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笑我苦生(しょうがくせい) 最終章

翌日。

家に風呂がない俺は、朝風呂に行ってアルコールを抜いていた。

シャワーに打たれながら独り言を呟く。

「今、迎えに来たで!
 違うな。
 俺、イジメから抜けたで!
 アカン!アカン!
 すぐ告白はアカンな。
 どうせ、付き合うんやし。」

と、曇るガラスを何度もこすりながら、告白の練習をしていた。

ブレザーに着替え、スイスイ堂の前に行くと、制服姿の中橋さんが待っていた。

「マー君!おはよう!」

「あっ、おはよう。何処行く?」

「ウチな、繁華街とか行ったことないねん。」

「ほな、行こか?」

俺達は繁華街へ繰り出し、消えたばかりのネオンの下で、自然と手を繋いで歩いていた。

ゲームセンター、映画、喫茶店。

あの頃の遠足の時のドキドキが蘇る。

ずっと気になっていた塾のメンバーの現在の話を聞いた。

トクさんはバスケで地方へ推薦入学し、新田さんと遠距離恋愛中。

今井はあれ以来、誰とも連絡をとっていなかった。

あの頃には戻れない…。

でも、あの頃以上の未来が、俺には見えた。

ネオンがつく頃、俺達は繁華街を抜け、

スイスイ堂の前にいた。

「久しぶりに2人で中に入ろうよ」

その言葉に否定も肯定もせず、彼女について行った。

「えーーーーー!マー君?!
 エライ男前なって!全然来てくれへんやん!
 妹さんは来てくれるのに!」

「だって、今の俺に筆記用具いらんやろ?」

「そらそーやな!」

ちょっと小さくなった気がしたけど、元気そうなおばちゃんに俺は安心した。

店を出ると、

「マー君!はいっ!」

彼女の手には、あの時と同じ紙袋。

「今のマー君には必要ないかも知らんけど、
 いつか必要になるかも知らんやろ?
 私からの誕生日プレゼント。」

絵馬の形をした合格の消しゴムこそ入ってなかったけど、あの頃と同じセットやった。

このシャーペンの感触… 懐かしいな。

「ありがとう。ほな、ラーメンでも食いに行く?」

「うん。
 ……。何かあの頃に戻ったみたい。」

そう言って、あの時の駄菓子屋、あの時の公園に行き、俺達は時間を巻き戻し、最高の誕生日を迎えた。

俺は中橋さんと週に何度も会っていた。

学校の帰りの改札。

駅前の喫茶店。

スイスイ堂の前。

笑って、昔の話をして、今の話をして。

でも決定的な言葉だけは、言わんかった。

言えば壊れると思っていたから。

クリスマスの前日、中橋さんと遊びに行った帰り道。
スイスイ堂の前で繋いでいた手を離した時、

「マー君。クリスマス空いてる?」

「ごめん。俺、その日はサンタクロースになって
 トナカイ号に乗って、街の人に夢と騒音届けな
 アカンねん。
 どうしたん?」

「うん、何でもないよ。久しぶりに家に来るかなっ 
 て思っただけやで。
 サンタさん頑張って。
 ……。
 事故だけは起こさんといてよ」

「大丈夫!」

俺は笑顔で手を振り、横断歩道を渡った。

そのあと、彼女の目に涙が浮かんでいた事など知らずに…

あの時、振り向いていれば…

そして、新しい年を迎えた。

数日後。

今日も繁華街のネオンが、やけにまぶしかった。

広川達と他愛のない話をしながら、ゲームセンターに入ろうとした時、前の雑貨屋から中橋さんが出てきた。

声をかけようと一歩踏み出した瞬間、店の中から出てきた男が、中橋さんの手を自然に握った。

――村井?!

二人は、当たり前みたいに笑って、当たり前みたいに歩き出した。

俺の足は動かなかった。

見間違いであってほしいと願った。

でも、あのキラッキラは、見間違えようがなかった。

「双子の弟って、そういう意味か……」

次の日。

地下鉄の通路の端。

風だけが通る、少し暗い場所。

中橋さんは、いつも通りの顔でやって来た。

「どうしたん?」

俺は無言で歩いた。

逃げたら、一生言われへん。

付き合ってるとも限らん。

そんな事を考えながら。

しばらくして、スイスイ堂の前で足を止めた。

「ちょっとだけ待ってて」

そう言って俺は前の花屋さんで花を買った。

そして、片ひざをついて花を差し出した。

「恭子姫!俺と付き合ってください!」

声は震えてなかった。

不思議なくらい、落ち着いていた。

「好きじゃなーいって、言うたらええんかな?
 ……。
 ……。
 四年前も、今も。ずっと好きやねんで。」

沈黙の中、人の足音だけが遠くで響く。

中橋さんは、少しだけ目を伏せてから、ゆっくり顔を上げた。

「今も好きやで。」

胸が、わずかに軽くなる。

でも、続きがあるのは分かっていた。

「でもな、マー君が変わったみたいに、
 私も変わったんよ。」

真っ直ぐな目やった。

責めてもない。

優しくもない。

ただ、嘘がなかった。

「あの頃の続きを、今の彼と歩いてる。」

村井の顔が、頭の中に浮かぶ。

中橋さんは、少しだけ笑った。

「私な、今の彼氏が、ホンマに好きやった人
 そのものやと思ってるんよ。」

言葉が、胸の奥に刺さる。

「ホンマに好きやった人は今も目の前におるはずや 
 のに、今も好きやのに……」

そこで、一瞬、声が揺れた。

でも次の瞬間、覚悟を決めた顔になった。

「やっぱり、今の彼氏、裏切られへんねん。」

長い説明も、涙もない。

俺は、うなずいた。

振られたんやな、って。

それだけは、はっきり分かった。

「そっか。」

それしか出てこなかった。

中橋さんは、最後にもう一度だけ言った。

「今も好きやで。
 ……。
 ごめん。」

それは救いでも呪いでもなく、ただの事実やった。

背中を向けて歩き出す彼女を、俺は追わなかった。

四年前の俺なら、追っていたかもしれん。

でも今は違う。

   俺は家に帰って、廊下の端に座り込んでいた。

「結局、勝負してないのに…… 負けたな……」

シュィーーーーーン!!!

と最初で最後の軽快な音を立て、ファイヤードラゴンが廊下を走り抜けた。

「結局、俺の負けか……」

夜。

夕方の出来事を遠目で見ていた宮下は、俺を励まそうと外に連れ出した。  

宮下と二人、目的もなく繁華街を歩いていた。  

足かせをはめているように重い足取りで。

ネオンが濡れた路面に滲んでいる。  

「……ナンパでもしにいこか?」  

宮下が笑った。  

何かが崩れて、何かが積み上がっていく気がした。

俺は空を見上げた。  

雲はない。  

星もない。  

足かせもない。

「俺が声かけてくるわ。」  

軽やかなステップで前に出る。  

目に入ったのは、金髪で、派手なジャケットの兄ちゃん達。  

俺は近づき、声をかけた。  

「兄ちゃん、なんぼ持ってんねん?!」  

宮下が膝を崩し大声でツッコむ。  

「何で男に声かけてんねん!!」  

通行人が振り返り、  どよめきが起きる。  

宮下も便乗して飛びかかる。  

「お前、正気か?人数割合わんやろ!」

「もうけたやんけ!」

「どういうことやねん!」

街を切り裂く沈黙。  

その瞬間、誰かと目が合った。  

騒ぎに駆けつけた警察官。

その警察官の目に映ってる俺は――  

泣いてなかった。  

絶望もしてなかった。  

ちゃんと、笑っていた。  

痛みもある。  

人を痛みつける感触もある。  

楽しいも、悲しいも、ちゃんとある。  

無には、ならへんかった。  

俺は生きてる。  

逃げてるけど、逃げてない。

次のステージへ走ってる。

警察官を振り切り、路地裏でしゃがみ込んでいると

宮下が肩を組んできた。  

「お前、相変わらずアホやな。」  

「……。 せやろ。」  

ネオンの下で、俺らは笑った。 

 結局――  

死ぬほどしんどい事があっても、

生きてたら、

いつかは、

笑えるんや。

笑ってもっとBabyやな。

もう、地下鉄に乗る理由はなくなった…


次の日。

俺は今日も笑いながらバイクに乗り、天国の道を抜け、歩道橋の下を走り抜けイジメられることのない学校(世界)へ向かった。


その時、歩道橋の上から、あの頃の僕が手を振っている気がした。


「もう、大丈夫」




#創作大賞2026

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