琵琶湖は女神の涙だった──湖北・湖南・湖西・湖東の神々が守る永遠の湖 第十七話 湖の怒り
湖の岸で
人と人が向かい合っていた。
槍が並ぶ。
怒りの目。
緊張した空気。
湖は
そのすべてを見ていた。
青年は
槍を握っていた。
だが
振り上げてはいない。
向こうの男たちも
同じだった。
あと一歩。
あと一言。
それだけで
戦いが始まる。
少女は
震えていた。
「やめて…」
その声は
小さかった。
だが
その瞬間
湖が動いた。
水面が
大きく揺れた。
波が
岸へ広がる。
人々は
驚いて湖を見る。
すると
湖の中心が
光り始めた。
女神、淡海。
水の上に
立っている。
長い髪が
風に揺れる。
その瞳は
悲しみで満ちていた。
女神は
人々を見た。
そして
ゆっくり言った。
「なぜ」
その声は
風のようだった。
だが
すべての人に
聞こえた。
「この湖は」
「命を育てる湖」
「争う湖ではない」
水が
大きく揺れる。
人々は
後ずさる。
山の上では
四柱の神が動いた。
北
伊吹嶺神が
風を止める。
南
瀬田流神が
水を巡らせる。
西
比良守神が
嵐を押さえる。
東
鈴鹿照神が
光を落とす。
四柱の力が
湖に集まる。
湖の水が
大きく盛り上がった。
巨大な波が
人々の前に立つ。
まるで
壁のように。
人々は
恐れた。
槍が
震える。
誰も
動けない。
女神は
涙を流していた。
その涙が
湖へ落ちる。
水面が
静かに揺れる。
女神は
静かに言った。
「人よ」
「湖を傷つけるな」
その言葉を聞いたとき
青年は
槍を落とした。
地面に
音が響く。
少女が
青年を見る。
青年は
湖を見ていた。
向こうの男たちも
槍を下ろした。
誰も
戦わなかった。
湖が
止めたのだ。
だが
女神の瞳には
まだ悲しみがあった。
人は
また争う。
いつか
必ず。
それを
女神は知っている。
湖は
静かになった。
だが
その日
人は
初めて知った。
この湖には
神がいる。
そして
女神は
まだ
泣いている。

(第十八話へ続く)
