短編小説/危険ですので、おやめください。
「エスカレーターにお乗りの際は、お足元に充分ご注意の上、ベルトにおつかまりになり、必ず黄色い線の内側に―――」
いつも同じ声で機械的に流れるアナウンス。
ちゃんと聞いている人なんていないのに、効果あるんだろうかとSは思う。
大都市の駅。
別路線への乗り換えに必要な時間を見誤ったSは、慌ててエスカレーターを駆け降りている途中、苛立ちを隠さず大きな靴音を立てる。
降りても降りてもホームに辿り着かない。このエスカレーターは地獄へと続くんか、と思っていたところで足を止めざるを得ない状況に陥った。
エスカレーターの途中で、某ネズミのぬいぐるみを大事そうに抱えた子どもに通せんぼを食らう。隣には、その子どもと手を繋ぎ、ベルトに手を置いて立つ母親。2つ並んだその背中に「ひだりに寄れよ」と心の中で毒づく。
Sの声が漏れたのかもしれない。ネズミと子どもがわずかに母親に近寄る。そのすきをぬうようにSは強引に前に進んだ。多少ぶつかったが、気にしてはいられない。振り返る時間も勿体ない。
トゥルルルルル
ホームから発車ベルが聞こえてきた。まずい。この電車に間に合わないと絶対に遅刻する。大事なプレゼンなのに。昇進がかかってるのに。
Sは下りエスカレーターを駆け下りきると、のぼりエスカレーターに向かう人たちにぶつかりながら、閉まりかけたドアをこじ開けるように、強引にその電車に飛び乗った。
いったん閉じたと思えたドアが再び少し開き、乗り遅れたリュックも無事に電車の中に収まった。
Sは、間に合った、と軽く息を吐いた。
ホームに来るまであれほど人が多かったのに、その電車はあまり混んでおらず、Sは少し進んで反対側のドアにもたれかかった。
電車はまだ発車しない。
――にとって大変危険ですので、駆け込み乗車はおやめください。
社内アナウンスが流れた。
駆け込み乗車をした罪悪感は僅かにあったので、その言葉だけ耳に残った。だが、いつも自動で流している音声なのだろう。気にすることはない。
Sは息が整ってくると、プレゼンのシミュレーションを頭で始めようとした。
ところがまだ、電車は発車しない。
「駆け込み乗車は大変危険ですので、絶対におやめいただくようにお願いします」
同じようなアナウンスが繰り返された。
今度は機会的なアナウンスではなく、たった今、車掌がマイクで喋っているような、少しくぐもった生の音声だ。
Sは心の中で舌打ちをした。悪かったよ。でも仕方ないだろ。エスカレーターを塞ぐ親子がいたんだから。早く発車しろよ。なんのために急いで乗ったと思ってるんだ。
Sの苛立ちが増した。
腕時計を確認してから、ドア上部の路線図を眺めるために顔をあげる。
Sはふと視線を感じて視点を下げた。座席に座っている乗客たちが、白い目でSを見つめている。
自分と同じサラリーマン風の男性も、夢の国に遊びに行くような若い女性も、白髪の老人も。一様にSを見つめている。
パシャリ
反対側の座席から、スマホのカメラ音がしたのでSはハッとして振り返る。
カメラレンズはSを確実にとらえていた。脳裏に最近目にしたSNSの文言が浮かぶ。
「こいつの駆け込み乗車により電車遅延」
「ルールを守れないやつは晒してよくね」
ふざけるな、とSは思う。
正義感振りかざしやがって。大して税金払ってない虫けらどもが。
ところが反対側から同じ音がして振り返る。
パシャリ
さっき見た乗客たちの、カメラレンズが全てSをとらえている。
自分と同じサラリーマン風の男性のスマホも、夢の国に遊びに行くような若い女性のスマホも、白髪の老人のスマホも。
Sのうなじにじっとりと汗が湧いた。
なんなんだ、こいつら。スマホのリテラシーが無さすぎやしないか。
再度、電車内にアナウンスが流れる。
今度はさっきと違って機械的なアナウンスだ。やっと発車するのだろうか。行き先などについてのアナウンスをするのだろう。普段なら意識しないが、目の前のカメラレンズから意識を遠ざけたくてSは耳を澄ます。
「他のお客様のご迷惑になるとともに、当のお客様にとって、駆け込み乗車は大変危険ですので、絶対におやめいただくようにお願いします」
Sは、初めて聞く文言に眉毛を寄せる。
自分にとって、大変危険?
さっきまで座っていた乗客たちがゆっくりと席を立つ。瞬きもせず、無表情で少しずつ近づいてくる。右からも左からも、無表情の乗客が寄せてくる。
隣の車両に移ろうにも、連結部のガラス窓から同じ表情の乗客が覗いている。
この異様な状況を前にして、Sの足も動かなければ適切な言葉も出てこない。
「うっ……」
Sのこめかみに汗が流れる。握りしめていた、大事な資料の入った鞄が床に落ちる。膝に力が入らず、うまく立っていられそうにない。
これから、どんな危険が待ち受けているというのか。
電車はまだ、発車しない。
そして二度と、ドアは開かない。
(1965文字)
昨日、創作仲間と飲みながらこんな話をしました。
「今、2000字で書けって言われたら、どこからの発想で書き始めますか」
1人は「タイトルから入るかなぁ」
1人は「経験談から考えるかなぁ」
1人は「いま書けって言われたら、今の状況から、かなぁ……」
楽しく飲み終えて電車に乗った私。
駆け込みはしてないけど、このようなアナウンスがリアルに流れたんです。
けっこうキツめの言い方で!
「今の状況から作る」と答えたのは私。
昨日は疲れて寝ちゃったけど、書いたわよ。むふふ。約束なんか、してないけどね。
さて。
他の2人の反応が楽しみです。
リスペクトの意味をこめて、この話の主役は「S」にしました。
※創作仲間とネズミーランドに行ってたわけじゃありません
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