捨て犬男とノラ猫女:Oct.1
十月。街で見かける中高生達は、冬服を纏い始めた。まだ暑いと感じる日もあるが、頬に触れる風の感触は、夏のそれとは明らかに違う。季節は変わってしまったのだと認めざるをえなくなっていた。
賢太は、自分だけが夏の余韻を引きずっているように感じていた。置いてけぼりにされたような孤独感。原因は紛れもなく、美弥子に会えない事。
具体的に何日会っていないのかは把握していない。部屋にカレンダーはないし、数えてしまうとますます孤独に襲われそうで、数えたくない。
結局、花火大会の日に美弥子はこなかった。賢太が用意した缶チューハイは冷蔵庫の中で二本寄り添っている。冷蔵庫を開けるたびに、手持ち花火大会の日、部屋の前に座っていた美弥子の姿を思い出す。あの日の、あのタイミングは、奇跡だったのだろう。
美弥子は全く訪ねてきていないのか、それとも、きているがタイミングが合わないのか。後者であるなら口惜しいし、申し訳ない。前者だとは考えたくもない。できれば毎日家にいて、外通路の気配に注意を配っていたい。しかしそうはいかないのが現実。
十月最初の土曜日が、あと三十分程で日曜日を迎える頃、賢太は帰路についていた。三日後の休みには、二人のタイミングがどうか会いますようにと願いながら。
アパートに着くと、賢太の部屋番号がふられたポストから、白い封筒が僅かにはみ出していた。たいして興味のないチラシ類ばかりが入れられるから、賢太は休みの前日にのみポストの中身を確認する。今日はその日ではないが、目についてしまった封筒を放っておけなかった。封筒を引っ張り出す。封筒の表を目にした途端、賢太の心臓は大きく跳ねあがった。
ケンタくんへ
書かれていたのは、それだけ。口はしっかりと糊付けされていた。賢太は外階段を駆け上がり、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせながら鍵を開ける。部屋に飛び込んですぐ、ハサミのある場所へ駆ける。いつもは階下への影響を気にして足音にはそれなりの配慮をしている。しかし今は無理。ドクンドクンと高鳴る鼓動に逆らわずに動く。
開封し、中身を取り出してから照明を灯す。折り畳まれた紙を開くと、十月のカレンダーが現われた。コンビニかどこかでコピーしたのだろうか。カレンダーは、ほんの僅か右上がり。用紙の余白に手書きの文字。
昼間の予定が空いている日に○してポストに戻して置いてね。美弥子
文章に込められた意図を即座に理解し、賢太はスマートフォンを取り出した。シフト表は画像で保存してある。休日と遅番を拾い上げて、日付を丸で囲む。
――丸一日休めるの四回?
自分の希望のまま決まったシフトなのに舌打ちが出た。用紙の裏を確認したが、メッセージアプリのIDや電話番号は書かれていない。どちらかがあるだけで、約束を確実なものにできるのに。
長い息を吐きながら脚立の上段に腰を下ろす。改めて美弥子の文字を目に映すと、口元がふっと緩んだ。
「美弥子って感じの字だな」
どことなく落ち着きがなく、可愛らしい。読み返すと、美弥子の声が聞こえた気がした。今の時代、直筆のメッセージは貴重かもしれない。賢太は、ポストに用紙を戻すのを惜しく思った。
――でも、会えるんだもんな
数分前までの孤独は吹き飛んだ。カレンダーに丸を書き込み、用紙の余白に【よろしく 賢太】と書き込み、丁寧に畳んで封筒へ。その手を途中で止めて、賢太は証明書関連の書類が入ったフォルダファイルを押入れから引っ張り出した。
「確かここに…………おお、良かった」
使い切らなかった履歴書と封筒。封筒には赤い文字で【履歴書在中】と書かれているが、賢太はそれに畳んだ用紙を入れ、はく離紙を剥がして封をした。自分の名が書かれた封筒は、フォルダファイルの一番最後に静かに収めた。
毎日ポストを覗き込むなんて、生まれて初めての経験だった。三日目の夕方、バイトに行く前に確認すると、封筒はポストの奥に置かれたままだった。
遅番のフロアは忙しい。立ち止まったと思ったら呼び出しのランプが光る。賢太は、いつも以上に時間が気になった。今この時、もしかしたら美弥子が部屋に立ち寄っているかもしれない。部屋にいれば会えたかもしれない。そうだとしても現状を変える事はできないのに、何度も考えてしまう。まるで病気だ。賢太は、それほどまでに美弥子に心を奪われているのだと自覚した。
いつもならダラリダラリと歩く帰路を足早に進む。アパートが目に入るなり集合ポストに視線を。ほんの僅か、白いものが見えた。
それが封筒の端とは限らないのに、賢太は走り出していた。ポストに手を伸ばした時には確信していた。美弥子からの返事が中にあると。
「やっぱり」
音に現すと同時に封筒を手にする。賢太が入れた履歴書用の封筒は、カッターで切り開いたように、美しく封を解かれていた。その場で中身を確認。第三週のど真ん中。賢太の付けた丸印に、ピンクの丸印が重ねてあった。その下に、【バスロータリーに10時ね】と書かれている。そして余白にも追記があった。
履歴書在中てw
美弥子はこの場所で笑った。自分も今、ここで笑っている。会えはしなかったが、共有する事柄があるのは嬉しいと、賢太は素直に思った。
