探偵 笊畑律人の「犯人は左利きだ!」 #ザルミス
「夕焼けは嫌いじゃないんですけど、ここまで赤い空だと不安になりますよね。なにか、不吉なことが起こりそうな気がしませんか」
綿田美月は、かがみこんだ時に西側の窓から目に差し込んできた光に目を細め、かがむのをやめて立ち上がった。立っていれば顔に光は当たらない。
「不吉なこと?」
聞き返した男は、ずっと掌で球のようなものを3つ器用にぐるぐる回している。
「だって、今日の空は赤すぎません? あんまり見たことないです」
美月はぶちぶち文句を言いながら、どうぞお座りになってお待ちくださいと言われたソファーに腰かけようと再びかがむけれど、やっぱり西日があたって眩しいのか、再び立ち上がる。
そこに家主の女性が現れた。
「お待たせして申し訳ございません」
常に美容室にいきたてのような整った髪と、ベルトでしまった白いワンピース。自宅だというのにヴァンクリのネックレスをしているご婦人は、応接室兼書斎に入るなり、すぐに西側のブラインドを閉めた。
「どうぞ。お座りください」
美月はすぐに座ったが男は座らない。
花柄のエプロンをつけたお手伝いさんのような人物がトレーに紅茶を乗せて静かに部屋に入った。ご婦人が優しく「そのまま置いておいていいわ」と言うと、お手伝いさんは頭をさげて出て行く。
「笊畑さん、座りましょう」
そう。立っていた男は笊畑と言う。
タウンページの「探偵」欄に電話番号を載せている、この市内局番の唯一の探偵だった。
声をかけられてもなお、書斎のデスクの前から動かない。手には3つの球。ぐるぐる回すと僅かに鈴の音が聞こえる。
ぐるぐるぐる
チリチリチリ
ご婦人がティーポットから紅茶を注ぎ、向かいにカップをふたつ差し出した。美月は喉が渇いていたのか、さっそく「戴きます」と言ってゴクゴク飲みほした。ご婦人が、自分のカップに角砂糖をひとつ落としてスプーンで静かにまぜているところで、笊畑の手が止まった。
ぐるぐるとチリチリの音が止む。
「回収しました」
笊畑の静かな声に、綿田美月が目を剥く。
「えっ! 任三郎さん、もう謎が解けちゃったんですか!」
「めんみつ、僕は任三郎ではなく、律人って名前を親からもらってるって何度も教えましたよね。そろそろ試用期間も終わるから覚えてもらえないかな。クビにするよ」
「あ、すみません。でも、でも、笊畑さん」
「なに」
「私たち、まだ、依頼内容をまったく聞いてませんけど?」
そう。ふたりはまだ本日の依頼内容を聞いていない。
ご婦人はニッコリと微笑み、「任三郎さん、まずはお座りになってください」と告げた。
「いや、結構! すでに回収しています!」
ご婦人にまで任三郎と呼ばれた笊畑は、声を一段と大きくして3つの球をポケットにしまう。ひとつをズボンの右ポケットに。ひとつをズボンの左ポケットに。最後のひとつを、ポロシャツの胸ポケットに。
「今日の依頼はこれです!」
そう言って、書斎のデスクの上に置かれた紙を指さした。
「この紙がビリビリに破られている。この紙を破ったのは誰か。破ったのはなぜか。奥様はそれが知りたいのですね」
「まあ!」とご婦人は眉をあげた。笊畑はにやりとして話を続ける。
「この紙は、夏休みの宿題について書かれた学校からの大事なお便りです。夏休みが始まったばかりだというのに、これが破かれては宿題もできない。そんな困ることをするのは誰か。簡単です。それは――」
「こどもっすね」
美月が、ご婦人から紅茶のお代わりを注いでもらいながら呟いた。ちなみに何年生ですかとご婦人に尋ねると、小学校三年ですと答えが返ってくる。
「め、めんみつ! なぜ分かった!」
「え。宿題をやりたくないのは全こども共通でしょ。こどもしかいないっしょ」
そんな大仰に言わなくてもと美月が鼻で笑うと、意外にも笊畑は前髪をかき上げて自信満々の面持ちで「それだけかね」と問うた。
「めんみつは相変わらず考察がザルだな。いいから続きを聞きたまえ。こどもが破ったなんて親が真っ先に考えるに決まってるだろう。それなのに、わざわざ探偵に電話して来たんだぞ? こどもは自分じゃないと言っているってことだ」
ご婦人は「そうなんです」と少し困ったように笑った。
「ほら。な。最後までききたまえ。奥様、この紙をよく見てください。切れ目です。紙の、キレ方。あっ! ばかちん、素手で触るな。ほら。よく見て。すべての切れ目が左上になっている」
「ひだりうえ?」
めんみつが叩かれた手のひらをさすりながら尋ねた。
「そう。紙を縦向きに破くとき、自然と利き手を手前に持ってきて破くものだ。紙の薄くなった部分を見ると、どっちの手を手前にひいて破いたのかが分かる。これは、左がわの手を手前にして破った形状。したがって、破ったのは左利きの人だ」
「へー」
「ところが、紅茶を注いだときも、ティースプーンを回す動作も、ご婦人は右手でごく自然に行っていた。したがってご婦人は右利きだ。そしてこの書斎にはベストセラーにもなった『すごい左利き』の本が下段に置いてある。こどもが左利きなのは間違いない。聞くところによると小学校3年生というではないか。ちょうど夏休みの自由研究が始まる学年だ。こどもにとって自由研究という自由過ぎる課題は、特にこちらの躾が厳しそうな家庭の子供にとっては厳しいものなんだよ。学校からの大事な手紙だと分かっているのに破ってしまいたい衝動に駆られてしまった。かわいそうに」
「は」
「そうですね、ご婦人! それと、そうだね? ドアの向こうで話をこっそり聞いている息子くん!」
笊畑がドアに向かって大声で叫ぶと、廊下からシーンという音が返ってきた。
「笊畑さん、娘は本日ボルダリングのお稽古に行っております」
笊畑は絶句し、美月はうつむいて「しかも娘……」と肩を揺らした。
躾の厳しいご家庭の娘さんがボルダリングのお稽古にいかされるという話はあまり聞かない。それでも気分を害した風を見せない感じの良いご婦人は話を続ける。
「お稽古は一時間なので早くお話を進めてもよろしくて? 実は、その紙を破いたのは確かに娘のようなんですが、恥ずかしながら私が問い詰めても認めないのです。認めないのならいっそのこと、指紋をとりましょうと。指紋採取キットを購入したんです。夏休みの自由研究コーナーに置いてあったものですから、娘も一石二鳥だと言って喜んでいました。そう。それです。デスクの真ん中に置いてありますでしょ。でもね、ちょっと難しそうなんですよ。ですから、ちょっとコツを教えていただきたくて。探偵さんですから、指紋を取るのは慣れてらっしゃるのではないかと。コツだけでいいんです。娘が自分でやりたいから待っていてと。されたことございますか? 指紋採取」
丁寧に問いかけられた笊畑は、天井を見つめながら言った。
「指紋を取るのは、警察の仕事ですので」
婦人は残念そうに溜息をつき、ソファーにゆっくり腰をかけた。
「そうですよね。そうは思ったのですが、わざわざ来ていただいて申し訳ございません。お電話口で依頼内容をご説明しようとしたのですが、すぐ行きますと綿田さんがおっしゃるものですから」
「あっ」と大声で美月が話を遮る。
「娘さん、左利きですか?」
「いいえ。娘は右利きです。実はわたくしが左利きなんですよ。実はお手伝いの桜ちゃんも左利きです。ですから日本茶の急須は持ちにくくて、昔からお客様にはお紅茶を出すようにしています。お紅茶のポットは左右関係ありませんからね。それに、カップの持ち手やスプーンを右手で使うのは、イギリスのマナーですから」
ご婦人はそう言うと、左手でソーサーを持ち上げ、右手の三本指でカップの取っ手を持ち、静かに紅茶を口に入れた。
美月も再び着席して残りの紅茶をすすってから笊畑に問う。
「じゃあ、紙の切れ口がどうとか言うのは」
「紙を逆さまにしたら、結果は逆になるのではないかしら」
笊畑の代りにご婦人が答えた。
*
お手伝いの桜さんが恭しく頭を下げるなか、ふたりが瀟洒な門を抜け出たころには、すっかり空は濃紺に染まっていた。通りの両側に規則的に並ぶ街灯がパチパチと音を立てながら一斉に灯りを灯した。
丘のてっぺんにあったお屋敷から駅までの道のりを並んで歩く。
「まあ、娘さんの自由研究のテーマが決まっただけよかったですね」
美月が笊畑の肩を叩きながら言った。
指紋採取キットの説明書を3人で読んでいたところに、娘が「ママ! 自由研究のテーマ決めたよ」と叫びながら帰ってきたのだった。
「指紋取るの難しそうだし、それで犯人が自分だって分かったら、あんまり一石二鳥じゃないからやめるわ」と。そもそも一石二鳥の使い方が微妙に違うということにも気づいたようだった。
「めんみつ。僕のことを慰めてるのか?」
「そーゆーわけじゃないけど。ほら。ちゃんと出張代は払ってくれたじゃないですか。やっぱりお金持ちの依頼は受けておくべきですよ。電話口で出来ませんって言ってたら収入ゼロでしたよ? 褒めてくださいね」
「ああ、まぁ」
「娘ちゃんも、今日の空の色が変だって気づいてましたね。それを自由研究のテーマにするって、小学生らしくてよかった」
「ああ、まぁ。指紋採取よりは」
「今日は、笊畑任三郎のカブが落ちたけど、結果オーライ」
「いや、任三郎じゃ――」
「ああっ!」
美月がピタリと足を止めて指を立て、やおら「回収しました!」と叫んだ。
「不吉なことが起こりそうな気がするって言いましたよね、わたし」
にやりとしてくるりと身を翻し、叫びながら駅に向かって走り出す。
「伏線回収だぁぁぁぁ」
坂道を下る美月の背中に笊畑は「転べ」と念じている。
頭上で、まだひとつだけ点滅していた街灯が、やっと灯った。
(つづく?)
!説明しよう!
「ザルミス」とは、「ザルミステリー」の略。
ちょっとした謎を、超テキトーな解決で満足するというミステリーの新しいジャンル。
発案者はおそらく、納豆ご飯 椎名ピザ 夫婦。
本作品は、7月19日頃、ご夫婦がなんでもかんでも適当なことを言って「はっ!ザルミステリー!きゃっきゃっきゃ」と楽しそうに笑っていたのを聞いていた豆島が、一週間必死でザルミステリネタを考えて形にしたものである。
「ザルミス」なるものが、昔から使われていた言葉ならば教えてください。もし初めて作られた言葉だとしたら、ご夫婦に「新語・流行語大賞」の権利があります。
たとえば、この記事のコメント欄でも使われています。
でも、みんなも「#ザルミス」考えようぜ。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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