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祖父母宅で見つけた写真の日付は‥

終戦記念日を終えましたので、私が見たローカルな記録のお話をば。

以前、祖父母宅で古い写真を見せてもらったことがあります。
祖父が子供の時の写真です。

祖父は昭和7年生まれなので、終戦時は12歳です。(誕生日前)
5歳ほど上だったら、どうなっていただろうか‥。
まだ子供だったから、なんとかなったという感じですね。
あと、曽祖父が国鉄職員だったので、戦地に行かずに済んでいたらしいです。
曽祖父が国鉄職員ではなかったら、どうなっていただろうか。
軍需工場が近所ではないけど、やや近くにあったので、空襲はあったようですが、幸いなことに自宅の方にはこなかったらしいです。

そして現代。
その祖父はもう80代。いよいよかも知れないという時に、写真を見せてもらいました。
大きな被害があった場所では考えられないような写真でした。

昭和20年3月に家の前で撮影した写真でした。
時期的に、小学校の卒業記念なのかも知れません。
服はきっちりしていて、良い靴も履いていましたし。

国鉄職員の家なのだから、それなりにものはあったのでしょうけども、こんなに保存状態が良い昭和20年3月の写真が残っているということに、とても驚きました。

そこで思い出しました。配給の話は聞いていたのですが、ほとんど終戦後の話だったなと。
12歳頃のことなんて、ほとんど覚えていなくてもおかしくないとは思いますが、配給の話が具体的だったので、覚えていないわけではないと思います。配給を受けとりに行く行動をするようになったのが終戦後のことなのかもしれません。

ほとんどが戦後の写真でしたが、その昭和20年3月の写真はとてもインパクトがありました。

一緒に収納されていた写真には、警察予備隊の時のものが多かったように思います。集合写真とか友人とか。
かつ会話にはよく警察予備隊の時のことが多く出ていたので、青春時代扱いに入ってるのかなと思います。

終戦後なので、戦争自体は関係ありません。
なので、写真に写っている人は、流石に70年以上経っているため、現在ほとんど存命ではありませんが、全員戦地には行っていません。 
これらの写真に限ってですが、癌で亡くなっている方が妙に多いように思いましたが、母数が少ないので、気のせいでしょう。

その祖父も、数年前に亡くなりました。
警察予備隊時代に仲の良かった友人たちには会えたかしら?

戦争は知っているけれど、直接戦地に行くには若過ぎたという人は、全国に多くいることでしょう。
私が見た写真は、戦地とは違う、子供の日常もそこにはあった証拠だと思います。

戦争の時代を知る祖父の写真を見て、ふと現代の生活にも「戦争の影響を受けた技術」がすぐそばにあることを思い出しました。

戦争は勿論嫌ですが、軍事研究は止められないというのは理解しています。
何故かって?
軍事研究で生み出されたものの副産物を使って、私たちは便利な生活をしているのだからです。
いかに戦いを有利に進めるかという研究が、技術の進化スピードを上げる火種となります。目的にもなります。
「平和利用」とはよく聞きますが。平和利用ではない目的で作られたものを平和利用しているだけで、もし戦争で使われるのだとしたら、元の場所に戻っているだけです。

私たちが享受している軍事技術で、現代で特に目立つのは、
インターネット
です。

いかに効率的に情報交換、取得、傍受、撹乱させるかを、大きな目的として発明された便利技術です。

インターネットは軍事研究が無ければ存在していません。
だから、私は全てを単純に否定することはできません。

昭和20年3月こと、1945年3月。
100年後の2045年3月は、「歴史的価値」がありそうな写真ではなく、普通の写真が撮れる日でありますように。

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