【エッセイ】27 私は「動物好き」か「猫好き」か問題
最近、ニュースやThreadsなどのSNSで動物の虐待や駆除などのこころを痛める情報をよく目にすることが多くなった気がする。
私は自分が「動物好き」だと思っていたが、先日、夫から私は「猫好き」ではあるが、「動物好き」ではないと言われた。
夫がいうには、自分は動物全般が好きだから、本当の「動物好き」だというのだ。
確かに、夫は犬にも好かれるし、動物園や水族館などの動物と触れ合える場所を好む。
国内旅行に行ったときも、そこにそういう施設があれば行きたがることが多い。
ある開放的な動物園に行ったときも、私は怖がっていたが夫は小さな外国のサルが肩にのっても、うれしくてたまらないという態度だったのを覚えている。
私はというと、そのサルの手を触るととても感触がよくてそれは気に入ったが、肩に乗られるのはなぜか怖かった。
家には保護猫が一匹いて、大切な家族として暮らしている。
私も夫もそれは大変なかわいがりようで、その子を第一に物事を考えることが多い。
私は長生きはあまりしたくないが、その子が虹の橋を渡るまで死ねないと思っている。
もし、夫婦が突然の事故でいなくなったりしたときは、誰にその子をお願いするか真剣に悩んでいる。
今のうちに決めておいてお願いしたいと思っている。
確かに、夫がいうように私は「猫好き」かもしれない。
けれど、たとえば動物のマンガがあったとする。
動物との心温まる交流とかが描いてあればもちろん読める。
だが、社会に対する問題提議のような内容であれば、そのマンガを私は読みたいのだが、こころが苦しくて読めないのだ。
それでも、読みたい衝動に駆られて読んだことがある。
読んだといっても冒頭数ページだが。
涙が止まらなくて、何年ぶりだろう、声をあげて泣いてしまったのだ。
以前にも書いたことがあるかもしれないが、薬のせいなのかはわからないが、涙がでないことが多いのに。
その動物の気持ちになってしまい、それを思うとこころが苦しくなるのだ。
最近のイエネコ防除に関しても、熊の駆除に関しても、盲導犬や人間のために働かせられているすべての動物に関してもだ。
動物には動物の運命があると思う。
けれど、人間の都合によって苦しめられる人生、いや動物生を思うと、やるせない。
それを考えると、何か世の中の不条理さとか、いろんな感情が湧いてくる。
私に生き物を助ける力があればいいのに。
でも、それは神様でないと無理だろう。(神様でも無理かも)
それに、生き物は弱肉強食の世界だし、そもそも「助ける」などというのも、おこがましいというものだ。
そう考えると、せめて家にいる家族である猫と最後まで愛情こめて一緒にいることが私にできることなのかなと思ってしまうのであった。
私は動物を怖いと思うことはあっても、その命を大切に思う気持ちは変わらない。
だって、人間も動物も命にかわりはないからね。
そう思える私は、やっぱり「動物好き」なのだと思う。
なので、「私は動物好きである」と夫に自信をもって主張したい。
どっちも一緒なんだけどね。
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頑張ってくださいね🌿
ささやかですが…。