第一話“責任転嫁できる自信家”を育てた私”
この記事は、長々と書いてしまったので、3つのシリーズにしました。
「よかれ」と思って子どもに接してたその“よかれ”が・・・・・。
このシリーズでは、二人の息子を育てた私のリアルな体験をもとに、「自己肯定感」「生活力」「経済感覚」の3つの視点から、“子どものため”のつもりが、実は…だった、親としての気づきと後悔、そして学びを綴ります。
はじめに
noteで出会う親たちの姿と、私の「あの頃」
子育てって、思い通りにいかないことの連続ですよね。
noteを始めてから、子育て中のパパやママの記事を目にするたび、皆さんの奮闘されている姿がリアルに伝わってきて、「うんうん、わかる!」「大変やな〜」と共感しています。
そうした記事を読んでいると、ふと、自分の子育てを振り返り、思わず笑みがこぼれるような一コマが思い出されます。
でも、じっくり振り返ってみると、その当時は私なりに悩み、時には「発狂していた」と表現するほど追い詰められていた時期もありました。大声で怒鳴ったり、叩いてしまったりと、当時の自分の恐ろしい姿が鮮明に蘇ってくることもあります。
今思えば、少し古い考え方かもしれませんが、当時は子育てへの漠然とした理想がありました。女の子であれば家庭を守れる賢い子に、男の子であれば夢いっぱいで楽しくたくましい子に育ってほしいと願っていたのです。
私は、長男が海外の日本人学校に通っていた頃に「男の子のお母さんと女の子のお母さんの違い」に気がつきました。それまでは男の子のお母さんと接することが多かったため、その違いにあまり気が付かなかったのですが、
ある日、まだ日本人学校に慣れない長男に、東京から来たというある女の子のお母さんがにこやかに話しかけてくれました。
「おばちゃまがライブラリーに連れてってあげましょうか。○○ちゃん(娘)も一緒に行きましょう。」
その言葉に、私は驚きを隠せませんでした。おばちゃんではなく、おばちゃまなんだぁ~。一緒に行く?ではなく、連れて行ってあげましょうか?
「関東の人はみんなこんな風に子どもと話するんや」
私は、これまで一度もそのような優しい言葉を自分の子どもに使ったことがなかったからです。しかし、そのお母さんだけでなく、その日本人学校の女の子のお母さんたちは皆、自分の子どもに優しい言葉をかけていました。
でも、私の知る限り、男の子のお母さんたちは、言葉遣いも少々粗く、自分の子どもを呼び捨てにしている人が多かったです。
男の子や女の子への話し方や、地域による親の語り口の違いは、意識しないうちに、子どもの感情の出し方や自己評価に影響を与えるものかもしれませんね。
(こうやって、記事を書いていると、今までの何気ないことが、実はこんなことかも?と思うこともでてきます)
まずは我が家の息子たちのエピソードから
個性たっぷりの息子たちとの日々:笑いと驚きのエピソード
我が家の宇宙人:次男
長男と次男は、性格も行動特性もまったくと言っていいほど異なり、その違いは今も変わりません。女系家族で育った私にとって、男の子はまさに「宇宙人のような存在」でした。次男との日々は、驚きと笑いの連続です。
彼は、網で蛇を捕まえては自慢げに持ち帰ってきたり、首輪をつけた大きな猫を「捨て猫を拾ってきた」と抱えかかえて連れてきたりしました。
ある時、家中に何か嫌な臭いが充満していると感じて探し回ると、洋服ダンスの中から、ぶよぶよに腐ったフナの死骸が入った水槽が見つかりました。また、二階の出窓の小さな花置き場には暑さで死んだのかひっくり返った亀が、家の階段にはミイラのような蛙が何匹も落ちていたこともあります。
新築の和室の障子が何か所も黄色く染まっているのを見つけ、理由を尋ねると、次男がダニアースの針を障子に刺したのだと答えるのです。
また、キャッキャと笑う声が聞こえて二階の子ども部屋に行ってみると、友達とおやつのデラウェアの皮の飛ばしをし、壁紙にべったりとデラウエアの皮が貼り付いていました。
今思えば笑える話ばかりですが、当時はかなり叱ったことを覚えています。
次男は、海外での生活でもその自由奔放さは変わりませんでした。ドイツ語をほとんど話さず、友達になった幼稚園のドイツ人の子は、家に遊びに来ると「おかあさん」とか「紙飛行機、折って」など、片言の日本語を話すほどでした。
日本に帰国し、小学校の懇談会で担任の先生が手に小さなゴミのようなものを握って見せてくれました。
私が「なんですか」という顔をしていると、先生は「これ、消しゴムです」と。次男が授業中に必死になって消しゴムを切っていたのだと。注意すると、机の中に隠したものだというのです。先生は私がすごく驚くと思ったようですが、私はたいして驚かず、驚いたように演技しました。
小学校、中学校でいたずらをして何度か呼び出されましたが、「大したことじゃないのに…」と内心思っていたものです。(すみません)
次男は、小学校の時に数ヶ月スイミングスクールに通いましたが、学習塾の話をすると大泣きをし、それ以降、学習塾には一度も行ったことがありません。
宇宙人の次男のエピソードは山ほどあるので、また記事にしたいと思っています。
次は、今回の記事の主人公の長男のエピソードです。
我が家の長男:繊細さと異文化での葛藤
対照的に、長男は現地の学校に通いながら、土曜日の午後は日本人学校にも通っていました。フランクフルトにある日本人学校までは片道180kmほどもあり、時には学校に着く前に嘔吐してしまうこともあったほどです。それでも、学校は皆勤賞でした。
でも、その当時は、日本人学校の国語の30点のテストに、「お母さん、30点もとれたよ。」と笑って見せてくれたりしていました。(笑)
しかし、約3年後に日本に帰国すると、状況は変わってきました。
長男は、読み書きが感覚的で、「目」という漢字の真ん中の線が2本ではなく3本入っていたり、算数以外のテストでは問いの意味が分からず、結果は悲惨なものでした。
私は元々楽天的な性格で、「まあ、そのうち分かるようになるわ」と、焦ることはありませんでした。
しかし、長男自身は違いました。最初の授業参観では間違った答えを堂々と発表していましたが、数日後には「塾に行きたい」と言い出すようになりました。
またある時は、登校途中で引き返してきて、泣きながら「ハンカチを忘れた」と訴えることもありました。私は「ハンカチがなくてもズボンでパパっと拭いとけばいいやん」と思ったのですが、おそらく学校で忘れ物チェックがある日だったのでしょう。
私にとって、次男の「悪行」よりも、長男の繊細さや神経質さが気にかかるようになりました。
そしてしばらくすると、長男は「勉強ができないのは、海外に行ってたからや。」と口にするようになりました。私が「誰もが海外の生活を経験できるわけではないのだから、良い経験だったと思うよ。」と話しても、彼は「友達ができないのも、勉強ができないのも、ドイツに行ったからや。」と怒りをぶつけるのです。
今思えば、この段階で、長男の言葉の背景にある苦悩に寄り添うことが必要だったと思います。
小学校の終わりには、英語の塾に行きたいと言い出し、私は「中学校からでいいのでは」と思いましたが、長男は不安で仕方なかったようで、何度も行きたいと訴えたので、塾に通わせました。
第1話:「責任転嫁できる自信家を育てた私」⁻自己肯定感をはき違えた子育ての記録
「うわっつらの自己肯定感」が招いた落とし穴:本当に必要な自信の育み方
長男の様子を見て、「何か違うな、これからどう育てればいいのだろう」と私は深く悩んでいました。
その頃、パートで勤務していた病院の医師が、私に一本のカセットテープ(知らない人もいる?)を渡してくれました。それは「女鹿(めじか)」の物語だったと思います。女鹿の後ろ足は必ず前足の位置につくという話で、潜在意識を変えると行動が変わるというような内容でした。
その医師自身も6人のお子さんがおられ、「子育ては、自己肯定感を育てることが大事」だと強調していました。
私はそのテープを聞いて納得し、それからは、長男がテストで悪い点を取っても「〇〇(長男の名前)は、本当はとても賢い子やから、できるって!」といった言葉をかけて育てるようになりました。
このアプローチは、肯定的な言葉をかけ続けることで、子どもの自信を育もうとするものでした。その甲斐あってか、長男は一生懸命塾に通い、成績もまずまず取れるようになり、高校は大阪の進学校と呼ばれる学校に入学しました。
しかし、高校二年の時、この育て方における決定的な問題が露呈しました。
長男は「このくらいは取れるはず」と思っていた点数が取れなかったようです。その時、長男は
「あの先生のテストの出し方が悪いからや」「あの先生の教え方が悪いからや」と言い放ちました。
その言葉を聞いた瞬間、私は衝撃を受けました。彼は自分が正しいと思い込んでいる。「自分でなく、人のせいなんや。この子、これからどうなるんやろ?!」
長男自身の努力や、困難を乗り越える過程を労い、失敗してもそこから学べるように育ててこなかったことが原因だったと思います。長男は、自分の能力に対する過信と、問題が起きた時に外部に責任を転嫁する傾向を強めてしまったのです。
この時、「子育ての仕方を間違ったんじゃないかな」と強く反省しましたが、どうしようもない状況でした。
県外の大学に進学してからも、おそらく同じような傾向は続いていたのでしょう。
そして、彼が本当に自分の間違いに気づいたのは、23歳の時でした。何度か試験に落ちた経験が、彼に現実を突きつけたようです。
誕生日に、私の好きなジブリの風の谷のナウシカのキツネリスの「テト」のぬいぐるみと手紙が送られてきました。ルーズリーフに書かれたその手紙には、「今までの自分は世間知らずのバカだった」という内容が綴られていました。
泣いたりはしませんでしたが、少しホッとしたのを覚えています。
第一章のまとめ
長男の手紙を読んで、上辺の言葉だけで自己肯定感を育てようとした自分の過ちを反省しました。そして、この出来事は、親が子どもの自己肯定感を育む際に、単に肯定的な言葉をかけるだけでなく、自己認識、レジリエンス、そして責任感を養う機会を与えることの重要性を教えてくれたものでした。
おわりに
ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
誰かの子育てのヒントになれば幸いです。引き続き、第2話、第3話も掲載する予定です、
是非、読んでくださいね。
第二話は、
「進学校なのに“手紙が出せない”?生活力ゼロ男子が育った理由」
──知識より大切な、“生きる力”を育てる家庭の役割
第三話は、
「教育費=愛だった?与えることで奪っていた、子どもの“経済感覚”」
──母子家庭で伝えたかった、“自立”という愛のかたち
というタイトルです。
