『星ヨミ樹の世界』 第7話 月光と金の瞳
第7話 月光と金の瞳
ドーム硝子のすぐ向こうで、
観測舎のそばへ移ったばかりの
星ヨミ樹が翼の葉を広げていた。
森の中心にあったはずの大きな樹が、
今は手を伸ばせば届きそうなほど、
近くに立っている。
そのことが、フィオナにはまだ
信じられなかった。
白銀の葉は、
風もないのにかすかに震え、
観測舎の内側へ
青白い光を落としている。
その光のなかで、
ユキと呼ばれた金の瞳の青年だけが、
ひときわ際立って見えた。
「君は、何者?どうしてここにいる?」
その声は低く、澄んでいた。
月光のように美しく、胸の奥まで届く。
叱っているわけではないのに、
フィオナは思わず背すじを伸ばし、
唇をひらきかけて、また閉じた。
答えようとしても、うまく言葉にならない。
「……すみません、わかりません」
やっと絞り出した声は、
かすれて震えていた。
ユキはまばたきひとつせず、
フィオナを見ていた。
その視線はやわらかく、
不快なものではなかった。
「そもそもここへは
簡単には入ってこれないはずだよ。
もしかして星ヨミ樹が…?」
それだけ言って、ユキは顎に手を添えて
首を横に傾けた。
「……兄さん」
ナビエルが眉をひそめながら
その青年に声をかけた。
ユキの金の瞳が、
ようやくフィオナから離れて
ナビエルへ向く。
その一瞬だけ、
目の奥の光がふっとゆるんだように見えた。
「ただいま、弟よ」
「兄さん、その呼び方はやめてください
……いつもより随分と早いお帰りですね」
声音は淡々としているが、
素直な響きだった。
「それはそうだよ。
星ヨミ樹が夜に、
根を淡く浮かせることはある。
私もエルも、何度か見たことがあるからね。
でも、こんな真昼に、
観測舎のそばまで自ら来るなんて、
過去には例がないよ」
「お兄さん…?」
フィオナはそのやりとりに、
思わずふたりを見比べた。
確かに美しい銀白髪は同じ色味をしていた。
しかし雰囲気が似ていない。
ユキには、一瞬で誰もが強く惹きつけられる
圧倒的な存在感があった。
一方でナビエルは、静かで凛としていて、
その奥に、まだ少年の面影を残していた。
ユキは金の瞳の中に月の光を宿し、
ナビエルは青の瞳の中に星屑が煌めく。
なんて美しい兄弟なんだろうと
誰もが思うだろう。
そして今のやりとりで、
この兄弟がとても親しい存在ということが
フィオナにもすぐにわかった。
シロルが鼻をぴく、ぴくと
ゆっくり動かした。
「ねえ……とにかく、
すごいことが起きたのは分かるけど……」
ミロもいつもとは違って
ちゃんとお座りをしている。
シロルは、
観測舎に寄り添っている星ヨミ樹と、
フィオナと、ユキと、ナビエルを
順番に見た。
「だって、昼に星ヨミ樹が動いたし。
観測舎のすぐそばまで来たし。
ユキもいつもよりずっと早く帰ってきた」
「そうだな、おかえりなさい、ユキ」
ミロがしっぽを揺らす。
「全部、普通ではない。異常事態だ」
普通ではない。
その言葉に、
フィオナは申し訳なさそうに顔を暗くする。
するとユキが今度は
少し探るようなまなざしで言った。
「怯える必要はないよ。少なくとも、
いま星ヨミ樹は君を拒んでいない」
フィオナはユキのその言葉に
救われたような気がした。
「兄さん、彼女は星ヨミ樹と、
まわりの植物たちに反応していました。
まだ数日の記録でしかありませんが」
「おお、そうなんだね……」
ユキは少しだけ考えて、フィオナを見る。
「むしろ、私には君が星ヨミ樹に
歓迎されているように見えるよ」
そう言って、納得したように頷いた。
歓迎。
その言葉に、
フィオナはそっと窓の外を見た。
観測舎のすぐそばに立つ星ヨミ樹は、
何も語らない。
けれどその大きな白銀の枝葉は、
まるでずっと前から
この場所を見守っていたみたいに
静かに揺れていた。
「……歓迎」
小さくつぶやくと、
シロルがはっと耳を立てた。
「やっぱりそうなのかな!?
ぼく、ちょっと思ったんだけど、星ヨミ樹、
お祝いしに来たみたいでもあるよね!」
「そんな例は過去に一度もない」
とナビエルが返すと、
ユキが仏頂面の弟の頭に、
ぽんと優しく手をのせた。
「エルは記録しか
信じないところがあるからねぇ。
まだこの世界には、
知らないことが
たくさん眠っているんだよ」
「それはそうですが……
油断はできないと思います」
「それは確かにそうだね」
ユキがナビエルに相槌を打つ。
「フィオナはいい子だよ!
歓迎されているんだよ!」
とシロルが得意げに
フィオナの足元へ駆け寄った。
ミロは黙ってしっぽを
ゆっくりゆらしていた。
ナビエルは観測舎のそばの星ヨミ樹を見た。
その横顔は、この事態を必死に
読み解こうとしているようだった。
ユキはその様子を見て、
口もとをかすかにゆるめた。
月の明かりのような
優しい表情だった。
「エル、星ヨミ樹が
歓迎しているかどうかはともかく、
滅多に移動しない星ヨミ樹が、
自ら距離を縮めたのは事実だ」
その言葉にフィオナは息をのんだ。
それは、自分でも感じていたことだった。
あの大きな樹は、
まるで大きな白銀の鳥のように
自分たちのそばへ来たのだ。
「……どうして」
気づけば、そう口にしていた。
ユキはすぐには答えなかった。
金の瞳が静かにフィオナを見つめ、
それからナビエルへ流れる。
「エル」
その呼びかけに、
ナビエルの眉がわずかに寄る。
「もう少し近くで
星ヨミ樹の様子を見に行こうか?」
「そうですね。二階のテラスからなら
もっとよく見えるはずです」
ナビエルは踵を返した。
白いマントがやわらかくひるがえり、
観測舎の奥の階段へ向かう。
ユキも後を追った。
ミロは先にすっと歩き出し、
シロルは
「わ、待って!」
と耳をばたつかせた。
フィオナも遅れて足を動かす。
近くへ来た星ヨミ樹のことを
ちゃんと知りたいと思った。
白い螺旋階段を上がるたびに、
白銀の光が濃くなっていく。
観測舎の二階は、開放感のある
すっきりとした落ち着いた空間だった。
そして奥の大きなテラスにかぶさるように
星ヨミ樹の枝が揺れていた。
フィオナは思わず息をのんだ。
いつもは遠くから
見上げていた白銀の枝が、
今日は同じ高さで、
すぐ目の前にある。
翼の形をした葉が幾重にも重なり、
ときおり淡い虹色を帯びて揺れている。
「……きれい」
ナビエルは窓際へ進み、
外の枝の流れを静かに見た。
ユキはその少し後ろに立ち、
窓の向こうの樹と、
フィオナの反応の両方を見ている。
「とても元気そうだ。歪みもない。」
とユキが言う。
「今のところは」
とナビエルが短く答える。
そのやりとりを聞きながら、
フィオナの目は樹から離れなかった。
すぐそこに垂れてきている白銀の枝が、
どうしようもなく気になる。
怖い、とは思わなかった。
むしろ懐かしい。
前から知っていたものが、
やっと近くへ来てくれたみたいな気がした。
気づくより先に、
フィオナはテラスに垂れる枝へ
歩み寄っていた。
「おい……?!」
ナビエルの声に、
かすかな焦りがまじる。
けれどフィオナはもう、
すぐ目の前にある葉へ
そっと手を伸ばしていた。
翼の形をした葉は、
見た目よりずっとやわらかかった。
白銀の葉先を指先でなでる。
すると葉が、ふるり、と小さく揺れた。
まるで撫でられるのを
待っていたみたいだった。
「……」
フィオナは何も言わず、
もう一枚の葉にも触れた。
つるりとしているのに、どこかあたたかい。
その感触があまりにも自然で、
次の瞬間にはもう、
小さな体がひょいと
テラスの柵を越えていた。
「――待て!」
ナビエルの白い手が反射的に
フィオナに伸びる。
けれどフィオナはもう、
白銀の枝の上にいた。
解き放たれた小動物のように、
そのままするすると登っていく。
細い腕。
軽い体。
身軽だった。
あの樹の下で消えたい、
と言って弱り果てた姿では
考えられないほどに。
「わ、ずるい! ぼくも行く!」
シロルが耳をばたつかせながら
窓辺へ跳びついた。
「こら、シロル、おまえまで――」
言い終わる前に、
シロルも器用に枝へ乗る。
長い耳がふわふわ揺れ、
白銀の葉のあいだに
黄色いバンダナが
ぴょこぴょこ見えた。
その様子を見て、
ユキは口もとをわずかにゆるめた。
「エル、君は行かないのかい?」
「……ああ、もう! 行きます」
とナビエルが答える。
ユキは嬉しそうに言った。
「エル、いってらっしゃい」
けれど言い返すより早く、
フィオナの姿が
さらに上へ行くのが見えた。
ナビエルはテラスの柵を越えると
軽やかに後を追った。
白いマントが枝の光を受けて揺れる。
その動きは無駄なく静かだった。
フィオナは無心だった。
ただ、何かに呼ばれるみたいに
上へ上へと登っていく。
枝のあいだを抜けるたび、
景色が少しずつ変わる。
観測舎の屋根。
白銀の葉。
その向こうにひろがる美しい森。
さらに遠くには、澄んだ光の野と、
きらめく水辺と、
白い花を灯したような木々が
どこまでもつづいていた。
空の色まで、
薄い光を重ねたみたいにやさしい。
フィオナは、
かなり高い枝まで来たところで
ようやく足を止めた。
「……きれい」
小さな声が、葉のあいだへ溶ける。
そのとき、少し下の枝がしなった。
ナビエルがもう隣にいた。
「……君は、どうして」
ナビエルが眉を寄せて、つぶやいた。
フィオナが振り向く。
すぐ隣に、
美しい銀白髪の青年が
なんとも言えない表情で
フィオナを見ていた。
「……ご、ごめんなさい」
フィオナがそう言うと
ナビエルは珍しくすぐに言葉を返した。
「この世界に来たばかりの君には
わからないかもしれない。
でも、星ヨミ樹に触れることで
何が起きるかは、まだわからない。
僕は長く記録を続けてきた。
その間にも、
世界を大きく揺るがす出来事は
何度か起きている。
だから……」
「本当に、ごめんなさい」
「なぜ、君は……」
ナビエルは言おうとしてやめた。
フィオナの若葉色の瞳が、
心から申し訳なさそうに揺れていた。
その背後には、
息をのむほど美しい景色がひろがっていた。
白銀の葉のあいだから見える光の野。
深い藍色の湖には、
ときおり虹色の光が差しこむ。
風にふるえる植物たち。
この星の自然が、
どこまでも澄んでつづいている。
その景色のなかに、フィオナがいた。
小さな手で枝を抱くようにしながら、
翼みたいな葉をそっと撫でている。
星ヨミ樹もまた、その小さな存在を
当たり前のように受け入れていた。
フィオナはナビエルを見た。
「この世界は怖いほどきれいですね」
その声は、あまりにもまっすぐだった。
ナビエルは一瞬、
返事を忘れたみたいに沈黙した。
そして改めて、
ここから見える景色へ目を向ける。
いつも見てきたはずの景色だ。
観測者として、記録者として、
何度も見てきた景色だった。
けれど今は、少し違って見えた。
星ヨミ樹が
いつもと違う姿を見せているからか。
それとも――隣に、
フィオナがいるからか。
「……ああ、確かにそうだ」
ナビエルの声は、
いつもよりわずかにやわらかかった。
「とても、きれいだ」
フィオナは頷いた。
下のほうから、
シロルのはしゃいだ声が飛んでくる。
「わああ、すごい!
ちょうど虹の橋が
湖にかかっているね!」
そう言いながら、
シロルは白銀の枝を
ぴょんぴょん登ってきて、
フィオナの隣に座った。
ユキはずっと下のテラスから、
金の瞳を穏やかに向けて、
枝の上のフィオナと
ナビエルを見つめていた。
星ヨミ樹がフィオナを受け入れたこと。
そして何より、
冷静なエルのいつもとは違った様子。
そのどれもが、ユキには興味深かった。
「……星ヨミ樹だけでなく、
エルにとっても大きな転換期かもしれない」
誰に聞かせるでもなく、
小さくつぶやく。
シロルの隣でいつの間にか
ミロが前足をそろえて座っていた。
まるで興味がなさそうな顔をして、
しっぽの先だけをゆるく揺らしている。
けれど細めた目は、
フィオナとナビエルと、
そして星ヨミ樹の葉の動きまで、
ちゃんと見逃していなかった。
高い枝の上で、
フィオナはもう一度
白銀の葉を撫でた。
翼の形をした葉は
指先の下でやさしく揺れ、
まるで本当に、
生きものの羽のようだった。
胸の奥の熱の意味も、
星ヨミ樹がなぜここへ来たのかも、
自分がここへ来た理由も、
何ひとつはっきりしない。
けれど――
この美しい景色を、
ナビエルと並んで見たこの時間だけは、
ずっとずっと、忘れない気がした。
第8話「白銀のしるし」へ続きます。
♪おまけ♪
第7話 月光と金の瞳のイメージイラスト

ユキは静かに見つめていた。

ナビエルと並んで見た時間だけは、
ずっとずっと、忘れない気がした。
AIを活用し、加筆・調整を行って制作。
世界観・設定・監修:Lunavi / minamiayako
