青い三角屋根とルームシェア
青い三角屋根のアパートの角部屋に、ありたっけの荷物と夢を詰め込んだ。まだ他人と暮すことを知らず、ましてや、一人で暮らす不安さえ知らずにいた、あの頃。
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「えっと、バスタオルはどれにしよう」
「リサイクルショップで欲しいソファが三千円!」
意気込んで借りたワンルームへ、思い浮かぶ「好き」を敷き詰めた。自分で選んだ食器に、好みの家具を好みの角度で置いて、夜はベッドで大の字。
「幸せっていうのは、このことだ」
築十五年の青い三角屋根のアパートで、世界中の自由を全部手に入れた気がしていた。
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駄菓子菓子、夢に見た日々はそう長くは続かない。三ヶ月目に突如、アパートを退去しなくてはならず、ボー然。理由は自分に無いとはいえ、ハッピータイムを満喫中に、天国から見事に転げ落ちた。いくら普通の振りをして、笑って見せても頬は引きつり、頭には不安がつきまとう。だって、、、
行くあてがない。
私の心がついて行かなくても、幸せの砦はなくなる。友人知人が力を借してくれたから、半日で部屋はサッパリ空っぽ。青い三角屋根の部屋に「さらばっ!」と、手を振った。行くあてもないのに。
夢から覚めた私を、気にかけてくれた優しい先輩がいた。
「ウチに空き部屋があるから、妹とルームシェアしたらいいよ」
その先輩の優しさに、藁にも縋る想いで駆け寄った。結果、先輩の家族に十年以上お世話になる。先輩はおそらく二ヶ月もしたら、出て行くだろうと声をかけたはず。なのに十年も居候させてもらったのだ。私はきっと心臓から何か生えている。
五年目位から、先輩のパパに「結婚するまでここに居たらいいよ」と、温かい言葉をかけてもらった。しかし冷静なってみれば、出ていく気配をさっぱり感じなかったから、半分本気、半分冗談で包んでいてくれたのだと思う。
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他人と暮らすということは、面白いだけでは済まされない。だいたい恥ずかしい自分をさらけ出す。家族だってあははは、うふふだけでは終わるはずがないのだから。ドラマや漫画の家族だって、喜怒哀楽の諸々がつまってる。
隠しようがないの。
家って、そういうところ。
絵に描いたように思い通りになんてならないから、シャワーに入るタイミングが分からず、同時に朝シャワーになってしまった時の気まずさ。
一手先を読んでトイレットペーパーを補充したはずなのに、一手の手前でなくなりかける絶望。
そして想像以上にドラマチックに、感情が動き回るの。
失恋した夜に、フローリングでのたうち回って泣いていると、温かいココアが手渡されること。相手がふざけたらとことん、一緒にふざけるのが愛情だということ。相手の涙に気付かないフリをして、自分の気配を消すのも優しさだということ。お互いを見過ぎない、聞き過ぎないのが、礼儀だってこと。夜食にうどんを温めてくれたら、それはどんな高級な食べ物よりも幸せな味がすることも。ルームシェアしている年上のお姉さんの一本結びしていたポニーテールが解かれた瞬間、大人の色気まで解き放たれて、飲みに行く姿を見送った。大人は皆ポニーテールの中に色気を隠しているのだと、勘違いしたことも。
「ただいま」
「おかえり」
絵に描いた物語ではなく、本当に人生で起きることを、私に教えてくれた時間。きっと青い三角屋根の部屋に一人でいたままでは知らなかった。十年も居座り続けた私を、最後の最後まで育ててくれた家族に今も感謝しかない。
誰かと過ごすということは、想像の三倍、いやもっと上の上、喜怒哀楽が詰まってる。夢いっぱいの部屋だって、すき間風が吹いて寒くて嫌な時もある。ルームシェアだって、それなりに悩みはあった。どこにでも夢や希望と、その反対側が入り混じる。
青い三角屋根から飛び立ってから十数年。もう夢を持って、アパートで暮らすことはないだろうと諦めていた。しかし今またアパートに暮らしている。
数年前に一人ではなく、二人で「ここにしよう」と決めたのが、この部屋。他人だった人と家族になった。喜怒哀楽の全てをポケットにつめて、人生を味わっている。
たぶん、私にとって、家って、そういうところ。
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