『星ヨミ樹の世界』 第10話 歓迎の葉
第10話 歓迎の葉
透明な小さなドームの中で、
白銀の葉が淡く光っていた。
角度が変わるたび、
葉の表面に淡い虹色がすっと浮かび、
また消えていく。
そばには、
青白い星字が幾つも浮かんでいた。
その前に、白い衣をまとったナビエルが、
ひとり静かに立っている。
夜は、すっかり更けていた。
ドーム硝子の向こうで、
星々が遠く瞬いている。
フィオナはソファの上で、
眠れないまま、
観測デスクの淡い光を見つめていた。
足もとには、ミロが丸くなっている。
眠っているようで、
完全には眠っていないらしい。
ひげがぴくぴく動いている。
「……まだ起きてるの?」
眠たげな声が、足もとからした。
フィオナは小さくうなずく。
観測デスクのほうを見ると、
ナビエルはまだ作業中だった。
指先が動くたび、青白い星字がひとつ、
またひとつと増えていく。
邪魔をしたくない、と思った。
そのままソファに座っていることもできた。
けれど、胸の奥がなんとなく落ち着かない。
静かな水面に
星の雫が落ちたみたいに、
小さな波が、
ゆっくり同心円を描いて
ひろがっていた。
フィオナはそっとソファを降りた。
ミロがしっぽをひとつ揺らす。
「どこ行くの」
「……温室に。眠れないから少しだけ」
フィオナは小さく答えた。
ミロは無言のままのっそりと起きて、
あとをついてくる。
温室の入口には、
雪洞草が淡く光りながら揺れていた。
フィオナはそのうちの一本を
そっと持ち上げる。
やわらかな青白い灯りが、
指先と頬をほのかに照らした。
夜の温室は、
昼とはまた違う場所のようだった。
細い葉の先にたまった光。
眠る種。
硝子の器の中で、
かすかに脈打つ苗。
植物たちはみな
声をひそめているのに、
不思議とさびしくはない。
むしろこの場所にくると、
胸の奥の緊張が
少しだけほどける気がした。
前にシロルたちが
案内してくれたときから、
フィオナはこの温室が好きだった。
雪洞草の灯りを揺らしながら奥へ進むと、
温室の先に短い廊下があった。
その向こうに、ひとつの扉。
半ば開いた隙間から、
白とも金ともつかない、
落ち着いた灯りがこぼれている。
フィオナは、そこで足を止めた。
入ってはいけない気がした。
でも、なぜか目が離せない。
そのとき。
「……おや」
部屋の奥から、声がした。
フィオナの肩が、
びく、と小さく揺れる。
「そんなところに立っていないで、お入り」
落ち着いた中にも
透明感のあるユキの声だった。
フィオナは雪洞草を握りしめたまま、
そっと中へ入った。
ミロも足もとをそっとついてくる。
ユキの部屋は、
観測舎の主空間より少しだけ暗かった。
楕円形の小さな天窓があり、
勾配のある天井は、少しだけ低い。
余計なものはほとんどない。
低いベッドと、小さな卓。
白い壁際には星ヨミの植物が
静かに影を落としていて、
その空気だけで、
この部屋の主が整った人なのだとわかる。
部屋の隅には、
大きな白い鳥籠があった。
人ひとりが屈めば
入れそうなほどの高さがあり、
出入り口はあるのに、
閉じる扉はついていなかった。
白い枝を編んだような
繊細な枠だけが、
やわらかな丸みを描いていた。
中には羽のような葉をつけた
星ヨミの植物。
何かを閉じこめるための檻でないことは、
すぐにわかった。
フィオナは思わず見入った。
「すごく大きな鳥籠……。
鳥がいるのですか?」
ユキは、月光を溶かしたような
金の瞳でフィオナを見つめた。
「ああ、いるよ。今は旅に出ている。
そのうち、また戻ってくる。
昔から、私たちにとって
大切な存在なんだ。」
それから、
ほんのわずかに口もとをゆるめる。
「エルが小さい頃は、よく一緒に寝ていた。
私が家を空けることも多かったからね」
フィオナは目を瞬いた。
ナビエルの小さい頃。
すぐには想像できなかった。
ユキは、小さな椅子をそっと引いた。
「座るといい」
フィオナはおそるおそる腰を下ろした。
ミロはその足もとで、くたりと伏せる。
眠そうな顔をしているくせに、
ちゃんと様子を見ているらしかった。
しばらく、静かな時間が流れた。
窓から差し込む星ヨミ樹の光が、
窓辺の植物にやわらかな陰影を
落としている。
ユキはすぐに話し始めなかった。
ただフィオナを見る。
見透かそうとするというより、
急がずに待つような眼差しだった。
「眠れないのかい?」
フィオナは少し迷ってから答える。
「……眠れなかったんです。
葉のことを考えていたら、なんだか……」
言葉を探す。
「落ち着かなくて」
「星ヨミ樹の葉のことかい?」
フィオナは小さくうなずいた。
「怖くはない?」
ユキの問いに、フィオナは目を上げた。
「葉のことも、
星ヨミ樹が君に応じていることも」
ユキは静かに言った。
フィオナは胸の奥へ手を当てた。
ざわついていたものの正体は、
たぶんそれだ。
でも、怖さとは少し違う。
「……こわくは、ないです」
やがてそう答える。
「びっくりするほど……
葉に触れていると落ち着くんです」
ユキは、
ほんの少しだけ目をやわらげた。
「なら、いまはそれでいい。
古い記録の中に、星ヨミ樹が選び、
迎えた相手にだけ応じる、
特別な葉があるという一説が残っている。
その葉は、世界に新たな変化を
もたらすとも……」
「そんな記録があるんですね。
その葉は……」
「その葉は、歓迎の葉と呼ばれている」
ユキは落ち着いた声で言う。
フィオナはそっと繰り返す。
「……歓迎の葉」
「今回の葉がそうなのかは、
まだ断定できないけれど。
私はその可能性はあると思っているよ。
少なくとも、君は拒まれてはいない、
だから心配いらない」
ユキはそれ以上、言い切らなかった。
それがかえって、フィオナを安心させた。
答えを押しつけずに、ただ話を聞いてくれる。
しばらくして、
フィオナはぽつりと別のことを言った。
「……ナビエルは、
怒ってるのかと思いました」
その瞬間、
ユキの口もとがごくかすかにゆるんだ。
月光がほんの少しほどけたみたいな
表情だった。
「怒っていた、というより
気が気ではなかったんだろう」
ユキはフィオナを
まっすぐ見つめながら言った。
フィオナは目を瞬いた。
「え?」
「エルは昔から気にかけたものほど、
扱いがぎこちない」
フィオナは、
昼間のことを思い出した。
枝の上で追いかけてきたこと。
あたたかいスープや楕円形のクッキー。
眠ったあと、いつのまにか毛布が
掛かっていたこと。
ユキはフィオナを見つめたまま続けた。
「不器用なんだよ、エルは」
フィオナの胸の奥が、ふっとほどける。
「……冷たそうで
……本当はとてもあたたかい人」
そうつぶやくと、
ユキは短くうなずいた。
「そうだよ」
そしてごく自然に、
「かわいい弟だよ。
あれが誰かを連れて帰ってくるとは、
思っていなかった」
フィオナは少し目を伏せた。
「……わたしは、観察対象ですから」
「……それは、どうだろう」
ユキの目もとが、
ほんの少しやわらいだように見えた。
フィオナはユキの前では
まだ少し緊張している。
けれど、最初に感じたような怖さは、
もうなかった。
そのとき、
足もとのミロが小さくあくびをした。
「……そろそろ戻る?」
眠そうな声だったが、
目はちゃんと開いている。
ユキはフィオナの背中に軽く触れた。
「そうだね」
フィオナも立ち上がった。
扉のところまで来たとき、
ふと背後からユキが言った。
「忘れ物だよ、雪洞草を持っておいき」
振り向くと、白い指先に
やわらかな青白い灯りが揺れている。
フィオナは、
ユキに丁寧にお辞儀をした。
「……ありがとうございます」
受け取ろうとしたそのとき、
ユキの指先が、
フィオナの乱れていた髪を
さらりと整えた。
「足もとに気をつけて」
フィオナは小さくうなずいた。
ユキは扉のところまで来たが、
そこから先へは出なかった。
温室へ戻っていくフィオナを見送った。
主空間へ戻ると、
窓辺の観測デスクの前で
ナビエルが顔を上げた。
深い青の瞳が、まずフィオナを見て、
それから雪洞草の灯りを見る。
その眉が、わずかに寄る。
「……寝てなかったのか」
フィオナが答える前に、
背後からミロが言う。
「ユキの部屋に行ってたよ」
「兄さんの邪魔はするな。
……それに、君もまだ本調子じゃない」
言い方はいつも通りそっけない。
フィオナは小さくうなずく。
「……ごめんなさい」
ナビエルは少しだけ視線をそらした。
「兄さんは、何か言っていた?」
フィオナは戸惑いながらも答えた。
「星ヨミ樹が落とした葉は、
歓迎の葉ではないかと
……言っていました」
ナビエルは、ドーム型の保護膜に包まれた
白銀の葉を見た。
「確かに、その可能性はある」
それだけ言うと、
また観測デスクへ向き直った。
フィオナはソファへ戻ると、
クッションの横で
ゆっくり鼻をぴくぴくしながら
寝ているシロルを撫でた。
歓迎の葉。
その名を胸の奥でそっと繰り返した。
フィオナの胸の奥には、痛みではなく、
淡い灯りのようにユキの言葉が残った。
第11話「薬草庭」へ続きます。
♪おまけ♪
第10話「歓迎の葉」のイメージイラスト

ユキの部屋へたどり着く。
白い鳥籠と星ヨミの植物に囲まれた部屋で、
ユキは静かにフィオナの話を聞いていた。
※物語の設定をもとに、AIを活用し、
作者が加筆・調整を行って制作しました。
Lunavi/minamiayako
