感謝して生きる事は幸せか
こんにちは
わたしの名前はこくぞう
きっと覚えてはくれない
とても悲しい
わたしは食事をする前に
必ず「いただきます」を言う
いや忘れる事もある
そんな時は「いただいてます」だ
覚えておくと
たぶんやくにたつだろう
中にはその事に対して
何をそんなに気にしているのかと言う人も
いるかもしれない
もっともだ
わたしも全く言わない時があった
だが今はそう思えない
なぜわたしは、そんなに気にしているのだろうか
わたしは
褒められたいからでも
言わないと気が済まない性格だからでも
ましてやお肉に呪われたくないからでもない
感謝の気持ちを出して生きていたいからだ
わたしはある時まで、感謝とは何なのか
分かってもいなかった
お礼の言葉は発せども
心は伴っていない
そんな状態だった
わたしはある時うつのような症状に
苦しめられた
それまでの人生で本気で何かにすがりついた事は
一度も無かった
初めて、心から助けてほしいと
自分以外に助けを求めた
結果的に助かったわたしは
感謝というものは何なのかを知る事が出来た
先程の言葉に戻ろう
感謝の気持ちというのは
出すことが出来る
それは目には見えない
それは、言葉で「ありがとう」と言葉に出す
という事ではない
自分の中で感謝をしているという状態になる
という事だ
感謝をしている状態というのは
自分の心が感謝している方を向いている
事をいう、とわたしは思う
人間は慣れるように出来ているので
日々の当たり前ではない事が
当たり前になってくる
わたしは
色んなものに生かされている事を
すぐに忘れる
けれどもわたしは、忘れてしまいたくはない
なぜ忘れてしまうのだろうか
それは心が
自分の事を見始めるからだ
この後何をしよう
ご飯を食べたらアレしてコレして
今日はどこに行こうかな
わたしは自分の事を考える事が多い
実に人間らしい
人間としてとても良いと思う
そこが人間として素晴らしい所
わたしはその為に人間として生まれてきた
とさえ思っている
だから、それをさせてくれる
自分がしたい事をさせてくれる
食べ物、空気、まわりの人や物、その他
全てに感謝しながら生きたい
そうでなければ罪悪感に苦しむ事になる
食べている生き物に対してごめんねごめんねと
謝りながら、私は命を頂き続け
なぜ私は生きているのだろう
生きている意味もわからない
沢山の命の上にある自分って何だ
そんな考えになった時もある
素晴らしい生き方だが、わたしには出来なかった
続ければきっとその苦しみに耐えられないだろう
こんな風に考える人は他にもいると思う
決してその考え方が間違っているとは思っていない
けれども、わたしの考えを出すと言う事は
時に相手の考えを否定する事にもなる
ここで再三その事を伝えておきたい
否定する為に書いたわけではない、わかって欲しい
ただわたしは、感謝していく生き方を選んだ
それだけだ
「ありがとう」もそうだが
「いただきます」も
感謝の気持ちになれる言葉だと思う
言葉に出す事で心には感謝の気持ちが生まれる
心を外に向けるという事だ
わたしは必ずしも言葉に出す必要があると
言いたいわけではなく
自分の心の中に感謝の心が存在しているのか
あるのならば
ただそれだけで良いと思っている
わたしは言葉に出すことで気づくのだ
今私が発した言葉は言葉だけの
ものだった
わたしはまた、当たり前のように
命を頂こうとしていたと
言葉として相手に伝えるとき
言葉というものは心がこもっていなければ
ただの音だ
プレゼントで言えばただ持っている物を
渡しているだけだ
それはプレゼントではない
そこに心がないのなら、荷物の受け渡しだろう
となりのトト○に出てくる勘太は
言葉もなく傘を渡す(んっ!とは言ってるが)
プレゼントと言える物かは不明だが
心は伝わる
わたしもいつか真似してみよう
真心であるかも大事だと思う
下心があれば千と千尋のカ○ナシだ
受け取ってもらえないかもしれない
勘太に下心があったかの議論は無用だ
少なくとも傘を渡す瞬間にスケベ心はないだろう
わたしは何を言ってるのだろうか
話を戻したい
感謝の心のまま、言葉を発する
心がこもっているから、伝わるのだと思う
感謝を受け取る時はどうだろうか
「ありがとう」という言葉だけを
聞きたいのだろうか
感謝の心を感じたいのではないだろうか
感謝は目に見えなくとも存在する
言葉は感謝を
届けるだけだ
わたしはわたしのまわりに、感謝している
感謝している時わたしの心は
まわりを見ている
心は落ち着き穏やかで静かになる
わたしはその時
幸せを感じる
なので、食材に心を込めて頂きますを言う
慣れてくると心がこもってない時もある
けれども、言葉に出す習慣があると
それに気づく事が出来る
習慣とは、慣れる事を習うのだとわたしは思う
習慣にすると、きつい事もきつくなくなる
慣れたからだ
習慣にすると、慣れるという事、を習うよ
という論理も分かるのだが
わたしがここで言いたいのは
人間は慣れてくる、慣れたく無い事も
だから習慣にする事で、慣れてきた事に気づこう
とするのではないか
つまり、慣れてきた事
(慣れてきてますよー)
を
習うのではないだろうか
慣れとは、当たり前になってくるという意味で
ご先祖さま達は、しきたりとして習慣化する事で
感謝する事を慣れないようにしたのかもしれない
儀式や年中行事等は厳かだ
しかし慣れに慣れた結果、厳かさはだんだんと崩れ去っていってるのではないだろうか
心は神様仏様に向いているのだろうか
わたしはそこに対して特別な感情が湧くわけではないが
いや、少しは悲しい
わたし自身の事は、当たり前に慣れないように気をつけて生きたい
感謝しながら生きていくのは幸せだからだ
地球に生れて良かった
人間に生れて良かった
目に映る綺麗な木々や透き通るような川
飛び込みたくなる海、美味しい食べ物
全て当たり前ではない
人間として生まれる事がなければ
全て、感じる事は出来なかった
もちろん苦しみも沢山ある
けれども苦しみがなければ
楽しみは感じない
楽しい事だけ、楽な事だけ
も
いつかは
慣れてしまうからだ
だから今日もわたしは、目の前の食事に感謝する
いただきます
最後まで読んで頂きありがとうございます
とても綺麗な景色です
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