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taronpe
現代詩|ファトラジーの実験
FAT 1
首を目立たずにしながらも
高校が一緒であり
それでも
平和駅は集成材でSOAしている。
だから醤油をつけて、
醤油をつけては
一日の終わりに
高齢者が集う
(これはやり過ぎでしょうか?)
FAT 2
人間の作る閉じた言葉は完璧だが
二重の意味で庭に蔓延る雑種犬は
自動改札で詰まっている
(笑える感じとなにかの皮肉も含められた気がする……?)
FAT3
we are run and run
溢れる
炭酸水は気にしない
いつか
タマネギの咲く季節に
キミは打ち上げられているのだろう
(分かるか分からないかくらいの範囲で爆風スランプのrunner風味をまぶしてみました。コレは違いますね)
(終わり)
あのくいたろうさんが、詩(ファトラトジー)に挑戦しています!
初代天王君さんから「ファトラジー」という言葉を学びました。
【詩? について思うこと】
「詩」について全く知らないまま、他のnoterさん(主に大村浩一さん)の見よう見まねで書いています。
勉強したいと思っていますが、一方で形に囚われて書くのが面白くなくなるのも嫌だし、そこに少しの葛藤もあります。
こういうのを書いているときが、一番解放された気分になります。
ファトラジーは本音を潜ませるために象徴として違うものを持って来たりしているものと捉えました。または、逆に支離滅裂な事を書いた結果、何かが立ち上がったのか?
なお、僕は見たままを素朴に書いたりする行を混ぜるのが好きなのですが、それはファトラジーかどうか分からなかったので、それはやめました。
