掌編小説|わかめ無料
確かに「わかめ無料」と書いてある。
俺は小さい頃から「タダより高いものは無い」と言われながら育って来た。
店の入口に券売機があったので、ざっとメニューに目を通した。見る限りわかめ関連の情報は皆無だった。
緊張感を切らさずに、ゆっくりと、しかし確実に引戸を開けようとした。
だが、その戸はびくともしなかった。
よく見ると、「引く」と書かれた紙片が、セロテープで適当に貼られていた。
つまり、その「戸」だと思っていたそれは「扉」であり、引くことにより開ける事が出来るそれだった。
俺はそれを押した。だがそれは開かなかった。もう一度その紙片を確認した。やはり「引く」と書かれていた。俺は気づいた。つまり俺の脳内の言語野ではそれを「引く」と処理していたものの、なぜだか分からないが運動野に変換するタイミングで「押す」に変換されてしまうエラーが生起しているのだった。
人はそれを、「勘違い」と呼ぶのだろうが、それを一緒くたに、「勘違い」の一言で済ませて良いのだろうか? そこまで考えて俺は、「勘違い」とは何なのかすら完全に見失っていた。それはちょうど、サバンナを駆けるシマウマのシマのない腹部の様であった。
自分のエラーに自分で気が付き、それを修正すること。これをコンピュータにやらせようとしても中々難しいのではないのだろうか? そこまで考えた所で、「何を意味のないことをそば屋の入口でぐだぐだ考えているのだろう?」と気づく事ができた。
そしてそれはちょうど、その昔「戸」だと誤認してしまったそれを「扉」だと発見し、「引く」であるのに「押す」と勘違いしていた俺に対するララバイでもあった。
そして、一呼吸置いてゆっくりとドアを押した。なぜだ? ちゃんと俺は押したじゃないか。
……陰謀論だ!
間違いなくこれは陰謀論だ。これが陰謀論でなければ何が陰謀論だって言うのだ?
そう思えるほどの典型的な陰謀論だった。
俺は思い通りにならないその身体を恨みながら、そば屋の前でおんおんと泣いた。
そのとき扉が開き、そばを食べ終わった客が出て来たため、すれ違い様に入ろうとしたが、ドアノブを掴んだ瞬間に自動的に扉を押していた。
(終わり)
ひろいてんさんの記事から「わかめ無料」の謎は始まりました。(ワードの破壊力!)
文学フリマを観に東京へ行った際、「わかめ無料」の店に行って来ました。

新橋のガード下にありました!
検索したら東京中にたくさんありました。

トッピングの「わかめ」は無料です!
十割そばなので絶対うまいやつです。
普段ファミマのパンしか食べてないので、味に対する客観的な評価ができません。なんでも美味しいとしか思えないのです笑
(写真ちゃんと撮れば良かった……)

「国宝」でお馴染み、吉田修一さんの芥川賞受賞作、「パークライフ」の舞台です。


望遠レンズを持ったカメラ好きの方がたくさんいました
