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「いつか使うかも」の正体——その"いつか"はほとんど来なかった

少しずつ日が長くなり、窓から入る風に春の気配を感じるようになった週末のことです。 衣替えを兼ねて、クローゼットの奥を整理しようと思い立ちました。

冬の重たいコートを端に寄せ、引き出しの隅まで手を伸ばしたとき、指先にコツンと硬い感触が当たりました。
取り出してみると、それは丁寧にラップで包まれたままの、少し大きめの高級石鹸でした。

パッケージのロゴを見て、記憶の霧が晴れていきます。
たぶん5年ほど前、友人からお祝いでいただいたもの。

「すごくいい香りだから、もっと特別な、心に余裕がある時に使おう」と大切にしまい込んだ。

そんな、当時の自分なりの「丁寧な暮らしへの憧れ」が、ラップの中に閉じ込められていました。

けれど、封を解いてみて、私は愕然としました。

あれほど華やかだったはずの香りは、長い年月の間にすっかり抜け落ち、石鹸の表面は心なしか痩せて、ひび割れている。

泡立ててみても、かつての贅沢な面影はなく、ただ無機質な粘土のような感触が手に残るだけでした。

その時、突きつけられたのは残酷な事実です。

私の待ち望んでいた「いつか」は、5年経っても、ついに訪れなかった。

モノには「旬」があり、それを受け取った時の私の「ときめき」にも賞味期限があったのだと、無惨な姿になった石鹸が教えてくれました。

私たちの部屋を埋め尽くす「いつか」という名の亡霊

40代という年齢は、人生の折り返し地点を意識し始める時期です。
20代、30代と積み重ねてきた「モノ」と「経験」、そして「見栄」が、地層のように生活のあちこちに堆積しています。

断捨離を始めて最初に気づいたのは、私の部屋が「いつか」だらけだということでした。

  • 「いつか」着るかもしれない、少しタイトなワンピース

  • 「いつか」読むかもしれない、積読状態のビジネス書

  • 「いつか」使うかもしれない、来客用のブランド食器

  • 「いつか」必要になるかもしれない、謎の配線コード類

クローゼットを数えてみたら、服や小物の約3割がこの「いつか枠」でした。
 
しかも正直に振り返ると、それらを買ってから、あるいは譲り受けてから、一度も使っていないものがほとんど。

クローゼットを開けるたびに、使われないモノたちの無言の視線を感じて、心のどこかで「今日も選ばなかった」という小さな罪悪感を積み上げていたのです。

胸が痛んだ、ある「手放し」の記憶

断捨離の過程で、どうしても手が止まってしまったものがありました。
 
それは、数年前に「これからは颯爽と歩く、格好いい大人になろう」と、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入した、9センチの高級ハイヒールです。

当時の私にとっては、一ヶ月の食費を優に超える贅沢品でした。
 
ショップの鏡の前で背筋を伸ばし、高揚感とともに持ち帰った一足。
しかし、いざ生活に戻ると、そのヒールの高さに気圧され、結局「ここぞという記念日まで」と箱にしまったまま年月が過ぎていきました。

久しぶりに箱から出し、足を入れてみて、驚きました。

かつては「美しさのため」と我慢できたはずの傾斜が、今の私にはあまりに痛く、重く、不安定に感じられたのです。

数歩歩いただけで足の裏が悲鳴を上げ、鏡に映った私は、優雅どころか、おぼつかない足取りで戸惑う一人の女性でした。

それを手放すと決めたとき、胸の奥がチリチリと焼けるように痛みました。

それは、単に高い買い物を無駄にした後悔ではなく、「もうあの高さを乗りこなせる自分ではない」という、若さや過去の理想像との決別を突きつけられたような痛みでした。

「私は、もうこの靴で街を歩くことはないんだな」 そんな変化を認めるのが怖くて、ずっとクローゼットの暗闇に閉じ込めていただけ。

モノを捨てるというのは、単なる片付けではなく、今の等身大の自分を受け入れるための「儀式」なのだと痛感しました。

どうしても「捨てられなかった」もの

一方で、どんなに「断捨離」を意識しても、どうしても捨てられなかったものもあります。

それは、何年も愛用している、少しくたびれたカシミヤのストール。

毛玉もでき始めているし、新しいものを買ったほうがいいのかもしれません。

 でも、それを羽織ると、冷え込む朝に自分を優しく包んでくれた温もりや、大切な人と過ごした時間の記憶が、肌を通じて伝わってくるのです。

「いつか」ではなく、私の「今」を支え、包み込んでくれる確かな相棒。

「執着」と「愛着」は似ているけれど、決定的に違います。

未来の自分を縛り、罪悪感を抱かせるのが「執着」であり、今の自分を肯定し、癒やしてくれるのが「愛着」。

すべてを無くすことが正解ではなく、その境界線を一つひとつ丁寧に引き直していくことこそが、大人になってからの片付けの醍醐味なのかもしれません。

魔法の質問:「もし今日、旅に出るならそれを持っていく?」

判断に迷ったとき、私は自分の中に一つの厳格なルールを設けました。 それが**「いつかテスト」**です。

「もし今日、憧れの場所へ旅行に行くとして、限られたスペースのスーツケースに、わざわざこれを入れるか?」

答えが「No」なら、その「いつか」は来ない可能性が高い。

「履かないけれど、持っていたい高級ヒール」は、ただの執着。

「今の私が歩きやすく、心から心地よいと思える靴」こそが、今の私に必要な相棒です。

このテストをやってみた瞬間、判断のスピードは格段に上がりました。 使う想定が「いつか」という霧の中ではなく、「今、この瞬間」という現実的なラインに切り替わったからです。

「いつか」を手放した先に見えた、本当の贅沢

「いつか」を手放し始めて数ヶ月。 

クローゼットの中には「今、使いたいもの」だけが残りました。

驚いたのは、物理的なスペースが空いたこと以上に、精神的な「余白」が生まれたことです。

毎朝の支度がスムーズになり、クローゼットを開けるたびに感じていた「使っていない」という重圧から解放されました。

そして意外なことに、新しいものへの衝動買いが、ほとんどなくなったのです。

「今あるものが、今の自分にちょうどいい」 そう思えるようになると、「もっと、もっと」と外側に何かを求めていた心が、静かに凪いでいきました。

まとめ:あなたの「いつか」を今日、ひとつだけ

「いつか使うかも」は、今の自分が使わない理由を先送りにしているだけ。 その正体は、未来への期待を装った、過去への執着でした。

モノを手放し、部屋が軽くなったとき、私の頭の中も同じくらい軽くなりました。

 40代。

私たちはもう、多くのものを抱えて走るには少し疲れやすくなっています。 でも、身軽になれば、どこへだって行ける。

あなたの家の引き出しにも、5年前の私と同じように、香りの消えかけた石鹸や、箱の中で眠る高いヒールがありませんか?

季節が変わるこのタイミングで、今日ひとつだけ、その「いつか」を見直してみませんか。

もしこの記事に少しでも共感いただけたら、「スキ」やフォローをいただけると、私のこれからの歩みの励みになります。

また次の記事でお会いしましょう。

ルナ

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