4話め:大部屋とパズルと母とわたし
面会謝絶の無菌室にいる時以外、母は決まって大部屋を選んだ。
大部屋の方が費用も安い上、一人でくよくよせずに済むという。
当時の大部屋は6~8人の大所帯で、「空きがないから」という理由で本来は小児病棟に入院するような年齢の女の子が大人の病室にいることもあった。
幼児の頃の入院中、見舞いの時間はパズルをするのが通例だった。
A3サイズの大きなパズルを病室に置いておき、時には病室のおばさんたちも協力して少しずつ仕上げた。
あのパズルは、幼児が見舞いに退屈しないようにという配慮以外に、もし自分がいなくなっても共同作業の思い出を覚えていてほしいという思いが込められていたのかもしれない。
思い返すと、周囲の大人は母の大病に耐えている幼いわたしに同情していたのだと思う。
一度だけ、自分で仕上げたかった箇所を母が仕上げてしまい、癇癪を起こして組み上がったパズルをひっくり返して泣き喚いたことがある。
それでも周りの大人はわたしを叱らなかったし、母より少し年上らしい同室の患者さんはわたしを慰めてくれさえした。
あの優しい彼女たちは今どうしているだろう。病室を訪れるといつも多様な家族のあり方が濃く漂っていて、面食らうほどに「人生」を突きつけられる。
お金があっても、子どもに恵まれていても、賢くてもそうでなくても、病と怪我は訪れる。
実際にこの目で見たわけではないのに、忘れられない光景がある。
母と一時同じ病室にいた女性の経過が思わしくなく、術後に亡くなってしまった。
付き添っていたのはまだ20代前半の息子さんで、自衛官をしていたそうだ。
忙しい合間をぬって献身的に世話をしてきて、”その日”はお母さんの亡骸に覆い被さるようにすがって大声で泣いていたという。
時がずいぶん経って、両親からそれを思い出話として聞かされた時、やけに陽射しに恵まれた当時の病室に戻ったような感触があった。
手術が成功した、薬が効いた、そのすぐ隣にそういう現実がある。
大人になってから通った大部屋にも、回復ではない変化が訪れつつある患者さんがいて、談話室にも顔色が明らかに通常とは異なる患者さんがいた。
いつそちら側に回るのだろう、今回は切り抜けられるだろうか、入院のたびにロシアンルーレットを強要されているようで、わたしは疲弊した。
同時に、パズルという娯楽でその重苦しさを遠ざけてくれた両親の心を、ようやく思った。
感情に任せてパズルをひっくり返すことは、もうできない。
そう気づいたのは、20代前半。母が、もう一度大きな病にかかった時だった。
