運が悪くて腑に落ちる!? 〜魔法のことば〜
九條です。
この世の中、いろんなことがありますよね。
生きていると、いろんなことがありますね。
私もまだ半世紀ちょっとしか生きていませんが、いろんなことがありました。これからもあるだろうと思います。
自分にとって何か良くないことが起こった場合、その原因を突き止め、次からはそのような悪いことを回避しようと、あれこれと策を考えるのが人ですね。
それはひと言でいえば、
「最善を尽くす」
ということですね。
とくに、なにかの研究をしている人は、現在起こっている事象についてその原因を突き止め、何らかの法則を見いだしたり、新しい発見をしたり、そのようにして真理を追求し人類の進歩発展に尽くすことが研究者としての使命だと思います。どのような分野においても。
けれども、場合によっては、人の力ではどうしょうもないこともありますよね。
世の中には、生きていると、人の力で何とかできることよりも、どうにもならないことのほうが遥かに多いと感じます。
たとえば…
自分はなんでこの家に生まれてきたのか?
自分はなんでこの国に生まれてきたのか?
自分はなんでこの時代に生まれてきたのか?
こういった大きなことから、
自分はなんでこのような病気になったのか?
自分はなんでこのような怪我をしてしまったのか?
今日はなんで赤信号に引っかかっていつもの電車に乗れなかったのか?
などの身近なことまで。
そのようなとき、とくに現代人はその原因を探して責任の所在を求める「他責・他罰」思考に陥りやすいと感じます。
親が悪い…
国が悪い…
時代が悪い…
遺伝子が悪い…
病気を移した人が悪い…
怪我をするような環境を放置していた人が悪い…
青信号でさっさと進まなかったノロマ運転手が悪い…
などなど。
けれども、そうなのでしょうか、それで良いのでしょうか?
そういう風に原因を追求し、責任の所在を明らかにし、他者を責めて、いったい何が生まれるのでしょうか?
そういう、人の力(自分の力)では、どうにもならない、どうしょうもない場合に直面したとき、私はなるべくこういう風に考えるようにしています。
◎運が、悪かった。
このひと言は「魔法の言葉」です。そういう風に考えることによって、どうしょうもないこと、どうにもならないこと、何もかもが、全部ストンと腑に落ちます。
原因の究明に執着し、ひたすら責任を追及し続けるよりも「運が悪かった」と考えて、サラッと諦めて前へ進む!
そのほうが、自分も周りも幸せになれる場合が多いだろうと感じます。
もしよろしければ、皆さまもこの魔法の言葉を使ってみられてはいかがでしょうか。^_^
©2025 九條正博(Masahiro Kujoh)
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