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【男の育休物語#01】育休を取るかどうか迷っている男性へ(ぼくが育休を取った理由)

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わたしは2021年4月〜2022年2月まで、約11ヶ月の育休を取得している。
男が育休を取るまでの過程、取ってみて感じたこと、起こったことをできるだけ細かくまとめる。

#01は「わたしが育休を取ろうと決心するまでの過程」を書く。
わたしの場合、それは日常のとある出来事がキッカケで動き出した。
いま、この記事をちょっとでも読んでいるあなたはそんなキッカケを探しているのかもしれない。探していないかもしれない。

わたしは「キッカケ」とか「運命」とかいうのは大体後付けで、後から振り返ってみると「あぁ、あれがキッカケ(運命)だったのかな」なんて思うものだと思っている。

自分がどんな選択をしようが、後から考えた時に
「あぁ、あれがキッカケ(運命)だったんだ」と
そう思えるような日々を過ごしたらイイ。

この記事があなたにとってのキッカケになるかどうかは、わたしの文章技術の巧拙にあるのではなく、あなたがこれからどう生きるかにのみかかっている。

育休を取ろうか本気で迷っている男性の何かのヒントになりますように。


育休のきっかけ(2017年)

「ねぇ、育休に興味ある?」
妻からこんな話がもちあがったのは2017年のことだった。

当時長女が1歳で、なおかつ自分の仕事がかなり落ち着いていたため、今考えてもこのタイミングで育休を取ろうとするのはベストの判断であったように感じる。わたしも妻に対して、「育休とりたいなー」なんて言いながら前向きに検討することを話していたのを覚えている。

しかし、わたしは育休を取らなかった。

何故か。
「現実味がわかなかった」と言うのが本心だ。
周りに育休を取っている男の人は居なかったし、自分が育休を取るとどうなるのか想像できなかった。数ヶ月間、場合によっては数年間も職場を離れることに漠然とした不安感だけがあった。

妻に前向きに検討するなんて言いながら、
結局わたしは前向きなフリをしていただけだった。
しかも当時のわたしはフリをしているとさえ、思っていなかった。

変な例えだが、男の育休って宝くじの大当たりと似ている。

「当たったらいいなー(取りたいなー)」なんて言いながら、当たりを夢見て色々想像しつつ、でも周囲に大当たりした人なんて居ないから、自分が当たったら実際どうなるのかなんて結局想像がつかない。
わたしが妻に向けて言った「育休とりたいなー」は「宝くじ大当たりしたいなー」程度の薄っぺらい発言だったのだ。

そして2017年、わたしはせっかくの大当たりを捨てた。
もちろん、当時はそのことに気付いていないのだけれど。


再び訪れるきっかけ(2020年)

2020年7月、長女は4歳に、前年に生まれた長男は1歳になり、そして世間ではレジ袋が有料化され、一斉休校によって短くなった夏休みがようやく始まろうとしていた中、わたしの叔父が死んだ

亡くなったのが7月末だったから、告別式は8月だった。
喪主はわたしより一つ年下の従姉妹が務めた。
親族であるわたしは当然参列し、そこでの出来事がわたしの意識を大きく変えるきっかけになった。

わたしの当時の日記には次のように書かれている。
(以下引用の名前は仮名、一部意味が通じるように加筆してあります)

0802(日)
晴れ。ユージおじさんの告別式、葬儀。死んだらもう二度と動かないし、声も聞こえないし、焼かれたら骨だけになって、何も残らない。そんな当たり前のことを再度認識した1日だった。名誉も財産も何もかも墓場には持っていけない。ただ残されるのは家族だけなのだと思った。しかし、家族がいるっていうことが、その人の生きた証であり、その人の意志をつないでいくのだと感じた。いとこのミサキが喪主挨拶で最後に泣きながら口にした「お父さん、ありがとう」その一言に生きてきた価値が詰まっている気がした。


人は死んだらどうなるか

30代後半にもなれば、葬儀に参列した回数なんてそろそろ数えられなくなってくる。でも2020年8月にわたしが参列した叔父の葬儀はこれまでとは違う何かをわたしに与えてくれることになった。

「人は死んだらどうなるか」

何かに生まれ変わるのか?
魂が天国へ行くのか?
いやいやそんなこと考えても仕方ないのか?

わたしが叔父の葬儀で確認したのは
「人は死んだら焼かれて二酸化炭素と水になる」
そんな揺らぐことのない科学的事実だった。

この先ひょっとしたら、わたしはすごく有名になったりお金持ちになったり、はたまた大きく出世したりするかもしれない。
でも、死んだら結局みんな一緒で、焼かれて二酸化炭素と水になるだけだ。あとはほんの少しの、スカスカな骨しか残らない。

叔父は地位も名誉も、もちろんお金持ちでもなかったが、死んだ時に泣いてくれて心から感謝してくれる家族がいた。

そう考えたら、自分は今何のために働いているのかいきなりわからなくなった。
家族のためと思いながら、本当はお金のために働いている気がしてきた。いや、お金を得ることが家族のためになることはもちろん分かっているが。分かっているが、お金に目が眩むその傍で何か大切なものを落としてしまっているんじゃないかと、そしてその落とし物は決して後からは探せないものなんじゃないかと、急に不安になった。

自分の得ているお金は、家族との時間を削ることで生まれている。

そんな当たり前のことに気付いて、そして思った。
もっと家族と一緒にいよう。育休を取ろう。
お金はまたいつか何とかして稼げばイイじゃないか。


育休を取ると決めた

0803(月)
曇り。事務課に育児休業について確認してから、上司に相談した。明日、さらに上に相談しようと思う。周囲にちゃんと筋を通しつつ、迷惑を出来るだけかけないように考えてやりたい。
0804(火)
晴れ。暑い。朝一にトップに育休のことを相談した。今のプロジェクトの引継ぎだけ念押しされたが、それ以外はすんなりと受理してくれた。そういえば対策委員会はどうしよう。どのタイミングで委員の人に打ち明けるかも微妙に気を遣う。まぁイイか。後で考えよう。

いざ育休を取ろうと決めたら、以前に漠然と感じていた職場を長く離れることへの不安なんてゴミカスみたいなものだったと気付いた。

もしも仕事を1年間するのと育休を1年間するのだったら、学べることは圧倒的に育休での1年間の方が多いと思えていた。

お金の面や復帰した際の人間関係等々、細かい不安はまだあったが、そんな不確定なものにビビっても仕方ないだろう、自分がその時その時で頑張れば何とかなるだろう!そう思うことにした。

そして何より、妻とならきっと大抵のことは乗り越えられる、大変だろうけどきっとすてきな日々を子どもと過ごせる、そう思えることが育休への推進力になっていた。

制度上、育休は長男が3歳になる前日まで取ることができる。
仕事の引き続き、諸々のことを考えつつも、育休は2021年4月から長男誕生日前日の2022年2月まで目一杯取ることにした。
たかが11ヶ月だけど、自分にとってはかけがえのない11ヶ月になるだろうと思った。

子どもが大きくなった時に、父親が育休取っていただなんて絶対覚えていないだろう。まぁそれでもイイ。

家族と一緒にいたい。
家族との時間を楽しもうと思った。

#02「男の育休日記(はじめの3ヶ月編)」へつづく。


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