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同じ月の下に選ぶ者たち 第十五夜「月への誘いは、甘美な冥い罠」(妄想歴史会話劇)


夜。
窓の外に、冴えた月。

ウィリアム・ブレイクは机に向かっていた。
紙は白いまま。インクは乾きかけている。

境が、分からない。

朝と夜のあいだ。

夢と現のあいだ。

神と魔のあいだ。

そのどれにも、線は引かれていない。

ブ「……祈りは、どこへ届く」

答えは——ないはずだった。

「届くさ」

音はしない。
だが、言葉だけが、どこからともなく響く。

ブレイクは顔を上げる。
部屋には誰もいない。
月だけがある。

ブ「……誰だ」

「誰でもいいでしょ」

一拍。

「君、名前で区切るの好きだよね」

ブレイクは目を細める。

ブ「区切らねば、分からぬ」

「分からなくていいものもあるよ」

「そのほうが、うまくいくし」

沈黙。
紙の上に、かすかな影が揺れる。

——次の瞬間。
まだ触れてもいないはずの紙に、
細い線が、すっと現れる。
インクが、滲むように。

ブレイクは息を止める。

ブ「……今のは」

「君だよ」

即答。

ブ「私は、何もしていない」

「してるって」

「気づいてないだけでさ」

紙の上に、さらに文字が浮かぶ。
意味を持つ前の、形だけの言葉。

だがそれは、どこか美しい。
ブレイクは、ゆっくりと筆を持つ。

ブ「……導きか」

「そう思えばいいんじゃないかな」

一拍。

「もっと楽なものだけどね」

ブ「楽?」

「考えなくていい」

「選ばなくていい」

「流れてくるものを、写すだけでいいんだよ」

沈黙。

月の光が、紙と手元を淡く照らす。
ブレイクは、その白さを見る。

ブ「それで、良いのか」

「いいよ」

「だって、心地いいでしょ」

間。

「君は器になればいいんだよ」

「満たすものは、こっちでやるからさ」

紙の上の文字は、止まらない。
ゆっくりと、しかし確実に増えていく。

ブレイクの指は、わずかに震える。

ブ「……これは」

「綺麗ーーだよね」

ブレイクは否定しない。
確かに、それは美しい。

だが——
どこか、軽い。

ブ「重さが、ない」

「いらないでしょ、そんなの」

一拍。

「重いのって、しんどいだけだし」

「遅くなるし」

「君は、もっと先に行けるんだよ」

沈黙。

ブレイクは目を閉じる。
光が差し込む。
だがそれは、昼の光ではない。
月のようで、
それでいて、どこか熱を帯びている。

ブ「……お前は、何だ」

間。

「境の上にいる感じかな」

「神でもないし」

「魔でもない」

一拍。

「どっちにもなれるやつ」

紙の上の文字が、ふと止まる。

沈黙。

ブレイクは、ゆっくりと目を開ける。

「……汝は我」

間。

ブ「我は汝……か」

「そうそう」

「やっと気づいたね」

ブレイクは苦く息を吐く。

ブ「ならば」

ブ「私は、何を手放そうとしている」

「手放してないよ」

一拍。

「ちょっと預けてるだけ」

沈黙。

月が、変わらずそこにある。
何も裁かず、
何も導かず、
ただ、照らしている。

ブレイクは紙を見る。
そこに並ぶ言葉は、確かに美しい。
だが——
それは、本当に自分のものか。

ブ「……私は」

小さく。

ブ「私で在りたい」

間。

「それもいいんじゃない」

声は優しい。
あまりにも、優しすぎる。

ブレイクは、ゆっくりと筆を置く。
そして、紙の上の文字を、指でなぞる。
滲む。
形が崩れる。

ブ「……これは、まだ私ではない」

長い沈黙。

やがて——

「何が違うの?」

声は軽いまま、すぐそばにある。
ブレイクは紙を見つめたまま答える。

ブ「軽すぎる」

間。

ブ「痛みが、通っていない」

一拍。

「痛みなんて、いらないよ」

「誰も求めてないし」

月の光が、わずかに揺れる。

「言葉も、詩もさ」

「気持ちよければ、それでいいんだよ」

「分かりやすくて、すぐ満たされるもの」

「みんな、そういうのが好きだからさ」

間。

「そこにさ」

「書いたやつの苦悩とか葛藤とか——」

一拍。

「別にいらないんじゃないかな」

沈黙。

ブレイクは、ゆっくりと息を吸う。

ブ「……それでは」

小さく。

ブ「何も残らない」

間。

「残さなくてもいいんじゃない?」

ブ「ある」

即答。

ブ「たとえ、わずかでも」

ブ「届く者がいればいい」

一拍。

ブ「数は、要らない」

ブ「ただ——」

ブレイクは紙に触れる。

ブ「その者が、一瞬でも立ち止まるなら」

ブ「疑問を抱くなら」

ブ「私の迷いに、触れるなら」

間。

ブ「それでいい」

沈黙。

「フフ……遠回りだね」

ブレイクは小さく笑う。

ブ「そうかもしれない」

一拍。

ブ「だが、それが私だ」

長い沈黙。
やがて——

「……そっか」

声は、わずかに遠のく。
だが、消えはしない。

月は変わらず、そこにある。
何も裁かず、
何も選ばず、
ただ、静かに照らしている。

ブレイクは筆を取る。
今度は、止まらない。

ゆっくりと。
確かめるように。
言葉が、刻まれていく。

ブ「……では」

小さく。

ブ「続けよう」

間。

「——ウィリアム・ブレイク」

その呼びかけに、
ブレイクはわずかにだけ目を細める。

ブ「……ルシフェル」

答えはない。

月の光は、まだそこにある。

離れたわけではない。
手を伸ばせば、届く距離に。

ただ——
それに触れるかどうかは、
まだ、決まっていない。


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