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『星ヨミ樹の世界』 第9話 観測舎の食卓

#創作大賞2026  #ファンタジー小説部門

第9話 観測舎の食卓

観測舎へ戻るころにも、
フィオナの掌の白銀の葉は、
消えずに残っていた。

枝を離れたはずなのに、
光へ還ることもなく、
小さな翼のような形のまま、
澄んだ明るさをたたえている。

大きな窓の向こうでは、
星ヨミ樹が観測舎の
すぐそばで枝を広げている。

ドーム硝子の高い天井には
昼の名残の白い光がかすかに揺れ、
奥の温室には細い葉影が
幾重にも重なっていた。

「こっちだ」

ナビエルは短く言って、
窓際の観測デスクへ向かった。
その机はユキから譲り受けたものだった。
透明な記録板、
星字を映す薄い硝子、
幾つもの観測器具。
その中央に、
白銀の葉を受けるための皿を
ひとつ置いた。

「記録するあいだだけ、そこへ乗せて」

フィオナは、掌の葉を
そっと皿の上へ移した。

ナビエルが指先を軽く動かすと、
皿のふちに青白い星字がひとつ浮かんだ。

その星字はすぐにほどけ、
薄い光の膜となって、
白銀の葉を包むように
小さなドームを作った。

「閉じこめるわけじゃない。
刺激を避けるためだ」

白銀の葉は何事もなかったように
そこへ留まった。
ほどけて消えない。
光へ還らない。

ただ、薄い光のドームの中で、
ほのかに息づくみたいに
淡く光っている。

「……きれい」

フィオナが小さくつぶやくと、
ナビエルは答えずに葉へ身を寄せた。
その横顔は真剣だった。
冷静で、鋭い。

白い指先が空を払う。
すると青白い星字が幾筋も浮かび、
葉の輪郭、葉脈の光度、
皿の表面に落ちる微細な星粒の動きが、
次々と記録されていった。

少し離れた場所で、
ユキがそれを見ていた。
窓辺の光を受けたその姿には、
雪豹を思わせるしなやかさがあった。

「エル、過去の記録とも比較してごらん。
フィオナにまだ反応しているか、
確認してみて」

ユキがそう言うと、
ナビエルは一瞬だけ視線を上げた。

「わかりました。こちらへきて」

呼ばれて、フィオナは言われた通りに
ナビエルと葉のそばへ向かった。

すると皿の中の葉が、
ふっとやわらかく明るさを増した。

「わ……」

シロルが長い耳をぱた、と揺らした。

棚の上ではミロのしっぽが、
ゆっくり一度揺れる。

ナビエルの指が素早く動き、
星字がまた増える。

「……同調している」

ナビエルが淡々と言う。

「そうだね。
だが、慌てなくていい。
樹に関わるものは、
長く眠っていたかと思えば、
ある日ふいに大きく動くこともある」

ユキがそう言うと、
ナビエルは返事の代わりに、
また星字をひとつ増やした。

フィオナは皿の中の葉を見つめた。
なぜか不思議と落ち着く。
自分の手から離れたはずなのに、
まだどこか近くにあるような感覚が
胸のあたりに薄く残っていた。

「あの……」

フィオナはおずおずと口を開いた。

「そんなに、めずらしいことですか?」

ナビエルは葉を見たまま答えた。

「星ヨミ樹の葉が、
枝を離れたまま留まること自体が少ない。
さっきも言ったが、
本来は枝を離れたら光に還るはずだ」

そのとき、シロルがぱっと顔を上げた。

「ぼくは歓迎しているんだと思うよ!」

フィオナが目を丸くする。

「歓迎……?」

「うん。だって、
いやだったら光らない気がする!」

ミロが棚の上でひげをわずかに揺らした。

「ずいぶん直感的だな。
でも、まちがってないかも」

シロルは長い耳をぱたぱたさせる。

ユキは何も言わなかった。
ただその金の瞳だけが、
皿の中の葉を見て、
それからほんのひととき、
フィオナへ向けられた。

ナビエルも否定しなかった。
青い瞳が一度だけ葉へ落ち、
すぐにまた星字を増やしていく。

そのとき、シロルのおなかが、
くう、と鳴った。
白いうさぎは耳をぺたりとさせる。

「……ごめん。おなかすいた」

ミロの目がすっと細くなる。

「シロルの腹時計は、いつも正確だな」

張りつめていた空気が、
ほんの少しゆるんだ。
ナビエルは葉から
目を離さないまま言った。

「食事にしよう」

「わあい! エルのごはんだ!」

シロルが耳をぱたぱたさせ、
丸いおしりまで
嬉しそうに揺らしながら跳ねた。

その様子を見てフィオナは
思わず微笑んだ。

手前のオープンキッチンに立つナビエルは、
無駄のない手つきで器を整えていく。

窓辺の葉のまわりには、
なお青白い星字が
いくつも浮いたままだ。

鍋へ湯を注ぎ、火を入れ、
包丁を動かしながらも、
ときおり空中の記録板へ指先を滑らせて
葉の反応を書き留めていく。
その動きはあまりに滑らかで優雅だった。

湯気の立つ汁もの。
香ばしく焼いた白身魚。
薄味の野菜のおひたし。
小さな和えもの。
それから、
薄桃色の漬物。
汁ものには温室の香草が
ひとひらだけ落とされていて、
やわらかな香りがふわりと広がった。

ダイニングテーブルへ
美しく並べられた食事を見て、
フィオナは目を丸くした。

「すごい……」

シロルは待ちきれないようで、
耳をぱたぱたさせている。

「エルのごはん、おいしいんだよ!」

「栄養の配分まで考えているらしい」

と、ミロ。

ナビエルが淡々と皿を置く。
フィオナは席につきながら、
思わず観測デスクの方を見た。

少し離れた窓辺の机の上で、
白銀の葉は薄い光のドームの中に
留まっている。

ユキも席についた。
金の瞳は、ときどき葉へ向き、
ときどきナビエルへ向き、
そして一度だけフィオナへも向いた。

「……兄さん、見すぎです」

配膳しながら、
ナビエルがぼそりと言う。
ユキの口元が、
ほんのわずかにゆるむ。

「ダメかい?」

「ダメです、気になります」

「ふふ」

ユキはからかうように
優しく微笑んだ。

フィオナは汁をひとくち飲んだ。
やさしいあたたかさが、
喉から胸へ落ちていく。

「おいしい……」

ナビエルの手が、ほんの少しだけ止まる。

「そうか」

「はい。なんだか、ほっとします」

「さっきまで樹の上にいた。
温めたほうがいい」

そっけない言い方だったが
とてもあたたかい言葉だと
フィオナは思った。

シロルは香草の浮いた汁を
のぞきこんで目を輝かせる。

「これ、温室の葉っぱ?」

「香りづけだ」

「薬っぽくないね!」

「美味しいと感じることは大切だ」

ナビエルは当たり前のように言った。

「整えるためのものでも、
まず美味しく食べられなければ
意味がない」

「さすが、エル!」

シロルは嬉しそうに
鼻をぴくぴくさせた。

食事が終わるころには、
外はすっかり夜になっていた。
ドーム天井の向こうに群青がひろがり、
星々がひとつずつ灯り始める。

シロルはもう満腹で、
テーブルの端でこくこくしている。
ミロは椅子の上からその様子を見て、
しっぽをゆっくり揺らした。

ユキは席を立つ前に、
観測デスクの葉をひと目見てから
ナビエルへ言った。

「何かあれば呼ぶんだよ」

「ありがとうございます、兄さん。
大丈夫です」

金のまなざしが、やわらかくゆるむ。

「ひとりで抱えこまなくていいんだよ、エル」

「そんなことありません。
……兄さんは過保護すぎです」

「エルもちゃんと休むんだよ」

それだけ言うと、
ユキは温室の奥へ続く廊下へ
ゆっくりと姿を消した。

ナビエルは窓辺のデスクへ戻り、
葉の記録を続ける。

夜の星粒との反応。
皿の表面に落ちる微細な光の揺れ。
過去の膨大な記録と照らし合わせる。

空中には青白い星字がいくつも浮かび、
そのたびにナビエルの白い指が
止まることなく動いた。

フィオナはソファに座って、
その背中を見ていた。
ドームの下に立つナビエルは、どこか遠い。
まるで見えない壁があるようだ。
鋭くて、近寄りがたい。

なのにさっき食卓で
向けられた言葉や、
あのあたたかなスープの味は、
まだ胸の奥に残っていた。

ナビエルは記録を重ねて、
また深く考えこんでいる。

すごいな、とフィオナは思った。
こんなふうに
何かに夢中になれるのは、
きっとすごいことだ。
フィオナはソファの背に寄りかかった。
ドーム越しの星が、ゆっくり増えていく。

遠くでシロルの寝息がして、
ミロのしっぽが小さく揺れる。
温室の葉がかすかに触れ合う音もする。
とても居心地がよかった。
そのまま、いつのまにか目が閉じていた。

どれくらい時間が経ったのか。
ナビエルがようやく指を止めて
顔を上げたときには、
夜の色はもう深くなっていた。

部屋の静けさが、
ひとつ深くなっている。
ナビエルはソファを振り返った。

フィオナが眠っていた。
小さな体をやわらかく丸め、
穏やかな寝息を立てている。

その姿を見た瞬間、
ナビエルの視線が
ほんのわずかに揺れた。

そして同時に、
観測デスクの皿の中の葉が、
すっと明るさを増す。

ナビエルが数歩、ソファへ近づく。

フィオナの頬には、
星明かりみたいな
淡い光が落ちていた。
眠っているだけなのに、
どこか葉と同じ光を
宿しているように見える。

ナビエルはしばらくその顔を
見下ろしていたが、
やがて小さく息をついた。

「……本当に、君は謎だらけだ」

けれど次の瞬間には、
ソファの背に掛けてあった
薄い毛布を取り、
そっとフィオナの肩へかけていた。

フィオナは起きない。
ただ少しだけ、
安心したように息を深くする。

棚の上からそれを見ていたミロが、
細めた目を向ける。

「エル、優しい」

ミロの言葉には答えず、
ナビエルの視線は
一度だけ毛布の端へ落ち、
ずれを直すみたいに
指先がそっと動いた。

それからまた、
観測デスクへ戻る。

皿の中の白銀の葉は、
いまも淡く光っている。

フィオナが眠ったあとも、
その光は消えない。

ナビエルはしばらく葉を見つめ、
つぎに眠るフィオナを見た。

どうしてここへ来たのか。
どうして星ヨミ樹が応答したのか。
どうしてこの葉は、
光へ還らずに留まっているのか。

知りたいことは増えるばかりだった。
記録すべきことも、まだ山ほどある。

今は、ソファで眠る小さな少女に
疑問と興味を抱かずにはいられなかった。

ふとナビエルは
窓の外の星ヨミ樹を眺めた。
夜の光をまとって
枝を広げている。
何も言わず、
すべてを見守っているかのように。

そのとき――

皿の中の葉が、
もう一度だけそっと明るさを増した。
ナビエルの青い瞳がそれを捉える。
彼は何も触れていない。

それなのに、
空中に青白い星字がひとつ増えた。

ようこそ。
あなたを歓迎します。

その星字は、
夜の観測舎にやわらかく
浮かび続けていた。

第10話「歓迎の葉」へ続きます。

♪おまけ♪
第9話「観測舎の食卓」のイメージイラスト

食卓のあたたかさが残る夜。
ナビエルは白銀の葉を記録しつづけ、
フィオナは観測舎のソファで、
いつのまにか眠っていた。
観測舎の鳥瞰図 夜バージョン
※物語の設定をもとに、AIを活用し、
作者が加筆・調整を行って制作しました。
Lunavi/minamiayako


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