レベッカの世界 黒船開国感想戦:『大統領親書』と『公議輿論』の狭間で Vol.15
第15章:1年間の猶予:決断の時
高天原の対談ステージ。レベッカは、ペリー提督の測量という心理的な恫喝に対し、阿部正弘が下した「1年間の猶予」という外交的な回答、そしてその間に両国が何を準備し、何を変化させたのかに焦点を当てる。
レベッカ:「阿部様。久里浜での国書手交後、幕府はペリー提督に対し、『1年後に回答する』という猶予を引き出しました。ペリー提督側は、これを『断固たる回答を避けた、単なる時間稼ぎ』と見ていましたが、阿部様にとって、この1年間は『日本の運命を左右する、唯一の準備期間』でした。この猶予期間で、幕府は具体的に何を達成し、何を次の交渉の武器とするつもりだったのでしょうか」
阿部正弘:「(静かに、しかし決意に満ちた声で)レベッカ殿。提督が我々に与えた1年間は、『日本を内戦から救い、統一的な開国へと導く』ための、神が与えた最後の機会でした。私がこの1年間で達成しようとした目標は、大きく分けて二つあります」
阿部正弘:「第一に、『実戦的な海防力の強化』です。提督の蒸気船の威容を目の当たりにし、もはや旧式の砲台では太刀打ちできないことは明白でした。私は、『大船建造の禁』を解き 1、全国の大名に『洋式帆船や蒸気船の建造』、そして『大砲の鋳造』を許可しました 2。これは、攘夷派の『エネルギー』を、『海防の実務』へと向かわせるための、政治的な転換でもありました」
阿部正弘:「第二に、『外交・軍事知識の急速な導入』です。万次郎の知識を最大限に活用し、『西洋の知識を持つ人材』を登用し始めました。そして、オランダに対しては、『蒸気船の購入』と『海軍技術の教官派遣』を強く要請しました。この1年間で、我々は『鎖国国家』から『近代化を目指す国家』へと、『意識の転換』を図らねばならなかったのです」
レベッカ:「祖法を破ってでも、急速な近代化への舵を切られた。エヴァレット国務長官、ペリー提督が去った後、アメリカ本国では、この『1年間の猶予』をどのように評価し、再来航に向けた準備を進められたのでしょうか」
エドワード・エヴァレット国務長官:「(緻密な分析家として)我々は、日本側が『武力衝突を避けたい』という意思を持っていることを確信しましたが、同時に、彼らが『開国』という結論を出すまでに『時間が必要』であることも理解していました。老中首座阿部氏の『1年間の猶予』という回答は、『交渉の窓口が閉じられていない』という明確なサインでした」
エヴァレット国務長官:「しかし、我々は、日本側がこの間に『海防を強化』し、『強硬な態度』に出る可能性も考慮せねばなりませんでした。故に、本国政府、特に海軍省は、提督の再来航時に、『より多くの艦隊』、特に『蒸気軍艦』を増派することを決定しました。これにより、日本側の『いかなる抵抗』をも凌駕する『圧倒的な威容』を誇示することが可能となったのです」
ペリー提督:「(力強く)再来航時、私の艦隊は、最初の4隻から9隻の大艦隊へと増強されました 3。この増強は、日本側に対して『我々は平和的な通商を望むが、要求が受け入れられない場合は、断固たる手段に出る準備がある』という、より強固なメッセージを送るためのものでした。阿部老中首座が『近代化』を進めているという情報も入っていましたが、その努力が、我が国の『圧倒的な力』を覆すことは不可能だと確信していました」
レベッカ:「阿部様の『近代化の努力』に対し、提督は『艦隊の増強』で応じられた。この1年間は、両国にとって『力の均衡』を巡る、静かなる『競争』であったわけですね。吉田松陰様は、この幕府の『海防強化』策を、当時どのように見ておられましたか」
吉田松陰:「(悔しさを滲ませて)阿部公が『大船建造の禁』を解いた 4 ことは、確かに『英断』でした。私もまた、『海防の強化』は急務であると理解していました。しかし、その強化策が、『外国の圧力に屈した結果』として始まったことに、私は憤りを禁じ得ませんでした」
吉田松陰:「真の海防とは、『自国の意思』で行われるべきものです。幕府の措置は、『ペリー提督を恐れて』行ったものであり、『主体的』ではない。私は、この『猶予期間』こそ、日本全体が『西洋の技術を学び、独自の国力』を築くための、真の『機会』とすべきだと主張しました。しかし、幕府の指導者層は、依然として『目先の危機回避』に囚われていたのです」
レベッカ:
「攘夷派の主張は、『主体的自立』という哲学に裏打ちされていたのですね。阿部様、松陰様のこの『主体的ではない』という批判に対し、どのようにお応えになりますか」
阿部正弘:「(静かに受け止めながら)松陰殿の批判は甘んじて受け入れます。確かに、我々の近代化は『外圧』によって強制されたものです。しかし、『近代化の速度』と『内戦の回避』という観点から見れば、私の判断は誤りではなかったと信じています。もし、私が『祖法』に固執し、この1年間で何も準備していなければ、提督が再来航した際、日本は『外交的な交渉の土台』すら持てず、より苛烈な要求を突きつけられたか、あるいは武力占領の危機に瀕していたでしょう」
阿部正弘:「この1年間で、私が最も注力したのは、『交渉能力の向上』でした。林復斎(大学頭)を応接掛の首席に据え、ジョン万次郎や堀辰之助といった通訳を配置し、提督の『強硬な外交』に『理性的な反論』ができるよう、準備を重ねました。この1年間の猶予は、『軍事的な準備』よりも、『外交的な知恵』を磨くために使われたのです」
レベッカ:「『外交的な知恵』、ですか。エヴァレット国務長官、阿部様がこの1年間を『交渉準備』に充てたという事実は、後の条約締結において、アメリカ側にどのような影響を与えたのでしょうか」
エドワード・エヴァレット国務長官:「日本側が『外交的準備』を整えてきたという事実は、我々にも『譲歩の必要性』を認識させました。提督が当初強く要求していた『通商条約』は、日本側が『断固として拒否』する可能性が高いと判断されました。もし、通商に固執すれば、交渉は決裂し、再び1年以上の遅延を招くか、武力行使に頼るしかなくなる。そこで、我々は『開港』と『人道支援』に限定した『和親条約』を『現実的な落としどころ』と見定めました」
レベッカ:「阿部様が引き出した『1年間の猶予』は、日本に『近代化の最初の一歩』を踏ませただけでなく、ペリー提督の『強硬な要求』を『和親条約』という『穏健な着地点』へと誘導する、『外交的な勝利』でもあったと言えますね。次回は、その猶予期間が明けた後の、アメリカでの政権交代と、ペリー提督の再出発の状況に焦点を移します」
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