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【狂気】好きだけど詳しくはない『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 序・破・Q』『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の感想をまとめてみた

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日本アニメ史上圧倒的な存在感を放つ『エヴァンゲリオン』シリーズ、その劇場版の感想を一気にまとめて放出する

この記事を書いたのは「月1エヴァ」という企画が終わった直後である。毎月1作品、1週間限定で6作品を劇場上映するという企画だ。それで、「もしかしたら、『エヴァンゲリオン』を劇場で観る最後の機会かもしれないな」と思ったので、これまで散発的に書いてきた感想をかき集め、それらをベースに新たな記事を書いてみることにした。

私はそもそもアニメをそんなに観ていないし、詳しくもない。また、『エヴァンゲリオン』は好きだが、考察出来るほど詳しい知見を持っているわけでもないので、本記事はあくまでも「感想」程度の文章である。とはいえ、小説や映画などあらゆる「創作物」の中でもこれほど印象深く心を掴まれた作品はなかなかないし、思うところは色々とあるので、気になる方は読んでもらえると嬉しい。

また『シン・エヴァンゲリオン』に関しては、一度観た後、考察動画を一通り漁ってから再度鑑賞したこともあり、「考察動画で指摘されていたことを踏まえた上での、かなりネタバレ的な感想」を書いている。『エヴァンゲリオン』についてはもはやネタバレもクソもないと思ってはいるのだが、あまり詳しく内容・解釈に触れたくないという方は読まない方がいいかもしれない。

「月1エヴァ」恒例のコメントまとめ

「月1エヴァ」では上映が始まる前に、作品の関係者(主に声優)による3~5分程度の音声コメントが流れた。というわけで、まずは6作品分の音声コメントの気になった点についてまとめて記載してみたいと思う。

『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(鶴巻和哉)

『シト新生』のコメントは『REBIRTH』の監督を務めた鶴巻和哉。『エヴァンゲリオン』には『DEATH』とか『REBIRTH』とか色々あって、それがどう『シト新生』と関係しているのかについては、ネットで調べたことを元に次の「新旧劇場版を観る以前の、私の『エヴァンゲリオン』との関わり方」にまとめた。ただその辺りがややこしくなっているのには「制作の遅れ」という問題があったようだ。コメントの中で鶴巻和哉が「その節はご迷惑をお掛けしました」と言っていた。元々は「TV版の1~24話の総集編に、25話・26話のリメイク版を合わせた形で劇場公開する予定だった」らしいのだが、制作が遅れたため予定が変更され、想定していなかった形になっていったようだ。

で、鶴巻和哉のコメントで私がちょっと意外に感じれたのが、『REBIRTH』の主題歌である『魂のルフラン』についての話である。『魂のルフラン』はカラオケで歌ったりするのでもちろん知っているのだが、鶴巻和哉によると『魂のルフラン』はエヴァシリーズでは『REBIRTH』内でしか流れないというのだ。

「確かに、カラオケで『魂のルフラン』を歌う時に流れるエヴァの本編っぽい映像に見覚えがないんだよなぁ」と思っていたので、まずは「なるほど、それでか」と納得した。しかし同時に、「だったら、私は一体いつ『魂のルフラン』を『当然知ってる』と思うぐらい耳にしたのだろう」とも感じたのだ。

私はそもそも、昔から音楽を聴く習慣がまったくなかったので、テレビや有線で流れる曲しか音楽に触れる機会がない。なので可能性が高いのはテレビだが、恐らく『REBIRTH』はテレビ放送されなかっただろうし、されていたとしてもたぶん私は観ていないと思う。「『エヴァンゲリオン』がバラエティ番組などで扱われる際にバックミュージックとして『魂のルフラン』が流れていた」みたいなことはあったかもしれないが、そういう場合は普通『残酷な天使のテーゼ』が選ばれるだろう。敢えて『魂のルフラン』をセレクトする理由はないはずだ。

それでも私は、『魂のルフラン』を自然と歌えるぐらいには知っているし、それは私ぐらいの世代なら多くの人がそうなんじゃないかと思う。一方で、『魂のルフラン』が『REBIRTH』内でしか使われていないのであれば、「どのようにして『魂のルフラン』は『皆が知っている曲』になったのか?」が謎ではないだろうか。鶴巻和哉のコメントを聞きながら、そんなことを考えたりしていた。

『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(緒方恵美)

『Air/まごころを、君に』のコメントは、碇シンジ役の緒方恵美。彼女もまた、鶴巻和哉と同様に「劇場版の制作が遅れて申し訳ない」と謝罪から始めていた。で、さらにもう1つ謝罪していたことがある。小さいお子様向けに、「冒頭のシーン、ごめんなさい」と言っていたのだ。私は以前『Air/まごころを、君に』を観たことがあったのに、彼女が何を言っているのか全然ピンと来なかったのだが、その後始まった本編を観て理解した。緒方恵美曰く、「アフレコ台本を受け取った時はショックだった」そうだ。

また印象的だったのが、「配信のシステムがなかったから、舞台挨拶はロケバスを借りてあちこち回った」という話。今はライブビューイングがあるから、メイン会場の様子を配信で流せばいいが、当時はそんなこと出来なかったので、「新宿だけで8回、あと池袋・秋葉原・渋谷などあちこち回った」みたいな感じだったそうだ。このエピソードからは、「ライブビューイングのシステムが無い時代から現在までずっと人気であり続けている」という凄さが感じられるなと思う。

さらに、「碇シンジを演じる上で大変だったこと」として、「シンジ君というのは『14歳の自分のもう1つの記憶』だから、公開直後は封印してしまった」みたいな話も印象的だった。そもそも彼女は自分自身の記憶を封印しているらしく(過去に何か辛いことがあったのだろう)、さらにそこに「シンジ君の記憶」が積み上がり、自分の記憶と混ざり合うことでしんどさが増幅されたということなのだろう。そのため、演じた後に封印せざるを得なかったというわけだ。

彼女は「随分時間が経った今振り返ってみると、『頑張ってたんだな』ととても感慨深い」とも言っていて、それはつまり、「演じていた時とは捉え方が大分変わった」みたいなことなんじゃないかなと思う。『エヴァンゲリオン』は「演じる側」にも大きなダメージを与え得る作品という気がするし、彼女の話はその一端とも言えるのだろう。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(林原めぐみ)

『序』のコメントは、綾波レイ役の林原めぐみ。それで冒頭でも書いた通り、私は全然アニメに触れることがなく、だから「どの声をどの声優が担当しているか」みたいなことにもさほど興味はない。そんなわけで私は、彼女のコメントで初めて、林原めぐみが「碇ユイ」「初号機」「ヴンダー」「ペンペン」の声を担当していることを知った。

で、この時の林原めぐみのコメントについては、「映画冒頭でなんか凄いネタバレされた」みたいな意見がネットに上がっていたのをチラッと目にした記憶がある。まあ確かに、「『月1エヴァ』で初めて『エヴァンゲリオン』に触れる」みたいな人もいるだろうし、そういう人からすれば「知りたくなかった」みたいに感じる話かもしれない。この辺りは難しいなと思う。個人的には冒頭でも書いた通り、「『エヴァンゲリオン』にはもうネタバレもクソもない」と考えているが、そう思わない人がいるのも分かるし、とはいえ「全方位的に配慮するのなんか無理だよなー」と感じたりもする。この話もまた、恐ろしく長期的に熱狂が続いているが故の難しさと言えるかもしれない。

というわけでこの記事ではあまりネタバレを気にしないことにするが、「綾波レイ=碇ユイ」であり、さらに「初号機には碇ユイが取り込まれている」「ヴンダーは初号機がベースになっている」ので、そのすべての声を担当することになったということのようだ。しかし、そういう繋がりがあるとはいえ、「綾波レイ」と「初号機」「ヴンダー」を同じ声優が担当しているというのも不思議な話だなと思う(というかそもそも「ヴンダーの声って何だよ」って感じもするが)。

また林原めぐみは「ヴンダーの声」について、「SEのような音を録りに行っていた」みたいな話をしていた。正直観ていてもどの音のことを言っているのかよく分からなかったが、「ヴンダーが動く時の機械音・動作音」みたいなことなのだろう。さらに面白かったのが、「アスカとマリがヴンダーに点火する際の音」を収録した時の話。庵野秀明からは「その時の何かの声」ぐらいの指示しかなく、手探りでやったという。「『チャッカマンで火を点けられそうになった時の何か』とか言われてどうします?」みたいに当時のことを振り返っていた。

あとペンペンの声を担当することになったのはたまたまだったようだ。飲み会の席で「誰かやりたい人ー?」みたいな話があってそれで決まったと言っていた。こういうエピソードも面白いなと思う。

彼女は、「10年ぶりに『エヴァンゲリオン』をやることになり、『ちゃんとレイちゃんになれるだろうか?』と心配だった」と言っていた。しかし、「シンジやアスカ、ミサトの声を聞いたら、すぐにレイに戻れた」のだそうだ。「キャラクターに声を吹き込む」みたいな感覚は私にはもちろんさっぱり理解できないが、「10年前の自分に戻らないといけない」みたいな話であれば「絶対無理」だと感じるし、だから声優ってホントに凄いことをしてるよなと思う。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(宮村優子)

『破』のコメントは、式波・アスカ・ラングレーを演じた宮村優子。彼女は「『破』はテレビ版前半の学園モノの楽しさが詰まっているから、劇場版で一番好き」「惣流じゃなくて式波になっててビックリした」みたいなことを言っていた。

また、個人的に一番興味深かったのは「『劇場版にアスカは出ないんじゃないか』と思っていた」という話。『序』にアスカは出てこない。だから『序』に参加した声優から「次会おうね」みたいに言われた際に、「もしかしたら劇場版にアスカは出ないんじゃないか」と考えていたという。当時はまだ「世界線」という言葉が一般的ではなかったようだが、宮村優子は「テレビ版とは違う世界線の物語になるのではないか?」みたいに思っていたそうなのだ。まあ、アスカはちゃんと出てきたが、彼女の予想自体は結果的に合っていたと言えるだろう。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(坂本真綾、石田彰)

『Q』のコメントは、真希波・マリ・イラストリアスを演じた坂本真綾と、渚カヲル役の石田彰。

マリは劇場版で新たに登場したキャラクターなこともあり、坂本真綾は「『破』からエヴァに参加したから、私は他の方々と違って15年ぐらいの関わり」「今も、『皆さんが作った歴史の中に”混ぜてもらっている”』という感覚がある」みたいなことを言っていた。また、彼女の話で一番印象的だったのが、マリとしての初めてのアフレコを行った日のこと。「『死ぬ時に思い出すだろうな』というぐらい印象的」だと話していた。どうも相当緊張していたようだ。

石田彰は、「2年、3年、9年というスパンで公開された劇場版を、こうやって一気にまとめて観られるのは良い機会だと思う」と言っていて、それは本当にその通りだなという感じがする。「数年間待たされた上で待望の上映!」というのも良かったけど(しかし、新型コロナの影響で2度延期された『シン・エヴァンゲリオン』はさすがに待ち遠しかった)、「月1エヴァ」の企画で間を置かずに観ると、より一層「意味不明で狂気的」という印象が強まるし、良い鑑賞体験だったなと思う。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(三石琴乃、緒方恵美)

『シン・エヴァンゲリオン』のコメントは、ミサトを演じた三石琴乃と、碇シンジ役の緒方恵美。三石琴乃は、「みんながほっこり笑っているから」という理由で『破』が一番好きだと話していた。

緒方恵美は『Air/まごころを、君に』に続いて2度目の登場。彼女曰く、「エヴァではあまり演技らしい演技をしておらず、『自分が14歳だったら』という気持ちで臨んでいた」らしいのだが、「まさか30年も続けているとは思わず、『大人の自分』と『14歳の自分』を両方ともキープするのが難しいこともあった」みたいに話していた。自分が年齢を重ねれば重ねるほど「14歳」からはどんどん遠ざかっていくわけで、その中で「永遠に14歳であり続ける碇シンジ」を演じるのは確かに難しかっただろうなと思う。

また彼女は、「身内がこんなことを言うのもなんだけど、まさかこんなにキレイに完結するなんて思わなかった」とも話していた。私はテレビ版をあまりちゃんと観れていないのだが、ただテレビ版の最終話をベースに作られた『Air/まごころを、君に』と比較すれば、確かに「完結感」はあるかもしれないなと思う。まあでも、「キレイに」と言えるほど完結しているのかは何とも分からないなぁ。私には(そして多くのごく一般的な人には)『エヴァンゲリオン』は難しすぎる。

新旧劇場版を観る以前の、私の『エヴァンゲリオン』との関わり方

さてここで少し、私が『エヴァンゲリオン』とどのように関わってきたのかに触れておこうと思う。私は、「新劇場版」と呼ばれるものはすべて観ているし、その他「映画館で上映された作品」は鑑賞したと思うのだが、「テレビ版」は基本的にほぼ触れていない。

私の不確かな記憶では、私が中学生ぐらいの頃、夕方のテレビで『エヴァンゲリオン』が放送されていたはずだ。私は校区内でかなり家が遠い方で、だから「学校から急いで帰るとギリギリ放送に間に合う」みたいな感じだったと思う。その当時の自分が「どうしても『エヴァンゲリオン』を観たい」なんて風に考えていたのかはまったく記憶にないが、とにかくテレビ版は飛び飛びで観ていたはずだ。

しかし、私が中学生の頃ということは30年以上も前である。当時「アニメ」はまだ今ほど市民権を得ていなかっただろうし、となれば当然『エヴァンゲリオン』も「子ども向け」という想定で作られていたのだと思うが、「子ども向け」というにはあまりに無理のある作品ではないかと思う。よくもまあ、あの時代にこんなアニメをテレビで流せたものである。

で、そういう状態だったから、自分がいつどのようにして『エヴァンゲリオン』に惹かれたのか、正直まったく記憶にない。結局未だにテレビ版をすべて観たことはないし、新劇場版を観る前の時点ではに旧劇場版(『Air/まごころを、君に』)に触れたこともなかったんじゃないかと思う。とにかく、「いつの間にか『エヴァンゲリオン』に惹かられていた」という印象が強いのだ。まあそれは、私と同じように「テレビ版を観たことがないのにエヴァが好き」だという人の多くに共通する感覚じゃないかという気もするが。

さて、『序』から始まる新劇場版4作品はそれぞれ、公開後すぐ観に行った。『序』の公開が2007年だそうで、私は24歳ぐらい。私が映画館でバリバリ映画を観るようになったのは32歳頃のことであり、『序』の公開当時は映画を観る習慣はまったくなかった(私は「レンタルショップで借りて映画を観る」ということを人生で一度もしたことがなく、この時期は基本的にまったく映画を観ていなかったのだ)。だから、「どうして『序』を観ようと思ったのか」は本当に謎だ。自分でも不思議である。

ちなみに、新劇場版に関しては、「封切り直後」「『シン・エヴァンゲリオン』公開直前の再上映」「月1エヴァ」のタイミングで3回ずつ観ていると思う。また、いわゆる「旧劇場版」もその間に何度か観た。私の鑑賞記録によると、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH (TRUE)² / Air / まごころを、君に』『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』をそれぞれ1回ずつ観ているようだ。

さて、「旧劇場版」の話はとてもややこしいので、ネットで調べた知識を踏まえて整理しておこうと思う。

まずはそもそも、テレビ版の「1話〜24話」「第25話」「第26話」が存在する。そして、「テレビ版の1話〜24話」の総集編が『DEATH』、「テレビ版の第25話」をベースに作られたのが『Air』、「テレビ版の第26話」をベースに作られたのが『まごころを、君に』ということらしい。また、『REBIRTH』は「テレビ版の第25話のリメイクの前半」と説明されている。恐らくだが、「『Air』の制作が間に合わなかったので、完成している前半部分だけを『REBIRTH』として切り離して公開した」みたいなことなんじゃないだろうか。そして、そんな『DEATH』と『REBIRTH』をまとめたものが『シト新生』みたいである。さらに『DEATH』には再修正版が存在し、それが『DEATH (TRUE)²』なのだそうだ。

というわけで、『シト新生』と『Air/まごころを、君に』を観れば、「テレビで放送された内容と劇場公開された25・26話の内容が概ね網羅できる」ということなのだろう。いやはやなんともややこしいなと思う。

『エヴァンゲリオン』シリーズ全体に対する感想

それでは、旧劇場版・新劇場版それぞれの物語に触れる前に、まずはしばらくエヴァシリーズ全体の感想に触れておくことにしよう。

さっぱり意味が分からないのに面白い

エヴァシリーズを観る度に感じることだが、とにかくさっぱり意味が分からない。何せ本シリーズにおいては、「使徒と呼ばれる怪物がNERV本部を攻める理由」さえ録に説明されないのだ(ただこの辺りのことはもしかしたら、テレビ版ではちゃんと説明されるのかもしれない)。だから観ている側は、「エヴァに乗った少年少女がどうして戦ってるのかさえまったく理解できない」みたいな状態に置かれてしまう。これははっきり言って、ちょっと凄まじい状況ではないかと思う。

また、作品の根幹を成すはずの「人類補完計画」についても断片的な情報が与えられるだけで大して説明されないし、だからそれが一体何を指すのか観ていてもよく分からない。だから観客は、「NERVが何と闘っているのかも、碇ゲンドウの目論見もさっぱり理解できない」みたいなことになるのだ。「ロボットアニメなのに『戦う理由』が分からない」「メインとなる組織の目的が不明」だなんて、ちょっと物語として成立していないような印象にさえなるだろう。

にも拘らず、エヴァシリーズはとにかく面白い。状況がさっぱり理解できないのに、それでもグイグイ惹きつけられてしまうのだ。この点はやはり凄まじく特異的だなと感じるし、また、エヴァシリーズが時代を経てもまったく古びない理由の1つだろうとも思う。

さて、「全然理解できないのに面白い」のには、大きく2つの側面がある気がしている。1つは、「主人公である碇シンジが、観客と同じレベルで何も分かっていない」という点だ。彼は「父親がNERVのトップである碇ゲンドウ」だという、恐らくほぼそれだけの理由でNERVに呼ばれ、エヴァに乗せられている。しかも、父親に対する複雑な感情があったり、「エヴァに乗って戦いたくなんかない」という気持ちを抱いていたりするが故に、作中世界について詳しいことを積極的に知ろうともしないのだ。だから碇シンジはほとんどずっと「何も知らないまま振り回される存在」として登場するし、だから観客も、「主人公が分かってないんだったらしょうがないよね」みたいな気分で作品に触れられるんじゃないかと思う。

ただその一方で、碇シンジはいつの間にか「自分が何をすべきか誰よりも悟っている」みたいな状態になったりするので、それで観客は一気に置き去りにされてしまいもする。変化の過程は描かれているものの、正直「えっ、いつの間に?」って感じだし、だから、なんか唐突に「置いていかれてしまった!」みたいになるのだ。とはいえ、この時点では既に作品の世界観に囚われているので、それ以降は「もう訳解んないまま観続けるしかないよね」的な感じになっていくのだと思う。

そしてもう1つが、「理解は出来ないが、恐らく精緻な設定が存在しているんだろう」と思わせてくれる点である。「描写は最小限だが、説明していないだけで、きっと膨大な設定が背後に存在しているんだろう」という雰囲気が感じられるのだ。「観た人全員に分かるように作られてはいないが、ある程度きちんとヒントは散りばめられており、分かる人にはちゃんと分かる」みたいな印象が強いなと思う。

これが仮に、「展開も状況も設定も、ただただ意味不明」という感覚の方が強ければそう面白く思えない気もするが、『エヴァンゲリオン』の場合は、「自力では理解出来なくても、分かっている人はいるだろうし、だからこの世界について深堀り出来るはずだ」みたいな直感を観ながら得られる感じがある。そう思わせてくれるからこそ、多くの人は「今はまったく分からないが、きっとそれなりに理解できるはずだ」と感じられるのだろうし、また考察できる側の人は「メッチャ腕が鳴るぜ!」みたいな感覚になれるのだと思う。

そして制作側も当然、「物語の設定・展開だけで惹きつけるのは無理がある」と理解しているのだろう、エヴァシリーズは「作品の本質的な部分」以外の要素で「分かりやすい魅力」を伝えようとしている。「ミサトさんとの共同生活」や「綾波レイと衝撃の邂逅をするシーン」、「様々なタイプを取り揃えた魅力的な女性キャラクター」など、「物語を展開させる上で別に必然性があるわけじゃない要素」によってポップな雰囲気が醸し出されているというわけだ。そういう表層的な部分で分かりやすく観客を惹きつけつつ、「全然理解できないけど、メチャクチャ深い何かが潜んでいることだけは分かる」みたいな設定・展開を盛り込むことでより深みに引きずり込んでいく、みたいな構成になっているのだと思う。

ジブリ映画などでも同じだと思うが、「分からないけど分かりたいし、分かりたいから何度でも観たくなる」みたいに感じさせられるんじゃないかと思うし、あるいは、「何度も観た人たちによる考察によって、作品の解釈が一層広がる」みたいなこともあるはずだ。またさらに言えば、『エヴァンゲリオン』を生み出した庵野秀明はまだ生きている。彼が作品のすべてを語ることは生涯なさそうな気もするが、とはいえまだ生きてるんだから、「本人の口からすべてが説明される」なんて可能性も決してゼロではないだろう。可能性は限りなく低いが、そんな「if」も併せて「考察しがいのある物語」と言えるなんじゃないかと思う。

私はホントに全然分かってなくて、考察動画を死ぬほど観た時期もあるが、それでも物語の世界観のほとんどを理解できていない気がする。「使徒が攻めてくる理由」とか「人類補完計画の目的」とかはなんとなく分かってるつもりだが、「ゼーレって何だっけ?」とか「渚カヲルって何者?」みたいなことはさっぱりだ。もちろん、作中で碇ゲンドウ、冬月コウゾウ、加持リョウジ辺りが喋っていることは、大体理解できない。

そしてさらに、「新劇場版」はテレビシリーズとは別物と言っていいぐらいまったく違う物語なのである。その事実もやはり凄まじいなと思う。何せ『Q』では、「NERVに対抗する組織として葛城ミサトらがWILLEという組織を立ち上げていた」なんて展開になるわけで「どゆこと?」ってなもんである。観客が全然理解しきれていない物語を解体し再構築しているわけで、「訳の解らないさ」が一層増していると言っていいだろう。

ただ、凄いなと思うのは、そんなバラバラになるぐらいに再構築された物語からも「エヴァ感」みたいなものが全然失われていないということだ。以前何かで、「庵野が作ったものがエヴァになる」みたいな表現を目にしたことがあるのだが、確かにそれはその通りだろう。ただそれはそれとして、『エヴァンゲリオン』においてはその世界観があまりにも強固なので、表面の部分の展開・設定をどれだけ変えても根幹の部分は揺るがないのだと思う。そしてその事実は、「作品の外側に乱立するあらゆる考察を含めて『エヴァンゲリオン』である」という印象にも繋がるし、だからこそ「『エヴァンゲリオン』は永遠に完成しない」と言える気もする。

ちなみに、先日エヴァ新作の情報が発表されたが、庵野秀明は制作に関わらないようだ。「庵野が作ったものがエヴァになる」のかそうではないのか、この新作で確かめられるのかもしれない。

ホントに、とんでもない作品を生み出したものだなと思う。

「人類補完計画」の異様さ

さて、『エヴァンゲリオン』の世界にはその根幹に「人類補完計画」と呼ばれるものが存在する。私の理解が合っているか自信はないが、「『NERVはゼーレの目的を遂行するための組織』なのだが、NERVのトップである碇ゲンドウはそんなNERVをある意味で私物化し、ゼーレの目的とは異なる『人類補完計画』を秘密裏に進めている」という設定だと思う。そもそも私には「ゼーレの目的」が何なのかよく分かっていないのだが、碇ゲンドウはゼーレに従うフリをしつつ、実際には自らの計画のために動いているというわけだ。

「じゃあ『人類補完計画』って何だよ」という話になると思うが、これはホントに、少なくとも新劇場版を観ている限りはまったく説明されない。私は正直、考察動画を観なければさっぱり理解出来なかったが、どうやら「完全な単体としての生物の進化を目指す」という計画らしい。要するに、「人類(だけじゃなくすべての生命っぽいが)を1つの生物としてまとめて(還元して)しまおう」みたいなことのようだ。

もう少し詳しく書くと、『エヴァンゲリオン』はそもそも「『アダム(から生まれた者)』と『リリス(から生まれた者)』という2つの存在の争いの物語」であるらしい。この話はややこしいので詳しいことは各自調べてほしいのだが、ざっとまとめると以下のようになる。

かつて宇宙のどこかににある種族がいた。彼らは自分たちが住む星が失われることを知ってしまい、新たな居住先となる星を探索するためいくつかのグループに分かれることにする。そしてその際に、個々の肉体を失い互いに溶け合って、「生命の根源」の姿まで戻して1つの単一の存在になったのだ(恐らく、移住先の星を見つけるのに長い時間が掛かると想定されたからだろう)。さらに、グループ毎に「生命の種」と呼ばれる「再び肉体を与えるための存在」を有していた。この存在のお陰で、移住先が見つかったら個々が再び肉体を取り戻せるというわけだ。
そして、そのグループの内2つが地球に辿り着く。それぞれ「アダム」「リリス」という「生命の種」を有しており、先に地球に辿り着いた「アダム」が「生命の根源」として溶け合った者たちに肉体を与えた。これが「使徒」と呼ばれる存在だ。しかし何故か彼らは目覚めることなく眠りについたという。
その後「リリス」が地球へとやってきて、引き連れて来た者たちに肉体を与えた。つまり、アダムや使徒を除く「地球上に存在するすべての生命」は「リリス」由来というわけだ。もちろん人類も同様であり、さらに、「リリスが生み出した生命の最終形態」であるとして人類は「リリン」と呼ばれている。
そして、「NERVがアダムを囚えて地下深くに幽閉しているが故に、使徒はアダム奪還のためにNERV本部を襲い、その駆除のためにエヴァに乗った少年少女たちが戦わされている」というのが『エヴァンゲリオン』の基本設定なのだ。

これらの設定から、「『使徒』も『人類』も元々同じ種族だったのだが、別々のグループとして地球に辿り着いたことで争いが生まれている」「『使徒』も『リリン(人類)を含めた地球上のすべての生命』もそれぞれ、元々は『生命の根源』という1つの大きな塊として存在していた」ということが理解できるだろう。そして「人類補完計画」とは要するに、「『人類を含めた地球上のすべての生命』を『生命の根源』に戻そう」という計画なのである。

では、碇ゲンドウはどうしてそんなことを考えているのか。そこには、彼の妻である碇ユイへの想いも関係してくるのだが(そう、彼は私情のために世界中を巻き込もうとしているのだ)、一旦それは置いておこう。基本的な発想は、「アダムから生まれた使徒は互いに争わないのに、リリスから生まれた人類は争ってばかりいる。そしてその理由は、他者と考えが違うからだ」という点にあるようだ。

さて、その考えは普通に理解できるが、しかしここから「人類補完計画」という発想に至るにはかなりの飛躍が存在する。要するに、「『他者と考えが違う』ことが原因で争いが起こるなら、そもそも『他者の存在』なんか無くしてしまえばいいじゃないか」という考えが根底にあるのだ。で、「皆が1つになる(『生命の根源』に戻る)」のであれば「『他者』は存在しない」と言えるだろう。碇ゲンドウはこのような世界を目指しているというわけだ。

まあムチャクチャな話だろう。そしてそんなムチャクチャな話に人類全体を巻き込もうとしているのが碇ゲンドウなのだ。なかなかの狂気である。またそもそもだが、何も知らずに『エヴァンゲリオン』に触れていると、「なんか分かんないけどNERVが攻撃されてて、それを守ろうとエヴァが頑張ってるから応援しよう!」みたいになるかもしれないが、実は「使徒がNERV本部を攻撃しているのは、自分たちのルーツであるアダムを奪還するため」だし、「NERVはゼーレの本来の目的遂行を逸脱して、碇ゲンドウの個人的なプロジェクトである『人類補完計画』を進めようとしている」わけで、「いやいや、NERVも碇ゲンドウも激ヤバじゃん」と感じられるはずだ。表面的な捉え方と深く理解した時の捉え方では印象が真逆になるというのがなかなか凄まじいなと思う。

それで面白いのが、『エヴァンゲリオン』の世界においては「人類補完計画」はほとんど周知されていないらしいということだ。碇ゲンドウや冬月コウゾウなどごく一部の人間しかそもそも知らないんじゃないだろうか。マリはどうやら理解しているようだが(『シン・エヴァンゲリオン』で描かれている感じだと、彼女は碇ゲンドウらと昔から関わりがあるらしい)、ミサトを始めとするNERV職員は基本的に知らないようだし(ネットで調べると、リツコは若干知っていたんじゃないかと書かれていた)、エヴァパイロットも当然知らないはずである。

つまり、作品の根幹に「人類補完計画」が横たわっているのに、登場人物のほとんどがその存在を知らず、「人類補完計画」とは関係なく行動しているというわけだ。

にも拘らず、「人類補完計画」はエヴァシリーズにおいて「主人公たちの物語」とリンクする。碇シンジを始めとする登場人物たちの「他者との葛藤」を描く物語が、「人類補完計画」の「他者が存在するから争いが起こる」という話と響き合うのだ。碇ゲンドウ視点で語るなら、息子である碇シンジとの関わりや、エヴァパイロット同士の関係性など様々な人間関係を知ることで、「やっぱり人間は争ってばかりだから、溶け合って1つになった方がいい」みたいな考えが強固になっていったという側面もあるのかもしれない。

一方、主人公たちの視点で言えば、碇シンジに顕著だが、「他者との関係性における葛藤に対して、かなり痛々しく自分自身を曝け出す」みたいな展開になっていく。本作では、登場人物たちの鬱々とした内面描写や、お互いの心を削り合うような関わり方がかなり色濃く描かれるのだが、それによって「『他者』が存在することによる複雑さ」が浮き彫りにされる。そしてまさにその点が、表立っては描かれない「人類補完計画」の目的と共鳴することになるのだ。この辺りの設定は本当に絶妙だなと思う。

さらに言えば、「ロボットアニメのよくある設定」としか思っていなかった「ATフィールド」もこの話と絡んでくる。使徒やエヴァが攻撃をブロックするための「バリア」的な存在として描かれる「ATフィールド」は、実は「『他者』との間に存在する『心の壁』」みたいなニュアンスも含んでいるのだ。人類を始めとする生命の場合は、「肉体そのもの」が「ATフィールド」、つまり「他者を寄せ付けないための壁」であり、つまり「人類補完計画」とは、「そんなATフィールドをみんなが取っ払って1つに溶け合えたら幸せじゃない?」みたいな発想なのである。

「ロボットアニメ」や「青春物語」でよくある設定・描写が「人類補完計画」という狂気の計画とまさに”補完”するような関係にあるという設定は見事だし、物語としての調和が凄いなと思う。そしてこういう捉え方をすることで、「碇シンジと渚カヲルが行っていたピアノの連弾」や「エヴァ13号機のダブルエントリーシステム」なども何となく意味を捉えやすくなる気がするだろう(私はちゃんと説明できるほど理解できてはいないが)。こういう描写もまた、「知れば知るほど知りたくなる/観たくなる要素」として機能しているなと思う。

エヴァパイロットたちの特異性、そして「世界を救う者たち」が持つ「個人的な動機」

『エヴァンゲリオン』の世界でかなり特異的なのが「エヴァパイロット」の存在だろう。「運命を仕組まれた子どもたち」と呼ばれることもある彼らは、14歳のまま年を取らない。私は、綾波レイや式波・アスカ・ラングレーが年を取らない理由は理解できているが(レイだけではなく、『シン・エヴァンゲリオン』ではアスカもクローンであることが判明するのだ)、碇シンジが年を取らないのは何でなんだろう? また、レイやアスカはクローンであるが故に「感情をあらかじめプログラムされていた」という話になるし、シンジはクローンではないが、感情や行動をかなりコントロールされていただろうから、そういう意味で「運命を仕組まれた」という表現になっているのだと思う。

さて、真希波・マリ・イラストリアス(彼女もまた謎の存在だ)を含めたエヴァパイロットたちは、広く言えば「世界を救う」みたいな役割を持っているわけだが、しかしそんな彼らの行動原理はかなり「個人的な動機」によって成り立っている。いわゆる「セカイ系」というやつで、恐らく『エヴァンゲリオン』の登場によって生み出された概念じゃないかなと思う(違うかもしれないが)。「個人の葛藤や絶望が、そのまま世界の行く末に直結する」みたいな世界観は、普通に考えれば相当狂気的に感じられるはずだが、しかし『エヴァンゲリオン』では、それを比較的自然に見せる要素が組み込まれているように思う。

それが、「シンクロ」という設定である。

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