『星ヨミ樹の世界』 第19話 星ヨミ樹の世界
第19話 星ヨミ樹の世界
朝の観測舎で、
いちばん先に目を覚ましたのは、
フィオナではなかった。
窓辺の小さな幼樹が、
朝の光に向かって
まだ柔らかな翼の形をした
白銀の葉を、
いきいきとのばしていた。
フィオナは眩しい朝の光の中で、
少しずつ昨晩の出来事を思い出していた。
星の砂風呂。
消えそうだった星露守り。
白い砂に溶けていった小さな体。
最後の夜露。
そして、ナビエルの声。
――君は、捨てられたものじゃない。
フィオ。
思い出すだけで、胸の奥が締め付けられ、
そしてあたたかくなる。
フィオナはそっと寝台から起きた。
白い靴を履き、観測デスクの方へ向かう。
透明な保護膜の中で、
歓迎の葉だったものが朝の光を受けていた。
けれど、昨夜見たときよりも、
それはさらに小さな樹らしくなっていた。
白銀の葉の中心から、
細い幹のようなものが伸びている。
その先には、小さな葉が連なり、
翼をひらくようについていた。
根は鉢の中で白く光り、
土の奥へ、そっと伸びている。
フィオナは息をのんだ。
「……小さな樹に、なっています」
その声に、ナビエルが振り向いた。
彼はすでに観測デスクのそばに立っていた。
白い袖の先に、青白い星字の光が
かすかに残っている。
ナビエルは言った。
「幼樹になった」
その言葉を聞いた瞬間、
シロルが寝台から飛び起きた。
「ベビーリーフが!?どうなったって?!」
耳をぱたぱたさせながら駆け寄ってくる。
ミロも目を開け、ゆっくり起き上がった。
「すごいね。本当に、樹になったんだ」
ミロが長い髭を
ぴくぴくさせながら言った。
「ベビーリーフがとうとう
ベビーツリーになったね!」
シロルは、鉢の周りを
ぴょんぴょん回りながら言った。
温室の入口から、ユキが現れた。
白銀の髪をゆるく背に流し、
金の瞳を朝の光に細めている。
「おはよう。驚いた。
……ずいぶん早く育ったね」
ユキは幼樹を見つめた。
その表情は、驚きと、
懐かしさが少し混ざっているようだった。
ナビエルは空中に手をすべらせ、
星字を刻んだ。
「根の伸び方が変わっている。
鉢の中では、もう狭い」
フィオナは、はっとして幼樹を見た。
「では、このままだと
苦しくなってしまうのですか?
お引っ越しさせた方がいいのでしょうか」
「すぐに弱るわけではない。
だが、星ヨミ樹のそばに植えた方がいい。
その方が、巡りを受けやすい」
ナビエルは窓の外を見た。
「親樹の巡りを受けられる場所がいい。
朝の光と夜露が届くところ。
根が落ち着きやすい土のある場所だ」
フィオナは、胸の前で両手を握った。
「わたしも、手伝えますか」
ナビエルの青い瞳が、フィオナへ向いた。
「君が育ててきたものだ。君の手で植えろ」
ナビエルからのその言葉が、
フィオナにはとても嬉しく、
少しだけ誇らしかった。
「はい、エル」
フィオナはまっすぐうなずいた。
シロルが耳を大きく揺らす。
「ぼくも行く!
ベビーツリーのお引っ越しだよね!」
「それはぜひぼくも見たい。
シロルが騒がないように、
監視もしないと」
ミロが胸をはって言った。
「根がびっくりするからね」
「えっ、ぼく騒がないよ。
それに根ってそんなにびっくりするの?」
「シロルの鼻息でびっくりする。
それに無駄にうるさい」
「ひどい!ミロ〜」
シロルは頭をミロにぐりぐりっと
押し付けた。
そのやりとりに、
フィオナは小さく笑った。
ユキも、やわらかく微笑んだ。
「みんなで行こう。
星ヨミ樹も、きっと待っている」
ナビエルは慎重に保護膜を外した。
幼樹を包む光が、ふわりとほどける。
彼は幼樹の根を観察し、
星字をひとつ刻んだ。
それから運ぶために、
星露守りの家と同じ性質を持つ
やわらかな膜をもう一度張り、
幼樹の根元をそっと包んだ。
「慎重に」
「はい」
「揺らすな」
「はい」
「転ぶな」
「はい」
シロルがこっそりミロに言った。
「エル、心配しすぎ」
「いつものこと」
ミロがしっぽを揺らした。
ナビエルは幼樹をフィオナの両手に
そっと渡した。
幼樹は、とても軽かった。
けれど、手のひらの中でたしかに
息づいている。
フィオナは両手で大切に抱えた。
「あたたかいです」
「ああ」
ナビエルは短く答えた。
「生きているからな」
その言葉を聞いてフィオナは
心があたたかくなるのを感じた。
観測舎の扉を開けると、
朝の空気が流れこんできた。
星ヨミ樹は、
観測舎のすぐそばに立っていた。
白銀の枝を高く広げ、
大きな翼のような葉を
サラサラと揺らしている。
地面には、細かな星の粒が降っていた。
光の種のような、小さなきらめき。
フィオナは幼樹を抱えたまま、
ゆっくり歩いた。
ナビエルが隣にいる。
少し後ろに、ユキ。
シロルとミロも並んでついてくる。
星ヨミ樹のそばまで来ると、
ナビエルは根元から
少し離れた場所で足を止めた。
そこは、
朝の光がやわらかく届く場所だった。
星ヨミ樹の大きな枝の下にありながら、
少しだけ開けている。
白い砂のような土に、
細い草がまばらに生えていた。
夜になれば、きっと星露も落ちるのだろう。
ナビエルは地面に膝をついた。
指先を土へ近づけると、
青白い星字が空中に浮かび上がる。
土の湿り気。根の入りやすさ。
星ヨミ樹から流れる巡りの強さ。
細かな記録が、
透明な図譜のように広がった。
「ここがいい」
ナビエルは言った。
「親樹に近すぎない。
だが、巡りは届く。
幼樹が自分の根を張るには、
ちょうどいい」
フィオナは、その場所を見つめた。
自分の根を張る。
その言葉が、胸の奥でそっと響いた。
ナビエルは土を整えた。
それからフィオナを見た。
「来い」
フィオナは幼樹を抱えたまま、
ナビエルのそばへ膝をついた。
「根を折るな。押しこむな。
土は、添えるだけでいい」
「はい」
ナビエルの指が、土を少しずつよける。
フィオナは、幼樹を両手で支えながら、
その場所へそっと下ろした。
小さな根が、土に触れる。
その瞬間、幼樹の葉がふるりと震えた。
フィオナは息を止めた。
ナビエルが土を整えながら言った。
「そのまま。動くな」
フィオナはうなずいた。
ナビエルは土をほんの少し寄せた。
フィオナも真似をする。
強く押さず、
根のそばへやわらかく添える。
鉢に植え替えた時のことを思い出した。
あの時も、ナビエルは教えてくれた。
土は押すんじゃない。
そっとそえて。
フィオナは、今度は自分の手で、
幼樹の根元へ土を寄せた。
小さな樹が、
星ヨミ樹のそばに植え替えられた。
ひょろっと頼りない細い幹だけれど、
根はこれから少しずつ、
深く伸びていくのだろう。
星ヨミ樹の枝が、
頭上でさらりと揺れた。
白銀の葉の間から、
淡い星の粒が降ってくる。
幼樹の葉先に、
その粒がひとつ落ちた。
小さな光が、根元へしみ込んでいく。
フィオナは、幼樹を見つめた。
わたしは、ここで生きる。
フィオナの胸の奥で
はっきりと響いていた。
この樹と一緒に。この世界で。
エルや、みんなと一緒に、
少しずつ育っていく。
フィオナの目に、涙がにじんだ。
でも、それは悲しい涙ではなかった。
ナビエルは、
フィオナの手についた土を見た。
それから、何も言わず、指でそっと払った。
その手つきは不器用で、
けれど、とてもやさしかった。
「……ありがとうございます」
フィオナが言うと、
ナビエルは少しだけ視線をそらした。
シロルが、むずむずしたように
耳を動かした。
「エル、やさしい」
「うるさい」
ミロが、しっぽをゆっくり揺らす。
「いつものことだね」
ユキは、幼樹とフィオナを見つめていた。
その金の瞳が、
どこか遠い記憶を見ているように見えた。
フィオナは、ふと思い出した。
「ユキ」
「うん?」
「前に、歓迎の葉を見たとき
……懐かしいと、言っていましたね」
ユキは少しだけまばたきをした。
そして、ナビエルを見た。
ナビエルは何も言わなかった。
ただ、植えられた幼樹へ目を向けている。
ユキは、ゆっくり口を開いた。
「昔、エルも星ヨミ樹から印を受け取ったことがあるんだ」
フィオナは、ナビエルを見た。
「エルも……?」
ナビエルは短く言った。
「古い話だ」
ユキはふっと微笑んだ。
「フィオの歓迎の葉とは、
少し違うものだけれどね。
私にも、私の印がある」
フィオナは、ユキとナビエルを見比べた。
星ヨミ樹は、
フィオナだけを見ていたのではない。
この美しい兄弟も、ずっと昔から、
この樹と深くつながっていたのだ。
ユキは、星ヨミ樹を見上げた。
「星ヨミ樹が誰かに印を残す時、
その出会いは、
ただの偶然ではないんだと思う」
白銀の葉が、さらさらと音を立てた。
「フィオも、この世界に迎えられたんだよ」
フィオナの胸がいっぱいになる。
「……わたしは、ここにいていいんですね」
声に出すと、少し震えた。
シロルがすぐに言った。
「もちろんだよ!」
ミロも、しっぽをふわりと揺らした。
「今さらだね」
ユキはやわらかくうなずいた。
「フィオはもう、私たちの大切な家族だよ」
フィオナは、ナビエルを見た。
ナビエルは少し眉を寄せた。
困ったようにも、
照れているようにも見えた。
「今さら何を言っている」
いつものように、そっけない声だった。
けれど、そのあと、少しだけ間があいた。
ナビエルは、フィオナを見た。
「ここが、君の居場所だ」
フィオナの目から、涙がこぼれた。
「はい……」
声が震える。
けれど、胸の奥はあたたかかった。
ナビエルは、星ヨミ樹の根元へ目を向けた。
「あの時も、僕は君を置いていけなかった」
フィオナは、はっとしてナビエルを見た。
星ヨミ樹の根元で、
初めて彼と出会ったあの夜が、
胸に浮かんだ。
「今も変わらない」
その短い言葉で、
胸の奥に残っていた小さな痛みが、
そっとほどけた。
その時、フィオナはふと思い出した。
初めてナビエルに抱き上げられた時、
どこか懐かしい匂いがしたことを。
星ヨミ樹から授かった歓迎の葉にも、
それと似た気配があったことを。
白い葉。夜露。
星の粒を含んだ土の匂い。
ああ、そうか。
フィオナは、胸の奥で思った。
これは、
ユキから聞いた地球の話に感じた
懐かしさとは違う。
この世界に来た時、
消えそうだった自分を
包んでくれた匂いだ。
星ヨミ樹の根元で、
ナビエルに抱き上げられた時から、
ずっとそばにあった匂い。
この世界のめぐりに、迎えられたしるし。
そのときだった。
星ヨミ樹の高い枝が、
ふわりと大きく揺れた。
白銀の葉のあいだに、
白い影が降りてくる。
フィオナは顔を上げた。
それは、一羽の白い鳥だった。
雪よりも白い羽。
けれど冷たくはない。
月の光と朝の光を、
一緒にまとっているような鳥だった。
星ヨミ樹の高い枝に、
大きな白い鳥は止まった。
ユキの表情が、ほんの少し変わった。
「……フューリだ。帰ってきたんだね」
ナビエルも、黙って白い鳥を見上げた。
その青い瞳に、
懐かしさのようなものがかすかに揺れる。
シロルは目を丸くした。
「フューリだ!おかえりなさい!
お土産ある?!」
ミロは、しっぽの先だけを動かした。
「……本当に帰ってきた」
フィオナはユキの部屋にあった、
大きな白い鳥籠を思い出す。
旅に出ている。
そのうち、また戻ってくる。
昔から、私たちにとって
大切な存在なんだ。
ユキはそう言っていた。
フューリという名の白い鳥は、
優雅に羽根を繕うと
まずユキを見た。
次に、ナビエルを見た。
そして最後に、フィオナを見た。
その瞳は、角度によってオーロラ色に
輝いているように見える
とても不思議な瞳をしていた。
星ヨミ樹の奥にある記憶を、
そのまま映しているようだった。
声がした。
葉音のようでもあり、
星の粒が触れ合う
音のようでもあった。
「金の瞳の子も、青い瞳の子も、
かつて、この樹から印を受け取った」
フィオナは、息をのんだ。
ユキは何も言わず、
白い鳥を見つめていた。
ナビエルも黙っている。
白い鳥は、植えられたばかりの幼樹へ目を向けた。
「そして今、歓迎の葉を印に受け取った
若葉色の瞳の小さな子も、
この世界に迎えられた」
白い鳥は、もう一度フィオナを見た。
「ようこそ、星ヨミ樹の世界へ」
その瞬間、星ヨミ樹の大きな枝が、
ゆっくりと揺れた。
白銀の葉が、羽のように一枚、
また一枚と舞い上がる。
植えたばかりの幼樹も、
小さな葉を震わせた。
親樹から幼樹へ、
細い光の筋がそっと渡っていく。
それはまるで、
星ヨミ樹がフィオナと幼樹を、
この世界へ迎えているようだった。
羽音とともに、
フューリは美しく舞い降りた。
白い羽が朝の光を受けて、
淡くきらめく。
「おかえり、フューリ。
報告したいことがたくさんあるよ」
ユキがフューリのそばへ寄りながら言った。
「うむ。ユキも、ナビエルも、
元気そうじゃのう」
フューリはすまし顔でそう言うと、
最後にフィオナを見た。
「若葉色の瞳の小さな子、
そなたの気配も、
遠くから感じておった。
ようやく会えたな」
フィオナが驚いて目を丸くすると、
フューリは白い羽をふわりと揺らした。
「そなたの中には、
遠い小さな青い星の巡りに触れた光がある」
「青い星……?」
「うむ。ユキがまだ幼い頃、
よく遊びに行っていた星じゃ。
ナビエルも、一緒にな。名は、地球」
フィオナの胸の奥で、
青い海と、夜空を見上げる人の姿が、
かすかに揺れた。
ユキの部屋で見た地球。
なぜか胸を引かれた、あの青い星。
けれどそれは、
帰らなければならない場所というより、
自分の中に残っている、
遠い光のようだった。
「地球……」
フィオナは、小さくつぶやいた。
「わたしも、いつか行ってみたいです。
なぜか、とても心が引かれるのです」
それからフィオナは、
あらためて深くお辞儀をした。
「はじめまして。フィオナと申します。
どうぞよろしくお願いします、
フューリさん」
「うむ。めでたい日じゃ」
フューリは満足そうにうなずいた。
それから、ほんの少しだけナビエルを見た。
「ところで、ナビエル。
あの白くて、甘くて、
少ししょっぱいものは、
まだ作れるかのう」
ナビエルは少し考えてから答えた。
「……塩大福のことだな」
「え?! 塩大福ぼくも食べたい!」
シロルが、嬉しそうに飛び跳ねた。
「ああ。それなら前に、
地球の菓子を再現しようとして
作ったものがある。
冷凍保存棚に、いくつか残っている」
「やったー!!」
シロルは大はしゃぎした。
「うむ、ナビエル。
大福をいただいて、
少し休んだらまた旅に戻る。
旅の途中で、顔を見に来ただけじゃ」
とフューリも満足そうにうなずいた。
「フューリ、
後で少し私の部屋で話をしましょう。
エルの成長ぶりを聞いてほしいです。
それから、また揺らぎがある星がいくつか
見つかりました……」
ユキはフューリと話をしながら、
ナビエルの頭にポンと手をのせた。
ナビエルは不本意そうな顔をしながらも、
こくりとうなずいた。
フィオナはナビエルの横で
星ヨミ樹を見上げ、それから幼樹を見た。
まだ小さい。
まだ頼りない。
けれど、たしかにそこに根づいている。
星ヨミ樹のそばに。
観測舎のそばに。
みんなのそばに。
フィオナは、幼樹の前にそっとしゃがんだ。
「一緒に、育っていきましょうね」
小さな声で言うと、
幼樹の葉先が淡く光った。
星ヨミ樹の大きな枝が、
みんなを包むように揺れている。
フィオナは心の中で静かに、
つぶやいた。
ここで、生きていく。
この世界で。
この人たちと。
この樹と一緒に。
はじめて星ヨミ樹の根元で
目を開けた夜、
フィオナは自分を、
いらないものだと思っていた。
消えてしまいたかった。
自分のことを、
ゴミのように思っていた。
けれど、今は違う。
ナビエルが見つけてくれた。
シロルとミロがそばにいてくれた。
ユキが地球の絵本を読んでくれた。
星ヨミ樹が葉を授けてくれた。
そして今、
その葉は幼樹となって、
この世界に根を下ろした。
フィオナも、
ここに根づいていくのだ。
ゆっくりでいい。
まだわからないことが
たくさんあってもいい。
また消えたいと思うほど
辛いことがあるかもしれない。
それでも、ここで生きていく。
星ヨミ樹の葉のあいだから、
星の粒が降った。
幼樹の小さな葉が、
それを受けてやわらかく震える。
フィオナは、涙の残る目で微笑んだ。
星ヨミ樹の根元にいた小さな少女は、
もう、捨てられたものではなかった。
もう、ゴミの妖精ではなかった。
星ヨミ樹の世界に迎えられ、
ここで生きていく。
小さな少女は、
そう心に決めたのだった。
いつのまにか、
シロルは観測舎の入口まで走っていた。
ミロもその後ろで、
しっぽをゆっくり揺らしている。
「フィオー、エルー! お腹すいたよー」
「はい、今行きます!
エル、朝の食事のお手伝いします!」
フィオナはナビエルの手を引いた。
「転ぶ、落ち着いて」
と無表情で言いながらも、
ナビエルはフィオナの手を
振りほどくことはなかった。
二人はシロルとミロのもとへ駆け出した。
本編はここで、ひとまず一区切りとなります。
第20話【番外編】
「吾輩はミロである。〜水の星からの贈り物〜」へ続きます。
2026年7月7日、七夕の夜に更新予定です。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。
番外編まで見守っていただけたら嬉しいです。
♪おまけ♪
「星ヨミ樹の世界」メインイメージイラスト


物語・世界観・設定:Lunavi
