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わたしがわたしのままでいれるのは

実家の仏壇に手を合わせる
ばあちゃん、ありがとう

祖母の家に遊びに行ってた時は
じいちゃんに手を合わせていた
ちなみに祖父には会った事はない
わたしが産まれる数年前には、だそうだ

今では祖母にばかり語りかけている気がする
じいちゃん、ごめん

自分で言うのもおかしな話かもしれないが
わたしは相当おばあちゃん子だったのだろう

本当に優しい祖母だった
困らせた記憶はあっても
怒られた記憶は全くない

わたしが遊びに行くと
いつも喜んで迎えてくれた

わたしのする事に何かを言われた
事もない
ただ、それだけに
心の機微をよく観察するようになった
と思う

困らせたり悲しませたり
出来るだけしたくなかった
結果として沢山迷惑をかけたと思うが
わたしの中にはそんな気持ちが
たしかにあった

わたしの外見がどう変わろうと
わたしの考えがどう変わろうと
ずっとわたしの本心を見てくれていた
と感じる

でなければ、だらしない服装で明るく染めた髪の
10代の頃のわたしが横に座って
あんなに上機嫌では、いられないだろうと思う

わたしは聞いた事がある
どう思っているのか、気になっていたのだ
こんな孫になったけどいいのか?と
祖母は
小さい頃から中身は変わらないよ
と言ってくれた

わたしの中身が変わらなかったのは
この言葉のおかげだろう
本当に感謝してる

何かを求められた事もない

自分の事しか考えられなかったわたしが
旅行の際に、ばあちゃんへのお土産は
何か買っていた

お土産を渡して旅行の話をする
何の話でも楽しそうに聞いてくれた


亡くなって
まだ何年も経っていない

祖母の事を思い出すと
悲しいより
嬉しいの方が大きい
そして、祖母はその方が喜んでくれるだろう

ばあちゃんがばあちゃんで良かった

祖母が80歳の頃
わたしがいつものように遊びに行くと
もういつお迎えが来てもいいと
笑顔で話していた

わたしは来てほしくなかった

いつまでも生きていて欲しかった

けれども、亡くなった時
生き返ってほしい、とは思わなかった

ゆっくりと眠ってほしい
そう思った

ちゃんと迎えに来てもらえたのだろう
それであれば、わたしは満足だ

神様、仏様に深く感謝したい

思い出はいつも突然によみがえる

なんて事ない日常の思い出も
その一瞬一瞬が
とてもかけがえのない
ひとときだったのだ

変わっていく恐さがあるから
その一瞬一瞬が大切に思える

この記事を書いていても
わたしの涙は右目に浮かぶ
嬉しいからだろうか

一緒に過ごせた時間は
当たり前ではなく
有り難い時間だった
今でこそ、そう思う
若い時分は気付く事もなかった

わたしが嬉しく感じている事を
祖母はまた喜んでくれるだろう

わたしが遊びに行ったあの日のように


最後まで読んで頂きありがとうございます



以前
おばあちゃん子の話を何かで読んだ
それを読んで、わたしも
書く機会があれば書いてみたいと
思っていた
どんぐりの身のない身の上話を語って
申し訳なさもあるが
この機会に感謝したい

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