【短編小説】悲しみの風景
『爆薬男』の出番は終わった。
今日も持ち時間4分、一貫してスベリ倒した。
ボケる度に、客席からナイロン製上着のカサカサ音が聞こえてくる。今日も開始30秒ほどで、「もう止めて帰ろうかな」という考えが脳裏をよぎった。
過去に一度だけ、本当に止めてしまったことがあった。その後一か月間、主催者に土下座し続けて、許してもらった。
そんな過去があるお陰で、ナイロンがカサカサ言おうが淡々とボケ続けられる。
自分も客もつまらない時間。
提供したい料理もなく、ただ漠然と料理らしきモノを提供し続ける。
すっかり萎縮し切っているから、提供のタイミングも分からない。信じられないほどタイミングが悪いと自分でも感じている。
先輩芸人も、どうアドバイスして良いか分からず、「歌を歌うように間を取れ」と苦し紛れにアドバイスするしかなかった。
*
爆薬男は、25歳のとき勤めていた会社を退職し、大学時代の同級生とお笑いコンビを結成した。
だが、半年後に相方が辞めてしまい、ピン芸人『爆薬男』として再スタートしたのだ。
前職が爆薬の製造だったため、爆薬の知識はそれなりにあった。それを活かして「爆薬あるある」を言うスタイルに変更した。
最初は物珍しさもあり、テレビやネットに多少出演することができた。
だが、エピソードトークの力も大喜利の発想力も全くの普通だったため、数か月で仕事がゼロになった。
そんな時に声を掛けてくれたのが、「歌を歌うように間を取れ」と今アドバイスをしてくれた先輩だった。このステージに出られているのも先輩のお陰だし、どうにかして恩返しできないものか、と彼は思っている。
だからこそ、毎回毎回この地獄のような4分間を耐えられているのだ。
*
「歌を歌うように間を取れ」
ステージの帰り途で、彼の頭によぎったのは、「たまの『さよなら人類』」だった。
「あ、着いた着いたよヤッホ〜♪」という合いの手や、風呂桶の「ッ、トコトント」という軽やかなリズムで、心が少しだけ晴れやかになった。
*
翌月。
爆薬男は「坊主頭にランニングシャツ」という出で立ちで劇場に現れた。
タダでさえひ弱そうな見た目と相まって、戦後の闇市の子どものような哀愁を醸し出している。
「四ツ塚!オマエそれいいよ!何だか面白そうだ!」
先輩芸人の目はきらきらと光っている。
爆薬男はこの一か月間、バイト中も、家にいる間もエンドレスで『さよなら人類』を脳内リピートしていた。もうあのリズムは身体に沁み込んでいる筈だ。
先輩芸人が「俺、先に出るわ」と言い出した。
「場を暖めてやる」という心遣いだ。
だが、館内空調がゴーと響き、ナイロンがカサカサと鳴った。
でも、その気持ちだけで嬉しかった。
先輩のネタ終わりまで、あと30秒。
嗚咽が上がって来る。
テレビに出ていたとき以来の緊張感に襲われて、自分が今日のステージに賭けていることを自覚した。
*
「どーもー。爆薬男ーー、です!」
いつもと違う雰囲気。
この扮装で合っていたのだ、と思う。
導火線には火がついた。
あとは、「歌を歌うように間を取れ」れば、爆燃からの、爆発に至る。
スケッチブックを譜面立てに置く。
「TNT爆薬。」
「チリチリチリチリ…」
「あ!アブナイアブナイ!」
「爆薬は直火で炙っても意外と大丈夫ー!」
「…はい!
これは意外と大丈夫なんですねーでもこういうことしちゃいけませんね。
…えー、意外と大丈夫でしたー。次!」
ナイロンの擦れる音。
いつものイヤーな空気になって来ている。
「歌を歌うように間を取れ」
その瞬間、彼の中の何かが完全に弾け飛んだ。
気付いたら直立不動の姿勢になっていた。
しかも『さよなら人類』の前奏を口遊んでいた。
もう止められない。
「♪二っ酸化炭素をはっきだーしてっ!
あの子が呼っ吸ーをしっているよー!
曇天もよーの空の下っ!
つんぼみのーままで揺れながらー!
ッ、トコトント
今日ー人類がっはじめてぇー
木星に着いたよほー!
あ、着いた着いたよヤッホー!
ピッテカントロプスになる日もー
近づいーたんだよー!
サルに、成るよー…
サルに、成るよー…」
汗びっしょり。
目の毛細血管が切れて、白目が赤くなっている。兎にも角にも、全身全霊で歌い上げたのだ。
時間は丁度、四分。
ナイロン、の音はない。
ぴたーと空気が留まっている。
暗くてよく分からないが、まばらな客の所々は下を向いている。
最初は所々から次第に全体へと、意味不明の拍手が伝染した。
笑いはひとつもない。
だが、客の心を動かしたのだ。
我に返る。
「どうもありがとうございましたー!」
舞台袖に戻ると出演者も裏方さんも、今まで見たことのない顔をしていた。
先輩が手を差し伸べて来たので、握手をした。
爆薬男は今ひとつ状況が掴めず、もう片方の手で坊主頭をぽりぽりと掻いた。
(終わり)
↓花澤薫様の企画に参加しました。
↓「「生きることのミステリー」を描いた短編小説集『すべて失われる者たち』」。音楽が流れる32の短編集。
私が「『悲しみの風景』で思い浮かんだ音楽」はなぜか『さよなら人類』でした。
