その質問をした理由——隣人のおばあちゃんから学んだこと
「その質問、命に関わっているかもしれない。」
何気ない会話のなかで、そう気づかされた出来事がある。
——「〜ってどうしてる?」
——「どうですかね?」
あの人からは、時に、何気ない質問の裏に命が関わっていることがあるのだと、学ばせてもらった。
僕の実家の街は、県の東の端にある。
隣の県までは、車で15分ほどの距離だ。
これまでに何度か働き口を変え、気がつけば今は県の西の果てにいる。
実家に帰るのは、多くて年に2回ほど。日帰りで行ける距離ではあるけれど、仕事柄、家族と休みがなかなか合わない。
帰省の理由はもっぱら、孫の顔を見せるためで、ひとりで帰ることはまずない。お盆と正月にしか顔を出していない。
子どもの受験の年には、それすらもなかった。
ある夏の出来事
車で帰省し、家の駐車場に車を停めてから、ふと家を見上げた。
父は次男で、以前、母から聞いた話によれば、僕が生まれた時点ですでに亡くなっていた祖父の相続の時、大いにもめたらしい。
怒りにまかせて席を立ち、何も得ずに会議を退席した──そんな話だった。
今思うと、あれは生活が苦しい時期に、愚痴のように僕に漏らしたのだと思う。
帰省のたびにこの家を眺めると、父のプライドによって建てられたのだということを、じんわりと感じる。
実家に帰省したときは、特に何をするでもない。
子どもが小さいころは、かつて自分が遊んだ場所を案内して歩いたが、今ではあまり外遊びにも興味を示さなくなった。
最近は僕ひとりで散歩をすることが多い。
実家の玄関は、隣接する家の方角を向いている。
その間には、申し訳程度の広さの庭があり、小さな松の木や、背の低い南天の木などが少し植えてある。
その先には、三段ほどのブロック塀が立っていて、隣の家の玄関がちょうど見えるようなつくりになっている。
隣の家には、仲睦まじい老夫婦がふたりで住んでいた。
あるとき、今しがた一勝負してきたであろう、グランドゴルフのクラブをご主人が外で洗っていた。興味を示したまだ幼い僕の息子に、にこにこと振り方をレクチャーしてくれた。
それからしばらくして、静かにこの世を去り、今では奥さんがひとりで慎ましく暮らしている。
僕より十歳年上の一人娘がおり、勤勉で誰でも知っているような都会の有名国立大学に進学し、そのままその地に根を下ろして暮らしているという。
散歩に出かけようと玄関から出たところで、おばあちゃんと鉢合わせた。右手には、赤い灯油缶をぶら下げている。
「こんな真夏に?」と心の中でつぶやきながらも、笑顔で挨拶を交わす。
おばあちゃんは、やわらかく言った。
「今日帰ってきたの? お母さんたち、きっと喜ぶわよ。頻繁に帰ってあげなさいね」
それはまるで、自分の娘に対する願いを、僕に重ねているような言い方だった。
少し間をおいて、ふと思いついたように言う。
「ところで、冬の暖房って、どうしてるの?」
灯油缶を見つめながら、
なんでもない世間話に見せかけたその問いかけが、なぜか耳に残った。
「子どもが小さい頃、危ないと思ったので……うちはエアコンだけなんです」
「そうよねー」と言い残し横に歩いて行った。その先には灯油ボイラーのタンクと思わしきものがあった。
灯油缶に納得しつつも、ただ、そうよねと言った際の怒りとも悲しみともつかぬその横顔が、妙に記憶に焼きついた。
それからしばらくして冬になり、正月に帰省した。
父親が毎年欠かさずみている箱根駅伝を、横で眺めていると、母親が思い出したように、
「そういえば隣のおばあちゃん、年末に急になくなったの」
不意に聞かされた、その話にビックリして、
「夏会ったときは、すごく元気そうだったけど?」と返した。
母が続けた
「約束してた人が訪ねたらしいけど、返事がないから心配で、勝手口の鍵が空いてたから入ったらしいんだけど、家の中が凍えるように寒くて、椅子に座ったまま亡くなってたって。心筋梗塞みたい」
それって…
「家のエアコン壊れてた…?」
母が言うには、夏あたりから隣の家のエアコンが壊れていたらしい。
老い先短い自分のためだけにエアコンをつけ替えるのは、はばかれたようだった。
ご近所には心配かけないように配慮していたんだと思う。亡くなった後に知ったらしい。そういう人だった。
「冬の暖房って、どうしてるの?」
あれは、「私はね……」と続くはずだったのかもしれない。
心配をかけたくなかったのかもしれない。
心配されたくなかったのかもしれない。
恥だと感じていたかもしれない。
聞かれなかったから、言えなかったのかもしれない。
聞いても、言わなかったかもしれない。
「ところで、〜ってどうしてる?」
「どうですかね?特に意識したことはないですけど。
今なんで聞いたんですか?」
「うーん。なんとなく…。 実はね… 」
あの人が教えてくれた事を無駄にしないように。
追記
こういった、ちょっとした一言が最近とっさに聞けるようになりました。
理由を聞いても答えてくれない場面も多いですが、この人だったらと言っていただけるようになりたいと思います。
聞いた理由を本人がわかってない場合もあったり、理由がしょうもなくて面白かったり、本当に深刻な悩みなどと、
唐突に聞かれた質問は、聞いたその人も気づいてない大事なサインかもしれない。
