ時間に」
裏梅が言う。
硝子は頷く。
「あぁ、また来週だ」
裏梅の背中が遠く見えなくなるまで、その場にいた。
「…ひゅーっとやって、ひょい」
学生時代の口癖が出た。
あの温かい涙。
「出来るようにするさ。絶対に」
硝子は呟いて、踵を返した。
月明かりだけがすべてを見ていた。
〈了〉
