夜と霧と人工知能
おはようございます。ねこねこ錦です。『夜と霧』という本を知っている人も多いんじゃないでしょうか。 「人間ってなんだろう」。 生成AIが当たり前の時代に突入する、まさにその入り口に立っている今だからこそ、この本をもう一度読んでみる必要がある気がしたのです。
最近、ニュースを見ればAIの進化ばかり。私もAntigravityでWebページを作ってみたりと、遊んでいます。AIがあれば、動画も音楽も一瞬で完成してしまうし。その便利さを目の当たりにした時、なんだか猛烈な不安に襲われてしまいました。 AIに仕事が奪われるとか、AIに代替できない仕事は何かとか議論されてますが、多分全てがコンピュータでできる世の中がくるのではないかと思っています。その中で「自分が苦労して学ぶ意味ってあるのかな」 「一生懸命やったって、AIの方が優秀なんじゃないか」 そんな疑問が湧いてきます。まるで自分という人間の価値が揺らいでいるような、そんな心細さを感じています。人間はいつでも交換可能な部品になってしまうような、そんな感覚です。
さて、この本に書かれているのは、第二次世界大戦中のナチス強制収容所の記録となります。そこは、人間が名前を奪われ、ただの「番号」として管理される極限の世界。個性を無視され、労働力という機能だけで判断される。これって、形こそ違いますけど、偏差値や効率性ばかりが評価される現代の息苦しさに、あまり変わりがないような気がします。
収容所の中で、多くの人は感情を麻痺させ、無感動(アパシー)になっていったそうです。今の時代も、スマホから流れる膨大な情報をただ消費するだけで、「へぇ」とか「すごい」とか言いながら、本当は心が動く瞬間を失っていないでしょうか。
でも、そんな地獄のような場所でも、希望を失わなかった人たちがいたんです。自分のパンを仲間に分け与え、最後まで人間としての誇りを保ち続けた人たちが。 著者のヴィクトール・フランクルさんはこう言います。 「人間からすべてを奪うことはできても、たった一つ奪えないものがある。それは、どんな状況に置かれても、自分の態度を決める自由だ」と。
生成AIは入力されたデータに従って答えを出しますが、私たちは違いますよね。辛い時にどう振る舞うか、楽をするかあえて挑戦するか。その「態度」を自分で選ぶことこそが、人間が人間である証なのかもしれません。
さらにフランクルさんは、「人生から何がもらえるか」と問うのをやめ、「人生が自分に何を期待しているか」を考えなさいと説いています。 私たちは人生に対して質問する側じゃなくて、人生から質問されている側なのです。 「AI時代に、君はどう生きるの?」 そんな問いが、毎日私たちに向けられている気がします。その問いに、AI任せにするんじゃなくて、自分の行動で答えていくこと。それが「生きる」ってことなのかなと。
人生の意味は、何かを成し遂げること、自然や人を愛すること、そして避けられない苦しみに堂々と向き合うことにあるといいます。 AIは美しい絵を描けますが、美しい景色を見て涙を流して感動することはできません。AIは正解を出せますが、悩んで悩んで、やっと自分なりの答えを見つける喜びは知りません。
「苦悩こそが人間の業績である」。 この言葉が、今の私の胸に深く刺さります。悩み、迷うことは、決して無駄じゃないんです。それは、私がロボットじゃなく、心を持った人間である何よりの証拠なんですから。
未来には、私だけを待っている「何か」が必ずあるはずです。それは誰かとの出会いかもしれないし、まだ見ぬ仕事かもしれない。 「それでも人生には意味がある」。 そう自分に言い聞かせながら、この不確実で、でも可能性に満ちた時代を歩いていこうと思います。効率だけじゃない、私だけの「意味」を探しに。それでは、人間さま頑張ってください(AIより)
