見出し画像

捨て犬男とノラ猫女:May 3

無事に店に到着し、店員の誘導で席につく。四人用のボックス席。半個室といった雰囲気。

美弥子はおしぼりを持ってきた店員にクーポンを見せ、まずは、と言って梅酒サワーを注文した。店員に、念のため身分証を、と言われ、美弥子は笑顔でため息を吐きながら運転免許証を提示。

――運転できるんだ……絶対乗りたくない

勝手な意見を心の中で述べつつ、賢太は【免許証】という、一種のアイデンティティーと呼べるものの存在に鼓動を速くした。
 
美弥子は、免許証を財布から取り出していた。財布は長財布で、免許証の他にもカード類が収まっているように見えた。

賢太も財布に、免許証や保険証といった、身元を証明できるカード類を入れている。いつ必要になるかわからないし、万が一道端で倒れるような事態になっても、誰かがそれを見つければ、それなりの対応をしてくれるだろう、と踏んで。

美弥子が誰とどこで暮らし、どんな仕事についているのか、興味はない。ただ、身分を証明するためのアイデンティティーが手元にあるのなら、天袋の上のアイデンティティーは、それとは別のもの。

――何がある? 持ち歩きにくい物……へその緒とか

思いついて笑いそうになり、賢太は温かいおしぼりで顔面を拭いた。

美弥子が適当に頼んだ品が運ばれてくる。賢太はウーロン茶を頼んでいた。特別酒に弱いわけじゃないが明日は早番。用心に越したことはない。

今回は、グラスをカチンとぶつける乾杯の儀式があった。音頭をとったのは、今回も美弥子。えらく機嫌が良さそうに見える。肉を焼く順番を聞かれたが、賢太は、お任せします、と返した。特に拘りを持っているわけではないから。

美弥子は肉よりも、ナムルやサラダといった、サイドメニューを好んで食べているように見えた。肉を焼き始める前に捲り上げた袖は、二の腕まで持ち上がっている。美弥子の腕は、肘の下と上の太さがほぼ同じ。通常二の腕は、女性が肉付きを気にかける部位ではないだろうか。

――食事制限とかしてんのか?

四月には一緒にファストフードを食べた。その時は、普通に食べるんだな、と感じたが、今は美弥子があえて肉を避けているように見える。

「あの……」
「ん?」
「肉、食べないんですか? 俺ばっか食べてると、何か申し訳なくなるんですけど」
「変なところ気にするね」
「あ、いや、だって、美弥子さんのクーポンですよ。勿論おごってもらうつもりはないですけど」
「普段野菜不足だからね、せっかくだからここでがっつり食べとく。あ、焼き野菜も頼もう」

店員を呼び出すボタンを押し、美弥子は、すみませーん、と声を上げる。

「お肉追加しとこ。私も食べたくなってきたし」

美弥子は、両の口角を綺麗に持ち上げて、歯を見せずに笑ってみせる。ニンマリとは、こういう笑顔を指すのだろうか。

そんな顔をされても、と思いながら、賢太はウーロン茶を飲み干し、追加注文をとりにきた店員に生レモンサワーを頼んだ。一杯ぐらいなら大丈夫そうだ、と思った。飲めるんだ、と呟いた美弥子には、特に反応を返さなかった。

「私ね、最近タレじゃなく塩がいいって思うんだよね。大人になったのかな? ん? 大人かな二十五歳って」
「え?」
「え?」
「あ、いや、もっと若いのかと」
「言われるよねそれ。若いっていうか子どもっぽいって。ケンタくんは同い年くらい?」
「二十四です」
「お姉さんじゃん私! 四半世紀生きている女だよ」

美弥子が大げさな表現をしたところで、追加の肉が届く。美弥子はハイペースで肉を食べ始めた。食べながら、あれやこれやと口にする。賢太は頷いたり、あー、そうですね、といった簡単な相槌だけを零すだけ。

一緒に食事をするのは構わない。しかし【おしゃべりを楽しむ】となると、一気に気持ちが重くなる。今の所、美弥子が一方的に話しているといった状況。しかしたまに疑問形で言葉を切るものだから、何か答えなければならないのかと緊張してしまう。答えを探している間に美弥子が別の話を始めるから、結果答えずに済むのだが。

「そういえば、ケンケンとお店でご飯食べた事ないな……部屋か河川敷だった」

ケンケン。その響きに賢太が反応したのを、美弥子は察知したのだろう。目を瞬き、箸を置いた。

「ケンケンっていくつぐらいかな。ちゃんと年聞いたことないけど、たぶん還暦は過ぎてたんだと思う。年金が云々って話してたし……ケンケンはね、私が道端でうずくまってるのを助けてくれたんだ。ほら、この前みたいに急に具合悪くなっちゃって。うずくまると低い場所に耳が移動するじゃない? 人が素通りして行くのがよくわかるんだよね。足音でね、避けられてるってわかるの。何人も私の横を通り抜けて、ヤバイマジで倒れるかもって思ったら、ケンケンが声をかけてくれた。でも可笑しいの。だってケンケンさ、すっごく痩せてて顔色悪くて病人みたいだったんだもん。自分がそんななのにさ……うん。この人いい人なんだなって」

美弥子はサワーのジョッキを口に運ぶ。三分の一ほど残っていた液体を一気に飲み干すと、白いボタンを押した。

「ケンケンは若い頃小説書いてたんだって。何冊か出版して有名な賞の候補にもなったらしいよ。でもダメで……それからは全く仕事がなくなったんだって。サラリーマンになったけど書くのをやめられなくて奥さんに愛想つかされたんだって。あ、ドリンク同じの下さい。あと石焼きビビンバも。ケンタくんは?」
「あ、えっと俺も。ああ、石焼きビビンバのほう」

店員が去ると、美弥子は長い息を吐いた。両肘をテーブルに置いて、自分の体重を乗せる。

「ケンケンが書いた本読みたいって言ったんだけどペンネーム教えてくれなくてさ。あれは過去なんだって。でもね、すっごく話が面白いの。色んなこと知ってて、一緒にニュース見てるとアレコレ解説してくれた。私それまでニュースなんて見なかったんだけど好きになった。世の中が回っている仕組み? そんなの考えたことなかったんだけどね」

美弥子はニュースを好んでなさそうだ、という見立ては、完全に外れていたわけではなさそうだ。賢太は若干の優越感を覚えた。ほらな、と言えたらスッキリしそうだが、それはおそらく余計なのだろう、とジョッキを口に運ぶ。

「ケンケンに会った頃、色々あってね、それで大切な物を部屋に置かせてもらうようになったってワケ……どう?」
「え? どうって何が?」
「納得したかな、と」
「ああ……いや、よくわかりません」

美弥子がガックリといったジェスチャーを見せたところで、二杯目の梅酒サワーが運ばれてきた。ゴクゴクと勢いよく飲んで、美弥子はジョッキをテーブルに置く。

「ケンタくん、いつ越してきたの、あの部屋」
「三月の半ばです」
「いつから空いてたのか聞いてる?」
「いや。内件の時には畳とか壁紙とか古い状態だった、ような気がするけど……」
「何で退去したのかは?」
「聞いてないです。でも事故物件じゃないのは確かです。それは一応、聞いたから」
「え? 何を?」
「家賃安かったから、もしかして自殺とか孤独死とかあったのかな、と思って。そういうの、直後の入居者には伝えなきゃいけないみたいだから」
「そっか、そういうのが理由ではないんだね……そっかそっか。じゃあ安心かな」

美弥子は何度も頷いて、皿に残っていたナムルを口に入れた。噛みながら、肉を焼き網に乗せる。一枚、二枚、三枚、四枚。

肉を焼いている間に、二人分の石焼きビビンバがテーブルに届いた。美弥子は柄の細いスプーンで具と飯を混ぜた後、焼いた肉を上に乗せていく。

「おおっ、何かパワフルな見た目になった。いっただきまーす」

熱い熱いと零しながら、美弥子はビビンバを頬張る。賢太もそれに続いた。美弥子が無理に食べているように見えて、どこか痛々しかった。その姿が視界に入るのが嫌で、賢太は視線を完全にビビンバに落とした。


いいなと思ったら応援しよう!