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麻布台ヒルズでやってる「高畑勲展」、メチャクチャ良かったです

麻布台ヒルズで開催中(~9/15)の「高畑勲展 日本のアニメーションを作った男。」を観に行ってきました。相変わらず私は「全然関わりのない対象」であっても映画や展示を観に行くようにしていて、高畑勲作品についても、たぶんちゃんと観たものはないと思います。テレビでやってた『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』を流し見したことがあるぐらいじゃないかな。ただ、そんな人間でもメチャクチャ面白く観られる展示でした。

ちなみに、撮影は一切禁止だったので写真はありません(入口前にあったメインビジュアルの写真は撮ったつもりだったんですけど、何故かそれも撮れていませんでした)。また、メモなど一切取らなかったので、何か情報に誤りがあるかもしれません。もし間違いを見つけたら教えて下さい。

本展示では基本的に高畑勲の仕事を時系列順に並べていて、最初は「東映アニメーション」、それから「日本アニメーション」、そして最終的に「ジブリ」と、様々な会社での仕事が展示されています。それで、特に初期の仕事の展示では「文字情報が多いこと」に驚かされました。これは「学芸員による説明が多い」みたいなことではなく、「高畑勲の手書きの文字が多い」という意味です。

ざっくり「創作ノート」と言えばいいでしょうか、作品の構想や設定やなんやかんやをとにかく手書きでぶわーっと書いていて、その量はちょっと凄まじいものがありました。アニメを作る上でこれが普通なのかどうかは分かりませんが、恐らく普通ではないでしょう。高畑勲の「探究心」や「緻密さ」みたいなものがそうさせるのだろうなと感じました。

そしてそれに加えて、初期の高畑勲の仕事(のやり方)で興味深かったのが「スタッフ全員に作品のアイデアを共有する」という点です。恐らくそういう目的もあって、自身の頭の中にあるものを言語化して表に出す必要があったのだと思います。展示の中でこの点が強調されていたので、であれば恐らく、当時のアニメの作り方としては普通ではなかったということでしょう。恐らく当時の「普通」は、「監督や演出が、自身の構想やアイデアを絵コンテのあちこちに散りばめて指示として出す」みたいな形だったのだと思います。たぶん、自分が担当する箇所しか細かいことは分からなかったでしょう。しかし高畑勲は、「作品の設定・世界観」をすべて共有し、さらに「登場人物ごとに、それぞれの場面でどのような『テンション(緊張感)』でいるのか」を図示したものまで用意していたのです。

さて、そういうやり方が功を奏したことが伝わる展示もありました。高畑勲は作品についての情報をスタッフと共有し、さらにその上で意見を求めてもいたわけですが、その中で積極的に意見を出していたのが、当時はまだいち動画マンでしかなかった宮崎駿だったのです。展示の中に、宮崎駿が高畑勲(や他の人)のアイデアに意見するメモがあったのですが、宮崎駿はそうやってかなり意見を出していたと書かれていました。そして恐らく、ここでの関わりが後の「ジブリ」に繋がるのでしょう。

宮崎駿との関わりで言えば、より印象的な展示もありました。何の作品でそれを始めたんだったか忘れましたが(『パンダコパンダ』だったかな?)、高畑勲は宮崎駿と共に「レイアウト」というシステムを構築したのだそうです。これは、現在のアニメ制作においては「当然存在する工程」らしいのですが、当時はまだなく、高畑勲が宮崎駿と一緒にどうにか作り上げたと映像の中で本人が語っていました。

「レイアウト」に関する説明の展示もあり、私が理解できた範囲で紹介しておきます(間違っているかもしれませんが)。まず「レイアウト」というのは「ちゃんとした絵コンテを描く前の工程」なのだそうです。「高畑勲は『まるちょん(棒人間みたいなもの)』で絵コンテを描く」と、後の『かぐや姫の物語』の展示にあった動画の中で誰かが話していましたが、そういう「まるちょん」の絵コンテからちゃんとした絵コンテ(アニメの設計図と言っていいもの)を作る間の工程が「レイアウト」のようです。

展示されていた「レイアウト」の実物は「一枚絵」みたいな印象で、「各シーンのベースとなる背景・人物配置・構図を1枚の紙にまとめている」みたいな感じでした。つまり、高畑勲が「まるちょん」で描いた絵コンテを元にして、「このシーンではこういう背景の中で人物がこういう構図で立っていて、カメラはそれをこの方向から撮る」みたいなディテールをはっきり明示させる工程なのでしょう。そして高畑勲は、その「レイアウト」の作業を宮崎駿に託したのです。

この「レイアウト」に関しては、動画の中で高畑勲が詳しく語っていましたが、彼は「『レイアウト』をシステムとして構築したわけじゃない」「宮崎駿という才能がいなかったら、このシステムは生まれなかった」と話していました。つまり、「『宮崎駿ならこういうことが出来る』という前提で構想されたシステム」というわけです。となると、この2人が同時代に同じ環境で仕事をしていなかったら、今ではアニメ制作における当たり前の工程である「レイアウト」は生まれなかった(あるいは生まれるのがもっと遅かった)のかもしれません。凄いものだなと思います。

また、動画の中で高畑勲は、「『レイアウト』のシステムを作った理由は、貧乏性だったからだ」と言っていました。「レイアウト」を作らずに設計図である絵コンテを描こうとすると、どうしても無駄(実際には使わないもの)が生まれ得ます。それはもったいないから、だったら先に構図とか全部ばちっと決めて、それで絵コンテを作ろうという発想になったそうです。そしてそういう発想になったのは、「1年間52話のアニメを作る必要があったから」だと思います。今では1クール何話(アニメを見ないので知りませんが、12話ぐらい?)みたいな感じでしょうが、当時は毎週放送を1年間続ける必要があったそうで、だからこそシステマチックにしていかなければならなかったのでしょう。

しかしそれにしても、『母をたずねて三千里』だったかな、「元々短編だった作品を52話に引き伸ばした」みたいなことが書かれていて、そういう場合における「物語の解体・再構築」が凄いなと思いました。同じようなことは『おもひでぽろぽろ』でもあって、原作では「主人公の少女時代の物語」でしかなかったものを、高畑勲は「大人になった主人公が少女時代を回想する物語」と大胆に再構成したのだそうです。展示を見ていた限り、高畑勲は基本的に「原作が存在する物語」しか扱っていないみたいですが(この点は宮崎駿とは大きく違うなと思います)、その原作を徹底的に分析して、「アニメで描く場合における最適解」を導き出すみたいな手腕がもの凄く高いんだろうなと感じました。

さて、ここまででも高畑勲の凄さは十分伝わったかなと思いますが(というか、私が書くまでもなく知ってるよという人の方が多いでしょうが)、私が最も驚かされたのが後半の『ホーホケキョとなりの山田くん』『かぐや姫の物語』の展示です。高畑勲、マジでぶっ飛んでるな。

『ホーホケキョとなりの山田くん』については正直、展示パネルを見るまでその凄さが全然分かっておらず、「シンプルな線のアニメなんだから、そんなに難しくないだろう」ぐらいに考えていました。しかし全然違うみたいです。パネルには、「このシンプルな線画を作るのに、3種類の動画を撮らなければならなかった」と書かれていたからです。

高畑勲はそもそも、本作で「線画のようなアニメをデジタルで作る」という手法を確立したとのことでした。私の勝手な想像ですが、実際に人が手で描くやり方なら、『ホーホケキョとなりの山田くん』のようなアニメを作るのはそう難しくないんじゃないかと思います。ただそれをデジタルで実現するのはかなり大変だったようです。パネルの文章は短かったのであくまでも私の想像ですが、3つ撮らないといけない動画の内の1つは「線をはみ出した色塗りを実現するためのもの」だと思います。デジタルの場合、基本的には「線の内側か外側か」で色塗りが判断されるんだと思いますが、『ホーホケキョとなりの山田くん』では「線からはみ出た」みたいな色塗りがなされていました。「これをデジタルで再現するには余計に動画が1つ必要」みたいなことなのでしょう。いやホント、まさかあのシンプルな作品にそこまでの労力が掛けられているとは思ってもみなかったし、さらに、そんな狂気的なことをやろうと考えた高畑勲にも驚かされました。

しかし、やはりダントツで凄かったのが、ほぼ最後の展示と言っていい『かぐや姫の物語』です。この映画、結局観なかったんだけど、観ればよかったなぁ。説明なしで観てその凄さが理解できたかは怪しいところですが、それでも、「これは観ておくべきだった」と思いました。

高畑勲が『かぐや姫の物語』でやろうとしたのは「キレイじゃない線で描くこと」だったようです。アニメ制作において、キャラクターの原案や絵コンテなんかでは「描いた人の勢いそのままの線」が残っていたりするけど、それらは完成に近づくにつれ、どんどんと「キレイな線」に置き換わってしまいます。高畑勲は動画の中で「アニメの線が嫌いだったんですよねぇ」みたいなことを言っていたと思うのだけど、自身の「集大成」と言える作品でそれに抗おうとしたようなのです。

ちなみに、『かぐや姫の物語』は結果的に高畑勲の最後の作品になったわけですが、そういう意味で「集大成」と言っているのではありません。実は高畑勲は、最初に入社した東映アニメーション時代に、『かぐや姫の物語』の構想を既に考えていたのです。

東映アニメーションでは当時、「『かぐや姫』をアニメ化する」という企画が持ち上がっていたそうで(ただこの点は少し記憶が怪しいです。そうではなく、単に「社内コンペが開かれる」みたいな話だったかもしれません)、入社したばかりの新人だった高畑勲は、結局自身のアイデアを提出はしなかったものの、メモに「かぐや姫」の構想を書いていました。そして彼の死後、その創作ノートが発見されたのだそうです。『かぐや姫の物語』は着手から完成まで8年かかっているそうですが、「構想」という意味で言えば彼のキャリアがスタートした時からあったわけで、そういう意味で「集大成」と言っていいんじゃないかと考えています。

さてそんなわけで高畑勲は、「荒々しい勢いのある線を残すこと」にこだわってアニメ制作を進めました。そして普通に考えて、これはメチャクチャ大変だろうなと思います。「キレイな線」なら絵師ごとに統一することも出来るだろうけど、「荒々しい線」はそう簡単には統一できないと思うからです。それにもちろん、私が想像出来ないような苦労も様々にあったことでしょう。「そりゃあ8年も掛かるでしょう」という感じでした。

あと、「かぐや姫が走るたった2秒間のシーンのために描かれた52枚の原画」とか、「1枚絵として見た時には何が描かれているのか分からない原画(残像効果も計算して描かれたとのこと)」なんかも展示されていて、ちょっと凄かったなと思います。かぐや姫が疾走するシーンについては、実際の映像が大きなスクリーンで映し出されていて、ちょっと「圧巻」という感じがしました。『かぐや姫の物語』、ホント観とけば良かったなぁ。

まあそんなわけで書きたいことは大体書いたので、後は全体的な感想に触れて終わろうと思います。

本展示は「高畑勲展」となっていますが、実際に展示されているものの多くは「高畑勲が手を動かして生み出したもの」ではありません。もちろん、どの作品も「高畑勲が関わったもの」であることは確かですが、展示されている原画や絵コンテは高畑勲以外の人が描いたものなのです。私が見ていた限り、「高畑勲が描いた絵」はほぼなかったはずで、だから彼が実際に手を動かして生み出したものは「創作ノート」、つまり「文字情報」だけではないかと思います。

もちろん、「監督」や「演出」の場合はそんなものなのかもしれません。ただ現代であれば、そういう人だって最初は普通の動画マンとかからスタートすることが多いんじゃないかと思います。一方で高畑勲の場合は、「初期の頃から自分では絵を描いていない」みたいな印象で(もしかしたら、単に資料として残っていないだけかもしれませんが)、だからこそ、その事実はより一層「高畑勲が日本のアニメーションを作った」という印象に繋がるなという感じです。

そんなわけで、アニメにもジブリにも高畑勲にもまったく詳しくありませんが、個人的にはとても楽しく観れました。特に、「宮崎駿の凄さ」は何となくド素人でも理解できるけど、「高畑勲の凄さ」は説明してもらわないとド素人にはなかなか伝わらないので、そういう意味でも観に行って良かったなと思います。

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